高校時代の学園祭で軽音部に友達がいた関係で出し物を見学したことがありました。何曲か発表していましたがその中でもアリスの曲が印象的でした、ただでさえ女子にモテるタイプの男がギターを演奏しながら歌います。私は当時永ちゃんとかクールスとかヤンキー系に傾倒していてアリス自体は個人的に余り関心が無く、何だやわな歌歌いやがってぐらいに感じていました、しかしこの男たちは同性から見てもとても格好良く歌い、目の前の生演奏は迫力もありました、観客の女子たちからは「キャー!」って奇声まで飛び出すぐらいです。曲目は確か(狂った果実)でその曲の歌詞の中で(中途半端じゃなけりゃ 生きられない それが今~)というフレーズがどうしても気になりその後も長く頭に残っていました。何故?どうして?その回答が自分自身で納得できたの10数年後の事でした。

 

 谷村新司がどうゆう発想のもとこのフレーズを採用したのかは本人に確認する必要がありますが、その後も数々の名曲を残し、人々の心に訴えかける詩を沢山作詞しています。この才能豊なアーチストは決して中途半端ではありません、勿論プロだから努力もしたでしょうが普通の男でないからこそ、普通の男にないたいと思ったときもあるのかも知れません、歌手に芸能人になってしまえば回りは誰も普通に扱ってくれないでしょう、また才能のある人はその才能を使い切る人生を余儀なくされるのです、その才能があるが故に平凡には生きられないのです、平凡に生きる権利があるのはこの世の大部分の普通の人なのです。

 

 この国も法治国家ですから一握りの為政者と大多数の一般国民とで構成されています。為政者が自分の資産で国民を食べさせると言うことは絶対にありません、国民から税を徴収する様々なシステムを造り、集まったお金の中から予算を組み必要経費に配分します。勿論為政者たちの報酬もそこから出ます。ただ国民の中には働きアリの社会の様に何も生産的な活動もすることのない個体も何かの必要性で数割はいるかもしれません。しかし一番人口の多いところの普通の国民は様々な税を徴収されながら毎日せっせと働きこの国の屋台骨を支えているのです。ここが大事です大多数の国民に自らを中流階級だと誤解させ、この階級の暮らしより悪い外国の国民の情報をわざわざ流して優越感をもたし、自分だけ目立つことのないように学生時代は学生服、社会人になればどぶねずみ色のスーツ、猫も杓子もルィ・ビトン(古い?)個性を発現することをまるで罪悪のように教育されます。これを愚民政策と呼びます。外国からは顔のない日本人とか揶揄されます。

 

 このシステムは国の統治には大変有効なので、いわゆる普通の一般国民にはそれなりの優遇措置も準備されています。社会保険や年金の支払の半分を企業に負担させるとか、最低賃金を保証するとか、様々な義務に伴う権利を保障されています、誰もが選挙権を持ちますし、その気になれば出馬することも可能です、しかし本当に出馬しても地盤を引き継いだ息子には叶いませんし、勢いのある政党の人気に乗っかって当選できても、何の仕事も出来ず多数決の頭数の一票にしかなれない現実を思い知らされ淘汰されてまた普通の国民に戻ることは間々あります。

 

 日本も60年安保闘争の時とか大学生たちが国や政治のあり方や矛盾に真っ向から反対し大規模なデモで自分たちが社会を革命して変えるんだと意気込んだ時代もありましたが時の為政者は徹底的な赤狩りの名の下、力づくで抑え込み骨抜きにしてしまいました。私は決して昔のような学生運動や過激な行動をする極右や極左の運動を奨励も支持もするつもりはありませんが、日本の大多数のマジョリティは欅坂46のデビュー曲にもあるように言いたいことも言えないなら何の為に生まれてきたのか分かりません。と言って日本に住む少数民族に対するヘイトデモに参加するのも方向が違います、これは逆に為政者が社会の矛盾や生活が一向に改善しない不満の捌け口が自分たちに向かない様に一部後押しされ黙認された部分がありました、まさしく愚民政策なのです。

 

 日本の大部分の普通の国民が経済大国日本を創り上げたのも紛れもない事実です。政治家じゃありません、この勤勉で優秀な国民なら誰が統治しても上手く行きます、おそらく日本は世界で一番統治しやすい国だと思います、下には強く上にはからっきし何も言えないボンボンでも勤まる政治家に丸投げして幾ばくかの飴を舐めさせて貰って納得するのではなく、本当に言わなくてはならないことを、堂々といえる世の中にみんなで変えていきましょう、一人ひとりが端末から発信していくといつかその流れがまとまり、束になって勢いづくことを信じています、みんなでやったら怖くない、我々は愚民じゃない!だって平凡で普通な中途半端が一番強いのだから・・・