寓話や昔話の中には子供達が読んだ後にそれとなく道徳と言うか教訓と言うか余韻が残るように上手に仕込まれていたりします、悪いことばかりすると罰を受けるとか正直者か最後に得をするとか、大人の社会の現実に照らし合わせると少しずれてしまう場合も無きにしも非ずですがそれでも子供が自分が感じ学んでいく過程においては奨励されるべきです、子ども達にいきなり世の中の狡さや裏の裏から教えることも可笑しな話ですし、勧善懲悪からが入るのが無難です。
本当のところはどんな人にも通用する教え方なんて無いかもしれません太りすぎた人には節制しなさいでしょうし、痩せ過ぎの人には沢山食べなさいとなります、過ぎたるの及ばざるがごとし、過ぎの部分を減らし及ばない部分を補う報せ方を選べば外さないかもしれません、昔話の中でも正直爺さんの真似をしても意地悪爺さんは失敗します、正直爺さんには正直爺さんのプロセスがあり意地悪爺さんには意地悪爺さんなりのスタイルが
あるのです、生きてきた環境が違うので当然その環境に育まれた人格は異なることになります、これは親子兄弟であっても同じ理屈です、それぞれの人格に合わせた処方が必要で世の中に全ての病に効く万能薬などありません、しかし大多数の人に効果が見込めるという寓話や昔話のようなやり方はあるでしょう。
ピッチャーが正確に制球しボールを投げてもキャッチャーがよそ見していては捕球できませんキャッチャーが集中して待機していても、ピッチャーにあさっての方向に暴投を投げられたら
同じく捕球できません、野球の場合ではその間にバッターが介在し、もっとややこしくなります。
仁という概念があります、私個人的には男女間に必要なのは愛よりもこっちじゃないかなと思っていますが・・人が二人で仁、一人の時には必要ないが二人以上の人間関係で初めて必要になってくるもの、自分の立場だけ、相手の立場だけでは上手にコミニュケーションとれません、ある時は歩み寄り、ある時は譲り、眼をつむり見ないことが必要な時もあるでしょう、仁には漠然と優しさに似た先入観があります、実際の人間関係では強く主張することも必要な時もありますし、ある時は怒ってもらわなければならない時もあります、エゴが凝り固まった現代人には必要な概念かも知れません