最近の引越しセンターのトラックは殆んどアルミ製のバンというか箱型の荷台になってお客様の荷物を雨露から守れる様になっているタイプが主流です、後のドアにはパワーゲートが装備され、積み込み時のダメージを防止するのと同時に作業員の負担も軽減するように出来ています、階段やエレベーターで搬入しにくい荷物は消防署のはしご車のように低い階層なら外部の窓から直接搬入できる機材が動員されたりもして随分合理化が進んでいますが、引越し作業はまだまだ作業員の負担が多い体力を使う重労働です、若く元気な人が選択する職業で時給も力仕事のなかでは高く設定されているようです、引越し業界も競争が激しく、他社よりも価格メリット提供できなければ依頼も回ってきません、お客様の大事な荷物に傷を付ける事も見過ごして貰えない厳しさもあり、重たい上に神経も使わなくてはならない職種です、重量物運搬などは起重機を使っての積み込みや搬入作業があるので一つ間違うと、大怪我や最悪人命にも係わります、常に危険と隣り合わせの仕事は免許や資格や積荷に対する専門教育が必要になったりしますし、油まみれになったりもしますが時給は沢山貰えます、但し一人前の職人になってからの話しで、それまでは親方や先輩の厳しい教育下に身を置くことになります、陸上運送も細心の注意が必要で荷降ろしして指定の位置まで搬入するまでは気の抜けることがありません・・

 

 近頃ではすっかり見かけなくなりましたが、昔は大安とかの善い日には結婚するお嫁さんの新調された家具や生活道具などをトラックに積み込み、派手な飾り付けをして行きかうのをよく目にしたモノです、トラックが何台も連なる豪勢なモノもあったりすると人の関心と羨望を引き付けていました、うちの父親の知り合いにそんな祝い事のトラックを見る度に、あぁ~今日は運勢が悪いとぼやく人がいました、理由は他人の慶び事を観ると、もしかしたら自分のモノだったかも知れない世の中の幸せが一つ減り盗られたようなな気分になるそうです、逆にお葬式の霊柩車を見かけると、善し!今日はついてるぞ!なんて言って喜びます、同じく世の中の不幸が他人に舞い降りたと勘定しているのでしょう、なんと度量の狭い価値観なんだと呆れていましたが、ちょうど、サバンナでシマウマがライオンに襲われて捕まると、それまで逃げ惑っていた仲間がとたんに危険は去ったと言わんばかりに何事も無かったように草を食み始める光景が頭を過ぎります、この知り合いはお金儲けの為なら手段を選ばないやり口でバブル期には一時総資産数千億とまで評価された人です、お刺身を食べる時にも塩分の摂り過ぎは身体に良くないといってほんの数粒の塩を付けて食べるような人だったそうです、そのお蔭かどうか、一切気を使う事無く大好物のお刺身を食べていたうちの父親より、一年だけ長生きして他界しました、バブルが崩壊して目減りはしましたがそれでも残った莫大な資産は、堰を切った様に見事に空中分解をし、世の中であくどく掻き集めた銭が世の中に回帰していったのでした、確か息子も、娘もいた筈ですが生前にお金に対する執着と欲望の為、最悪の関係に陥り、呪わんばかりの恨みを買っていたと後から耳にしました、この人は略奪が大好きでした、数人いた奥さんは全て他人の奥さんでした、私が知る奥さんはとても綺麗な方で、人間性も高尚なひとでしたが何故かこの人の奥さんになる人は早世します、奥さんだけでなくこの人の周囲にいる人はみんな幸せを奪われ不幸を押し付けられるのかも知れません、だから血を分けた子供でさえ離れてゆき、傍にいた奥さんは寿命まで失うことを選択したのでしょうか?・・

 

 この人の人生は少し特殊な例外になるのでしょうが、世間には結構この人の価値観と同じような空気が漂っていたりします、勿論,全ての人がそうだとは言う気はありませんが、人の幸せを素直に喜べない、逆に人の不幸せを心の片隅の方で密かに歓迎するというか、もっと露骨に人の足を引っ張って失敗を誘導し相対的に自分の格が少し上がったと思い込める風潮があるように思える時があります、人間もしょせん肉食動物に狩られる存在でしかないのでしょうか?自分の国だけ、自分が住む地方だけ、自分の家族だけ、究極は自分さえ良ければそれで善いのでしょうか?世の中の生存競争は厳しいものがあります、生きていくのに、まして他人より良い暮らしをモノにする為には、他人のことなど知ったことじゃない、そういう価値観も間違ってると言いきれる人もいないでしょう、ただ大事なことを忘れてはいけません、世間に投げた価値観は回りまわって必ず自分の元にも戻ってくるのです、自分だけ最後まで不幸から逃れ続けられる事はありません、自分だけ良ければいいという価値観を大事にする人は、世間からも同情されることなしに優先的に冷たくそっぽ向かれることになるでしょう、人は本当は一人で生きている訳では決して無いのですが、自分だけを優遇して自分だけを選択したのは、他でもない自分の閉鎖的な価値観なのです、世間の中の自分だけという孤独はとても冷たく寂しいモノだという事は学べるでしょうが・・

 

 そんな難しい事じゃないのです、モンゴルの遊牧民が馬乳を発酵させてお酒が出来上がると、先ず大地に感謝を込めて少しだけ撒くように、ほんの少しで善いのです、逆にあげ過ぎてもいけません、ルームサービスにチップをやるように決った小額を機械的でもいいのです、少しだけでもやりとりを心がけていればよく、同情を持って沢山渡す必要もありません、モノを渡す時には情は不要です逆に情を掛け過ぎると、流されてしまったりもするので仇になることもあります、そんな心がけも世間を回りまわって自分にも巡ってくるのです、自分が試練の真っ只中でも人の繫がりと暖かさを実感できたりするのです・・・