力仕事で毎日へとへとになっていた頃、お風呂から上がって夕食を摂れば、後は何をする体力も気力も残っていないので、明日の為に早々に寝床に入る、そんな生活リズムを繰り返していた時期がありました、ただ一つだけ,そのリズムの中に無頼漢のようなと言うか自分としたら迷惑極まりない事象が起こります、しかもほぼ毎日、身体は疲れてベッドの上仰向けに寝転がって動きたくも無いのですが、妙に意識がハッキリして寝付けない、すると時をおくことも無く、ゴォーっと風が吹き抜けるような耳鳴りが・・そしてグァンという感じのあと、ベッドから見上げる部屋の空間がうねり出します・・やばいまた来た!・・また何時もの孤独な戦いの始まりです、全身硬直して身体の自由が拘束されます、寝返りどころか足の指一本でも動かすことが出来ればこの呪縛から脱出できるのですが動かせない、枕の下に忍ばせた鋏も役に立ちません、南無阿弥陀仏と唱えても何の効果もありません、自分の意思だけが頼りです,とにかく心を平静にして落ち着くことが先決です、頃合をみてエィ!と動かしてみる・・駄目です・・何度かチャレンジしてるうちに、フッっとタイミングがあって、身体の何処かが動かせます・・成功です、呪縛が解けました、しかし油断は禁物です、このまま寝ると元の木阿弥です・・また必ず始まります・・勘弁してよ!まったく!と一人で愚痴を言いながら疲れた体と心に鞭打って起き上がり、部屋の照明をつけ、暫くベッドの上に腰掛けます、汗びっしょりになった身体をタオルで拭い、早くなった心臓の鼓動を落ち着かせます・・
最近でこそ、この現象は脳が覚醒して身体が眠っている時、所謂、REM睡眠中に起こりうるモノだと理屈が説明されていますが、当時はそんな理屈は知らなかったし、理屈そのものも無かったかも知れません、たとえ知っていたとしても、枕の下の鋏と同じでしょう、その状態から逃れる助けにはならなかったでしょう、毎日こいつに悩まされます、しかもこいつは、強弱を変えながら私の部屋に不法侵入してきます・・ある時は呼吸困難に陥るほど危ない状況にも苛まれます,この状態は夢を見ている時と同じような時に起きますので、様々な幻影を見ることもあります・・ ある時は枕元から体格の異なる3人ほど暗い影が正座して私を見下ろしています・・しかしベッドの枕元にはそんなスペースはありません・・そんな実証検分は後のことで、ただひたすらに恐怖からほうほうのていで這いずってでも逃げ出します、しかし逃げているのは気持ちだけです,本人はほんの1cmも移動していません、脱出できるまで恐怖心も加味されます、ある時はその状態で誰かに見られている強烈な視線を感じます、確実に誰かに見られています、その状態でも唯一目玉だけは動かせるのでそちらの窓の方を視ると窓は閉められています・・その横の壁に大きさが40~50cmはあろうかと想われる大きな目が一つ私をにらんでいます・・ゲッ!何これ!・・夜毎趣向が変わったショーが繰り広げられます、疲れて早く眠りたい独身男の殺風景な部屋で・・
こんな事象が毎日繰り返されるので、変な表現ですが終いにはそれに慣れてしまうというか当たり前のことになっていました,決して気分の良いことにはならないので嫌ではありましたが・・こんなことがありました、何時もの様にベッドで仰向けに寝ていると,こいつに襲われます、身体が硬直した状態で全身全霊の力を込めて、腕を動かします、しかし簡単には想いどうりになりません、今日は負けるものかと、右腕に力と意識を集中させ、まさしく力づくで右手を持ち上げます、すると次の瞬間スッっと軽く右腕が上がります・・やった!と想ったのも束の間、独特の空間の歪みというか、捩れというか、状態が戻っていません、うそっ?と右手を視ると確かに持ち上がっています、あれっ?と違和感があるので良く視ると、なんと右腕が透き通っています、何とも50%位の透過率です、何だこれは!と、元右腕が在ったところを恐る恐る視てみると、なんと右腕はそのままその位置にいらっしゃいます、やばっ!訳は判らないがとりあえず元に戻そうと右側に体重をかけて意識で押さえつけます、全身全霊を込めて・・どうにか右腕が戻せたと思ったと同時に、今度は左腕がスッと上がってしまいます、これは大変な事になったと、左右同時に押さえつけると今度は両足が同時に・・必死で元に戻そうとするのですが、上半身がスッと・・上がったと思ったらズッズッっと天井が近づいてきます、エッ?エッ?どうしろというのだと半分やけに成りながらも、悪い予想が当たるような心持ちで、恐る恐る振り返ると、案の定いらっしゃいますベッドの上に仰向けに横たわる私の抜け殻が・・・
おかしな話ですが、こんな状態にも度々経験する内に、慣れると言うより余裕が出てきます、身体自体は動くというより逆に軽い状態なので、焦る気持ちさえ落ち着くと返って自由が利きます、しかも空中を飛べるというより這えます、抜け殻の私とはハッキリ目には見えませんが繫がっているようです、そうだ今日は窓の外に出てみよう!と2階の窓から少し飛び出ては不安になって戻ります、そんなことをしている内に、今日はどこまで行けるか試してみようと冒険の開始です、2階の窓からその高さで空間を掻き分ける様にバランスをとりながら進みだすと、表通りに出ます、通りを進み十字路を右に方向変換し、50メートル、100メートルと進み150メートル辺りに到達する頃にゴッーっと風の音と言うかコラーと怒られている様な感じと共に耳鳴りが強くなり、急に下手をすると戻れなくなるのではと言う命の危険を感じる恐怖の猜疑心に襲われます、ほうほうのていで自宅に戻り、余り調子に乗ると、取り返しの付かない事態も有り得ると冒険は慎むようになりました・・・この経験は幻覚だと言われればそうかも知れません、しかし私は変な薬を使ってもいません・・夢だと言われれば夢なのでしょう!私は実証する証拠も残していませんし、たとえどうで在ったって私の人生にはあまり役に立ちそうでないし、私自身、実際の経験と幻覚の中間くらいにその記憶を置いています、しかし通い慣れた近所の通りを2階の高さから眺めた景色はあまりにもリアルでしたが・・
トワイライトゾーンという名の映画を見たことがあります、草木も眠る丑三つ時の真夜中ではなく、夕方、辺りが暗闇に包まれつつある時間帯や昼間でも霧に包まれてモノの輪郭が滲んでどうもハッキリ判別が付きにくい状況の中の出来事を題材にしたホラー映画でした、人の目は元々正確無比なモノでは無く、イメージで目に飛び込んできた光の情報を適当に脳が判断することもあります、例えて、樹木の幹に凸凹があり、その凸凹のたった3つの位置関係をたまたまそう視えるかもしれない角度から視て、木の幹に霊が浮かびあがっていると言う人もいます、完全に錯覚ですが、人間の目にはそう見えてしまう様な、機能があるのです、機能があるという表現を使うのには、私には人間に備わる機能は何か意味があって備わるのであり、全く要らないモノは無いのでは無いかと考えがあるからです、ただその機能の使い方を知らなかったり、間違って使っていたり、想い込みで正しく判断しきれてない可能性もあるのでは?と言うことです。
旧約聖書ではこの世は暗闇から始まったと設定されています、中国の古典では混沌から始まったとします、私は全く個人的な見解ですが後者の方の考えかたを支持しています、この
世とあの世、今いる宇宙と隣の宇宙、現実は時間を含めた4次元空間でしょうが、その境目は、とても苦し紛れの表現の例えになりますが、大きな水槽に様々な成分を混ぜた混合液を満たし、その中間辺りをごくごく薄い浸透膜で仕切ります、混合液の分子たちはそれこそ自由な方向に運動しています、どちらの方向からも分子が浸透膜にぶつかり、浸透膜はさながら凸凹の状態に揺らぎます、ある小さな分子は浸透膜の小さな穴をすり抜けて移動もします、実際のトンネルではなく、もっと高次元のルートで行き来しているのかも知れません、この浸透膜が揺らいでいる状態を一気に空間の次元を上げて想像してもらえたら、おそらくそれがこの宇宙の混沌です、そして変化が起こります、漂う宇宙同士がたまたまぶつかるのかも知れません、たまたま一つの揺らぎが大きく成長するのかも知れません、何かの変化で新しい宇宙空間が誕生し、我々はそこに暮らしているのかも知れません、私はその我々自体一種の揺らぎだと思っていますが・・・
目に見えるか見えないか、現実か非現実か、ハッキリしない混沌の中で、とても不思議な現象が起きていたりするのかも知れません、起きているとも起きていないとも、誰にも断言できません、実は現在の科学や、理論物理学でも、本当のことの結論は出せないのが実状です、実証実験の結果から恐らくそうで在るまいか?と推定するのが精一杯です、でもそんな事は知らなくても生きて行けます、いい加減なモノをいい加減に判断し解釈する為に、錯覚とかのいい加減な機能を使えるのかも知れません、そのいい加減な機能の使い道のレシピに大変興味があり可能性を感じています・・・