同時期に生産されたり造られたらりしたモノはよく似た道を辿ることがあります、単体で製作されれば比較しようがないのですが例えば,同年同月同日に数台か一ロットで生産されたモノは流通過程でそれぞれのユーザーや販売計画に則り、別々のルートに配分されて行くのですが、不思議と同時期に故障して修理されたりします、当然同じ条件で組立てや調整を施されているので、メンテナンスの時期が同時期に訪れるのは理解できますし、使用頻度も平均的な稼働時間なら劣化条件も似てくることもありえます、しかしそれだけじゃ無いように思える時があるのです、確認できる機会が多くないので、実証は難しいのですが時たま、視てしまうと言うか気付いてしまうと言うか、全然別々の場所で長い期間在庫になっていたモノが同時期に立て続けに再販されて行ったりするのです、一度だけなら気にも留めないのですが、何度か観てしまうと、あれっ?何かあるのかな?と注意するようになったのです.

 

 これはモノだけではなく人にも通用している可能性があります、双子の行動と経験の類似性は比較的良く知られています、クローン牛やクローンヤギが何時も,べったり身を寄せ合いながら行動する映像を視て笑ってしまいました、何かの音に対して一頭が首を傾げて振り向くのですが、振り向きざまに、左耳をクリン次に右耳をクリンと動かすのですが、約0.5秒後にもう一頭がまったく同じ動作をするのです振り向きざまに、左耳をクリン次に右耳をクリンと行動がリンクしているのです・・牧場の人も不思議なことだと言っていましたので偶然では無いようです、彼らは元々一つの細胞から分かれているので、もともとの一つであろうとするのか、同じ因縁をもって同じ道を歩んでいるのか、離れて暮らす双子に視られる行動と経験の類似性から判断すると後者のようです・・

 

 この類似性というか近似性というかの原因の一つに同時期に同条件で生産されたということがあるのは間違いないでしょう、しかしそれだけでもなさそうです、私が高校1年に入学して最初にクラス分けされて始めて教室の席に着いた時のことです、出席番号順に座った席のすぐ後ろの席の男は私と同じ生年月日でした、背の高さも同じ、肉付きは違うが顔の輪郭や骨格が似ていた様でした、なんだか私は強がってはいましたが本当は肝っ玉の小さいところがあるのも似ているようでした、そんな男がすぐ後ろに・・私はこの男と双子では在りません、双子なら返ってクラスは意図的に分けられるそうです、なんという偶然だ!もし、クラスメイトの紹介かなんかの紙切れで誕生日が確認できなかったら、全く素通りしていたことだったでしょう、勿論この男と自分は赤の他人なので歩む人生も別々な筈なのですが、時たま、人生のハプニングが起きたりした時、あの男もひょっとして同じような経験してるんじゃないだろうなぁと思い浮かぶこともあります、確認する術もありませんし確認したくもありませんが、通常確認されることの無い部分では結構似かよっていたりするものなのかも知れません・・

 

 私は友人でも無かったのですが・・ 何かで知り合った男にこう言われた事があります、~君!君はうちの学校の~(私と同姓)にそっくりだ、自分が最初見間違った位に似ている、顔、背丈、体格、そしてしゃべり方まで、気持ち悪いくらいにそっくりだと・・私はそう言われて、ふぅ~ん!そうなのか、世の中には自分にそっくりな人間が3人は存在するって聞いたことあるけどそんな事ってあるんだなぁ・・ぐらいに聞き流しましたが、そう言った男がわざわざ初めて会ったような自分に作り話を告げる必要も無いだろうし・・かと言って確かめに出向く気にもならないし、出来たら確認しても良いか?とも思いましたが、まぁ何軒が学校があれば自分みたいなキャラの男もいても不思議じゃないなと適当に忘れましたが、それにしてもしゃべり方までそっくりと言われると何とも言えない後味です・・

 

 私は昔よくお世話になった飲み屋さんのカウンターで、偶然隣に座っていた女性が自分と同じ生年月日であることを知りました、私は私で男友達と2人連れ、その女性も女友達と思しき人と二人連れ、小さなお店だったので客も少なく、偶然共通の知り合いのママとの会話から同じ月生まれの同じ年齢であることを耳にしたのでした、私は正直その女性はひと目見たときからタイプじゃなかったので感心は無かったのですが、すみません!私も何年の何月なんですが、差し支えなければ何日か聞かせてもらって良いですか?というとなんと同日生まれでした、わたしは偶然って面白いですね!ワッハッハッ!と笑うと、その女性も豪快にワッハッッ!と笑います、私は心の中でもし自分が女に生まれていたらこんな感じの女性に成っていたのだろうか?と他愛のない話をしながら観察します、女性で在りながら何だか親分肌の結構男性的な雰囲気が窺えます,自分が男らしく在りたいとアピールする外面と相反して実は気の小さい部分を見抜かれたく無くて隠すような女々しいところとは反対の様相を呈しているようだと一人苦笑いです、私は別段知らなくても良いようなことを知ってしまい、見なくても良いようなモノを見てしまうところが在るようです、この女性にも実は同じような人間観察の癖があって、自分がもし男に~こんな女々しい奴に~と心の中で考えられていたかも知れません、そこは入り込めない他人の敷地なのです・・

 

 上手く説明出来るかどうか判りかねますが、普段知らなくても良いラインの向こう、意識する範囲の外、わざわざ確認の必要性を感じることのない部分を意識的に分析できてしまうと明らかになり、真実が露呈してしまうこともあるのでしょうが、適当かつ絶妙な距離を置いて有限のパターンが秘密裏に配分され無限のパターンに見せかけられているのではないか?という疑いを持っています・・まぁどうでも良いような話なのですが・・ モノ事のパターンってそんなに多くは無いのではないかと思います、例えば人を例にするなら、まず男と女の2つ、次は女々しい男と男勝りな女、男の中の男タイプと、女性らしい女の4パターンしかありません、組み合わせていけばほぼ無限のパターンでしょうが・・

 

 各々の事象で考えるとパターンは限られてきます、血液型も大きく4つ、肌の色も然りです、一人の肌の色も季節によって多少の変化があるものを、グラテーションの色の数だけ分類してみても意味がありません、せいぜい5輪の環の色でパターン分け可能だと思います、実は単純なパターン分けの産物を2~3箇所隣町に配置されてしまうと、出会いも殆ど無いし、よしんば出会ったとしても通常は記憶にも残らず通り過ぎてしまうのです、極端な話、5つ隣町に自分がもう一人いても気付かれることは非常に少ないのです、稀にどちらかの知り合いがそのどちらかの行動の動線と自分お動線がクロスして何処かで見かけてしまっても、その本人だと思うでしょうし、仮に話してみても他人の空似かで終わります、当然厳密に言えば決して
同一人物では在り得ないのですが、ギリギリまで本人と同じだとしても気付かれないだろうということなのです。

 

 始皇帝陵の兵馬俑の土くれの兵士の様に、厳密には一つとして同じモノが無いのですが、平坦な顔に髭を少し蓄え、同じ甲冑に身を包みほぼ全員同じ方向を向いて整列する状態で個性云々はナンセンスです、あれらは同じモノと言っても差し支えは在りません、違いがあるのは、歩兵なのか、卒なのか、将軍なのか、馬なのか、その他なのかの数パターンです、私が何を訴えたいかと言うと、もしかしたら・・・もしかしたらの話ですが、そんな配分のされ方でも平行世界が存在する可能性が在るのではないか?と言うことなのです、この世界は一筋縄では把握しきれないくらい複雑にかつ整然と配置されながらいい加減に誤魔化されている事実があるところは歪めません、それに少し時間の差を織り込まれてしまうと、殆ど解明不能になるでしょう・・


 今、我々が暮らすこの地球の中に実は天国も地獄も阿修羅界も畜生界他六界の全てが同時に存在し、例えばイスラム国の中にも自分の分身である同じパターンの人間が銃を手に持ち日々戦いの中命からがら走り回って阿修羅界を生きているかも知れないのです、そう考えれば他人事ではありません人々がテロや民族蹂躙や飛行機事故や震災などで数多く亡くなると何とも表現の仕切れない重く気だるく悲しい気持ちが沸いてきます・・もしかしたら自分の分身やその身内が犠牲になっているのかも知れません、戦争でどちらが勝っても負けても同じ感情が残ります、双方に分身がいたのかも知れません・・

 

 人類が誕生して現在その数は増えすぎています、その人口の何十人何百人は実はたった一人がその数だけの役回りを演じているのかも知れません、大自然は、これでもか、これでもかといって我々に学ばせようとしているのです、早く気付かないと2億年の繁栄を誇った恐竜時代が終焉を迎えたように、人類にもお空から巨大なプレゼントが届けられるかも知れません・・・かの笹川良一が戦時中にさんざん悪どく稼いだお金を人生の終盤になって奉仕の精神に目覚め、周囲の反対を押し切って莫大なお金をボランティアに投じテレビのCMに出て来て言った”地球は一つ人類はみな兄弟という”昔々のスローガンは本当のことなのかも知れないのです・・・