禅画には○だけが書かれた掛け軸があります、私が映像か何かで視たときには、禅僧が相談に訪ねて来た人に眺めさせるのですがその時は確かに細く描かれた○の中心に小さな ・ だけがある掛け軸でした、丁度、日の象形文字のようなデザインでしたが、最初は訳が判らないまま眺めます、それでも眺めます、真ん中の ・ を見詰めてみたり、外の円をぐるりと見回したり、全体を漠然と眺めたり、でも暫く視ているとある事に気付きます、真ん中の ・ に意識を集中していると何時しか周りを囲む○を忘れているというか、実際に視界から消え去っているのです、何度繰り返しても同じです、逆に○に意識を集中させて視ると今度は真ん中の ・ が消えます、暫く考えたあと、何かを悟り、禅僧に相談する事無くお礼の挨拶をして帰ってしまいます・・この○の中心に小さな ・ だけがある書は実は現在でいうトリックアートになっていて、見詰ていると錯覚を起こす様になっていたのでしょう、ある意味一番単純で簡単なトリックアートとも言えるでしょう。
日の象形文字は何故 丸に点 で描かれたのでしょう?恐らく太陽と黒点の表現でしょうがそんな象形文字の時代に望遠鏡に太陽の黒点観察用のサングラスは在りません、でも鏡や代用できるものは在ったかも知れないので太陽の光を反射させて、黒いモノに像を投影すれば、黒点程度なら確認できた可能性はあります、勿論太陽の黒点の数は変化して黒点が観測出来ない極小期もあるので黒点の無い○も太陽を表せますし、掛け軸にしても効果は在るかもしれませんが、やはり小さな ・ が在ったほうが集中はし易いかも知れません・・相談しに来て相談せずに帰ってしまった人は、○と ・ の関係から、余り一つのことに囚われ過ぎると全体像が把握できなくなり、また全体像だけに囚われると個々の事象を見失ってしまうということを悟ったのでしょう、自身の疑問の解がそこにあったので、相談する必要が無くなったので礼を言って帰ったのでしょう、その人を見送る禅僧の表情はとてもにこやかで善し善しと言う感じでした・・
0と言うアラビア数字は6世紀頃のインドで発見されたそうです、その後数字には数学者の反対を乗り切りながら負の数、所謂マイナスの概念もインドで生まれています、反対した学者はマイナス何個のリンゴは馬鹿げた考えだと否定し、肯定者は自分の総財産を計算するのに負の財産、即ち借金を加える必要があるとマイナス(-)を位置付けました、インドというお国柄は数学に強く九九段なんかも20x20まで有るそうです、計算の仕方も合理的かつ素早い計算法が確立されています、コンピューターの計算は0と1しかない2進法で計算することで計算を単純化させ人類の文化の発展に寄与しました、現在の人工頭脳は技術の発展のおかげでその2進法の枠すら跳び越して複雑な計算を処理出来るようですが、その内人類の知能を陵駕するでしょう・・この+、0、-という概念は物質にもあります、物質が存在する状態と何も存在しない状態、そして存在に対し反対の性質を持つ反物質と言う状態、電荷的に反対もありますが中性子のような電荷を持たない粒子でも反中性子が存在します、この反物質の存在は結構昔から知られていて、現在は暫くの間閉じ込めておくことにも成功しているようです、この反物質は物質と衝突すると両方ともエネルギーに変換されてしまい消滅することが知られています、その変換効率はほぼ100%であり対消滅するので実際は自身の質量の2倍の200%のエネルギーが解放されます、核分裂の1%、核融合の10%という質量に対するエネルギー変換率と比較しても、どのくらい物質に閉じ込められて内在するエネルギーが大きいかを知ることが出来ます、この反物質を生成するのに莫大な資金が掛かるそうですが目下のところ実験段階でその利用法の可能性は確定していませんが是非とも平和利用して頂きたいモノです、人類は大きなエネルギーを知るとすぐ爆弾にしようと考える愚かな部分がありますが、反物質爆弾はその莫大なエネルギーのおかげで取扱いが難しく仮に出来ても地球上で使用するとそれこそ何が起こるか解らないところがあるので、将来地球に襲ってくるであろう小惑星の動きを止めたり進路を変えるために開発を研究されているようです・・
アインシュタインの重力論では質量が大きければ大きいほどその質量を持つ物質の周囲の空間が歪められ、重力は互いに引き合う万有引力というよりもその重力場に転がるように落ちていると表現されます、それは重力場を通過する直進する光の軌道が歪められることに よって証明され重力レンズ効果は実際は視える筈のない遠方の銀河団の光が届いて視えたり、一つの銀河が重力レンズの周囲に歪んだ形状で二つに分かれて光を地球に届けるという奇妙な現象で存在を証明して見せてくれます、モノが存在するということは、強い弱いの差はあれその周囲に場を形成し空間を歪めているのです、必ず外観の外だけに限りませんが、内部の歪みは外からは認識し難いかも知れません、その歪みは一体空間のどの方向に歪んでいるのでしょう?仮に簡単に考える為に空間が四方を張られた二次元のゴムの板だとして、そのゴム板の真ん中に重たい鉄球を置くと鉄球は重力に引かれ地面に落ちる方向にゴム板を円錐形に歪めます、もう一つ小さな鉄球を置くとその歪みのスロープを転がり落ち鉄球同士ぶつかります角度を付けて速度を与えると、何度か重い鉄球の回りを周回するかも知れません・・このゴム板は三次元の方向に伸びています、ゴム板の上の鉄球から見ればあくまで二次元上での引き付けられる力とでしか認識は出来ませんが、現実は小さな鉄球が突然現れたのも自身が何時からかそこに存在するのも三次元の実験者の仕業なのですが・・これを時間を含めた四次元宇宙に当てはめて考えることに成るのですが、その四次元宇宙のもう一次元上の方向に重力は歪んでいるのです、次元が上がってしまうそんな環境では、物質が突然現れたり消えたりするのです、こんな現象は実際に素粒子の世界では頻繁に起こっているそうです。
人間が世界だと思っている範囲は視野の狭い人間の可視範囲でしかなく、音も然り、全ての感覚も然りなのです、本当の世界はもっと自由で何でも有りと思わせるような高次元の世界なのです、だから人間には無限の可能性があり時たま奇跡も起こせるのです、それはマクロな世界からミクロの世界までを貫く真理なのです、私も貴方もそんなわくわくするような世界に暮しています、小さなことに拘らず、大きなモノに恐れず、本当の世界の中に身を置けば人生もっと楽しく出来る筈なのです・・・