スペインの首都バルセロナにあるサグラダ・ファミリアは130年以上前に着工され未だに建設中です、世界遺産に登録され、未完成の設計を引き継いだ9代目の設計者が後援者の応援や建設技術の進歩のおかげであと10年ほどで完成すると発表したそうです。代々作業を引き継いで完成する建築物は今も既にそうですが世界的な歴史建造物となるでしょう。

 

 信念は岩をも通す。ノミと鎚で岩盤を手で掘り、力尽き止まった作業の志しを息子が引き継ぎ、ノミと鎚で岩盤を手で掘り、力尽き止まった作業の志しをこんどは孫が引き継ぎそれでも駄目ならひ孫が・・そんな繰り返しで開通したトンネルが日本のどこかにあるそうです親と子供は身体はそれぞれ別に持っていますが、私は人間って子孫を残すことにより悠久の時間にも繋がることが可能な長いものじゃないのかと感じる時があります、実際は代々両親がいるので網の目でしょうが、親と子と孫とその家系に脈々と続くこのトンネル彫り似た作業があるというか課題があるというかそんなものがあるのでは?と感じています。

 

 親と子供は少なくとも半分は共通した遺伝子なので、どこか似ています、顔が似たり体型が似たり、勿論親は二人なので両方を併せ持ちながら、考え方もプロセスが違っても似てくるのではと疑っています、親のモノの考え方や教育は必ず子供の心の中の裁判所の超自我に働きかけますし、両親自体も全くの偶然の組み合わせて決っているのではないと思ったりもします、例えば身体が小さい親はそのことにコンプレックスがあり身体の大きい配偶者を無意識に選びます、逆だと身体が小さいことに起因する敏捷性欲しがると言うような遺伝子同士の引合と言うか、これは身体の大きさだけではなく、色んな因子が引き合うような気がします、美しさ、性格、知能指数、経済能力・・・親子関係は例えば三毛猫の遺伝子がメスオスを決める最後のX、Y遺伝子の違いの部分にあり、メスからにしか発現されないといったことや、おそらくオスだけに発現が伝えられていくものもあるのでしょう。

 

 親がこうして失敗したからそれを知り得た子はこうするという反面教師的な伝わり方もするでしょう、例えば判子作用と言うべきか親が押した判子の印影をそのままつくと鏡像のように左右逆になり、その印影をつくと元の親の印影に戻りながら伝わります、オセロの駒のように裏表のどちらが上面かで見え方が違っても実はその駒そのものは一つであり、裏表選択される駒そのものが何かの事象におきかえ例えば親がこっちから掘れば子はあっちから掘るとかみたく逆方向のアプローチはあっても相手にしているトンネルを開けるべき対象の岩山という事象、仕事、試練は一つなのじゃないのか?ということです。

 

 だから親子という時系列で試練を伝え、配偶者の選択によりその試練に向かう手段の可能性を増やしながら家系という長い生き物はこの世界に存在していくのかな?・・何か上手く説明が出来ないのは、お釈迦様に聞いても捨て置かれ回答してもらえない命題かもしれません・・・