人は感情の動物です、喜怒哀楽、何をした訳でも無いのに文句を言われることもあります、文句を言われるのが好きな人もいないでしょうが、文句を言われると腹が立ちます、そしてそれが言われなき言葉の攻撃だったりすると怒りの感情が湧きます、そんな感情を気持ちに溜め込むことは出来ないので吐き出そうとします、攻撃してきた人に攻撃し返したり、違う方向に向けて吐き出したり、上手にコントロールできる人もいれば出来ない人もいます、コントロールを間違えると最悪暴力から傷害に発展する時もあるでしょう。言葉による攻撃、毒舌は充分暴力なのです、いきなり暴力を振るわれると人はとっさに受けるか、身をかわすか、暴力を返すか、身体の危機感に対する防御をとり、身を守る為に返す暴力は正当防衛と判断され罪にならないこともあります、しかし返しすぎると過剰と判断され罪を問われることもあります。
最初に文句を言われることが無いとこんなややこしい事に発展することも無いのですが、毒舌を吐く側にも事情があるのでしょう、もしかしたら精神的に病んでいるのかも知れません、しかし吐かれる側は吐かれた瞬間対処に迫まれてその人の事情を推し量る余裕なんてありません、どうにかして防御体制をとりその次の対策を考えることと成ります、いずれにせよまともに受けることは得策ではありません、毒舌を吐く人はその毒で傷つけようとしていますから先ず傷つけられないように防御対策をとります、普通自分が吐いた毒に毒されますからエスカレートしますそんな相手に言い返しても無駄です、火に油を注ぐことにしかなりません、適切な言葉が見つかるまでは相手にしてはいけません、怒りは喜びの反対の感情なので怒りの感情が湧くときは喜びの感情で打ち消せるのかもしれませんが、怒りが出ているのにそんなに簡単に喜べません、先ず怒りの感情を消すことが先決です・・・・
私は昔、親父に連れられて、大峰山かどこかで修行し、権大僧正(壁に認定書が貼られていた)かなんかはっきり憶えていませんがそんな資格をお持のお婆さんの先生に視てもらったことがあります、その先生は信者の会なんかもある信望のある方でしたが、自宅は古墳の環濠池のほとりにあり先生のすわる席の後ろの窓からは古墳が見えました、古墳を背にして色々なアドバイスを受けるのですが、先生が何かおっしゃる度に、後ろの窓にヤモリが張り付くのです、先生のお話が終わる頃にはその数が10匹以上になっていました、私にはそちらのほうが気になってしまい、深く印象に残ってしまいました、先生は最後に半紙にアドバイスを書いてくださり、お前は気が小さい、そんな肝っ玉じゃ最近の女の子とまともな恋も出来んかも知れない、といいながら「気を大きくもて!大師様に参れ」実はもう一度お訪ねした事がありその時は「氏神様に参れ毎日!」と書かれた紙を頂戴しました。
先生のお勧めだから無視することの出来ない気の小さな私は高野山に・・・平安の昔、たった一人の空海の発願で開かれた聖地は今では世界遺産に登録されるほど寺院の数の規模に発展し全国の現役の僧侶の修行場として空海(弘法大師)の志は脈々と現在も引き継がれています、中の橋かどこかの駐車場に車を止めて徒歩で参道を歩くのですが、参道の両脇には伐採を禁じられた杉の大木が延々と続きその間には歴史的偉人の墓が苔むした状態でその自然に融けこんでいました、本堂に近づくにつれ線香の香りと相まって神聖な雰囲気になってくるのですがその手前に比較的新しい企業の慰霊碑やモニュメントが目に付きだします、あの有名な企業もお参りし願を掛けたり関係者の慰霊の為に大師様のお傍のこの決して安くない場所にお金を掛けているんだと感心していると、なんだか自分のちっぽけさが馬鹿らしくなってきて、こんな大企業や歴史的偉人も基本的には自分と一緒で気の小さいところを持ちながら大きいことを成し遂げてきたんだと思えるようになりました・・・
もう一つの氏神様も私は参りました毎日、雨が降ろうが槍が降ろうが昼間であろうが夜であろうが毎日と言えば毎日です、お参りに行って何をお願いするでもなく、いくばくかのお賽銭を奉じ、掌を合わし、あちらの社、こちらの社、拍手を打ちながら毎日、私が根を上げるまで・・
10ヶ月以上は通いました、通えば通うほど私の環境は悪くなっていくというか何と言うか、お前が受けてくれるならもっと荷物を乗せてやるてな感じで余りに辛いのでギブアップしたと言うのが正直なところです・・・
神社が建てられる場所はその地域では最も良い位置で、大昔から自然が保護され、社の神聖さも相まって清浄かつ静かで落ち着いた空間に保られています、そんな環境の中にほんの短い時間でも毎日、何のお願いをすることなく、逆に何も考えることの無い時間を持ち、恐らく頭を空っぽにする練習をしていたのかも知れません、神社の神様の声が直接聞こえたことはありませんが、そのお参り以降、私のモノの考え方は少し変わりました、それまでは問題、難題に混乱しある時は感情的になったりもしましたが、一度全ての頭を悩ます事象を頭を空っぽにする事で消し去り、冷静になって改めて問題、難題に向き合うと解決の糸口が見えてきたりするのです、そして上手に立ち振る舞うことで問題は解決するのだと自覚しました、これは毎日お参りに行った成果だと思っています。
子供がものもらいに罹ったことがありました、眼科に連れて行ってもそう診断され、子供だからと言うことで抗生剤はひかえられ抗菌剤を処方して頂きました、一日4回点眼してあげて下さいと言われたのでさしてやろうとするのですが子供が怖がって目を開けてくれません、ものもらいでも状態を酷くしてしまうと治癒するのに何週間もかかり子供の為だと無理やりさそうとしても今度は大泣きされもっと酷い状態に・・一度頭の中を空にして対処することに、そうだ調べてみようとググると、やはり同じような悩みを持つ親御さんが・・その中で対処法を一つ二つ発見し試してみることに・・先ずまぶたをそおっと綺麗に拭いてあげます、次に目は開けなくていいよとつむらせたまままぶたの上に目薬をさし、もういいよと開けさせます、開けた瞬間お薬が目に流れて込むすんぽうです、パパ全然怖くないよと次からは自分から点眼に協力してくれ短期間で直すことが出来ました。
怒りにまかせて毒舌を吐かれても最初はまともに相手せず、先ず自分が冷静になり、ほとぼりが冷めるのを待ち、もし自分自身の毒で自分が毒されるのを少しでも和らげてあげようと思えるなら何か方法が見つかるかも知れません、すごく良い方法が・・・