鶏が先か卵が先か、生物には雌雄同体という形が存在します、雌であり雄でもある、しかし二匹いて子孫を残せるタイプと、一匹でも子孫を残せるタイプ、大きいほうが雌になるタイプと逆のタイプ、必要に応じ性転換できるタイプと多様性があります、鶏の先祖を辿って行ってもどれかのタイプに当てはまることになります、しかしその頃には鶏と呼べる生物ではないので、親が先か卵が先かと変わり、その上に遡れば親が先か子が先かになります、子は親に成れますが親を生むことができないので、親子と言う観点からは親が先になるでしょう、親と卵の関係では、卵を生めるのが雌になるので、雌と卵という関係としては、雌は卵を産めますが、卵から孵った子は雌にならないと卵を産むことができないので、雌が先となるでしょう、もし卵から孵る子が雄なら卵を産めないので、その次が無くなりますから雄は卵の先にはなり得ません。
鶏は孵化した時点では性別は固定され、後に変わったりしません、鶏と卵の関係では、卵は必ず鶏の雌に産んでもらうので雌の鶏が先ということになります、雄の鶏は卵を産めないので卵が先になります、初めて名付けをされた時は卵の段階では鶏と名付けることが出来ないし、ある程度成長した親鳥を鶏と名付けた筈なので、鶏が先でしょう、その鶏は卵から生まれていますが、それは後に鶏となる前の鳥の卵です、鶏と言う名前に拘れば鶏が先でしょう、生物学の観点から卵に拘れば世代を遡り卵とは呼べないところまで行くでしょうから、親が先でしょう、その頃には鶏とも呼べませんが・・結論としましたら、雌鶏が先で次が卵でその次が雄鶏となります、いずれにしても卵を産めるのは元々雌か雌に性転換するか雌の役割を受け入れた固体なので、先ず雌あっての話しとなります・・
女が先か男が先かも同じ理屈で女が先でしょう、では女が上か男が上かという命題になればかなりややこしくなります、本来上でも下でもないモノを決めようとするところにそもそも無理があるのですが答えは何に拘るかで変わります、子供のままの考え方で言えば男の子は男が上、女の子は女が上と主張します、これが大人になって男女の関係や夫婦の関係になると、複雑になってきます、男性にもいろんな価値観の人がいますし、女性も同じです、男性は女性に自分の立場を立ててくれることを普通は期待します、仮に自宅では女性のお尻に敷かれていても世間的な面目を気にするところがあります、女性は男性に自分を大事にする気持ちがあるなら優しさで当然自分を上に持ち上げてくれるだろうと気持ちのバロメーター的な判断基準にします、その基準にはよその男女関係の目に映る部分も介入してきます、男性が世間の面目に追従しすぎると、男同士の誘いを断りにくくなり、結果男女間の危険なお遊びから女性を裏切る方向に流される場合も出てきます、女性がよその男女関係と比較しすぎると、男性に負担を掛けてしまい、仕事の足を引っ張ることになり、初めに建てた計画が予想外の展開を観ることになります。
男が男が上だと拘れば拘る程、女が女が上だと固持すれば固持するほど、男女関係は修復不能な状態に近づきます、男が女を上に持ち上げれば持ち上げるほど、男の責任と女の責任が入れ替わっていきます、上手くいくならそんな男女関係も有りでしょう、女が男を立てれば立てるほど、男は頑張れますが、立てるばかりでも違うのです、その辺りが男女関係の難しいところです、ならどうすれば善いかというと、そんな共通の回答なんて存在しないのです、時と場合と環境で千差万別の答えがあります、その回答えはお互いからしか学べないし、その答えを出す為に二人は出会ったとも言えるのです、世間は世間、よそはよそ、そして、うちはうちでしかないのです、うちの二人の当事者以外誰も責任は取ってくれません、しかし上手に関係を築きたいと思う気持ちがあれば、良いアドバイスを聞くことも可能です、しかしそのアドバイスを活かすか聞き流すかは本人の問題です、アドバイスはあくまでアドバイスであり実行するのは二人です、ただ片方が変わればもう片方も変わるモノです、二人ならどうにかなっても、人間関係はそれだけでは有りません、そこがもっと問題をややこしくするのですが、複雑な時は大元に戻って最終的には二人の関係が最優先なのです・・・