昔母方の祖父母のお墓を移設したことがありました。私は外孫ですが親戚中の誰よりも祖父の遺伝子を受け継いだみたいで小さい頃よく可愛がって頂いたこと記憶しています。祖母はとても行動力と商才がある方で祖母いわくジジイとドラ息子が持って行かなかったら一財産築けたのにといっておられました。子供に負担を掛けるのが嫌でJR横の村中の墓地に生前に自分たちが入るお墓を準備されていました、墓石を置いたら一杯になる聖地でしたがうちの祖父母のお墓参りの帰りに参りできる位置に在ったので母親は何時もかけもちでお参りしていました。
母親にするとこの祖母は人生の師匠のような存在で何時でも目標にし、お手本にしていました。女性ならもう少し楽に生きる方法があったとも思いましたが、頑なまでスタイルを守り続け買ってでも苦労する人でした。
JR線のすぐ横なのでお参りするたびに水受けに溜まる真っ赤な錆を落とすのが大変でまた手を合わす場所も1人が前にしゃがむと他の人はよそのお墓の前から手を合わすと言う窮屈さはありました、誰が言い出したのか田舎のお墓は曽祖父のお墓の下に祖父の兄弟のお墓が並び祖父が入るスペースもあったし亡くなってかなり経つし移設しようとなったのです。私と母親、母親の姉、母親の妹、母親の弟夫婦がメンバーでした。
その時にお経を読んで頂いたお坊さんがとても気さくな方で後家の叔母さんにHなことを言って鹹かったり、いやぁ破戒僧だなぁと感じていましたが、いざお経を読み始めるとびっくり仰天!私はお経を聞き分ける力なんて持ち合わせていませんが木魚に合わせたそのリズム感!心に響いてくる節回し、これぞ本物と素人の私を感動させました。一通りの作業が終わりみんなで食事することになり、色々な話を聞かせてくれました。
先ず鹹かった叔母さんに「広い川に掛かる橋の上で何をぼーっと眺めているの?」おっしゃい、言われた叔母さんは目をぎょっとさせました。そこは亡くなった叔母さんの旦那さんが何時も腰掛けて大好きな釣りをしているのがよく見えるところで、寂しくなると時々1人来ては思い出に浸っていたそうです。お坊さんはもっと気楽にざっくばらんに生きようよという意味を込めて鹹かったというよりも・・・
このお坊さんは物心付いた時から寺に預けられその道一筋を歩んでこられたそうです。昔は沢山いらしたらしいのですが、かなり以前に京都のある有名な仏教団体の招待を受け行ったことがあってその時に風変わりなお願いをされたそうです。ある資産家の檀家の当主が原因不明の病に罹りどんな医者にかかってもダメで、名のある先生のご祈祷を受けても治らないといいます。しかしそんなわけの分からない人を一体俺にどうしろと言うのだと思いながらも連れて行かれたそうです。
すると聞かされたとおり、顔色の悪い人が病床に臥せっている、その時何気なく天井が気になり、「あそこの上はどうなっているの?」と気になる天井を指すと「あそこの上は天井裏です、見られますか?」というので「見ていいですか」となり登っていったそうです。すると気になっていたところに何か気になるものがあり「なんだこれ!」と取ったそうです。降りてくると「なんかこんなものあったから取っときましたよ!」とそれを渡すとその日から当主の病状が嘘のように回復して行ったそうです。「俺たいしたこと何もしてないんだけど」でも関係者は大喜びで何かお礼がしたいが現金をお渡しするのも失礼だし、これでも貰ってやって下さいと貰ったのがこれと!お坊さんが左手を挙げるとそこには金無垢のロレックス、「これ高いそうだね?俺は時間が分かればそれでいいんだけど、他に無いし、しまっておくのも何だし」とおっしゃいました。
そうそうこんなこともあったなぁ!と言われた話は、そこも大きな団体の本庁みたいなところで境内を案内されていた時、何人か横に並んで歩いていて自分の歩く先を木の枝が下がっていて首を傾げるとその枝に柿の実がなっていたんだよ!何かとても美味しそうなので手で掴んで捥ぎると袖でキュキュっと磨き齧ってみるとなんとも美味しい味だったんだが、それを見ていた人が「仏に仕える人が仏の庭になる果実を捥ぎって食べていいのですか?」というので
たかが柿一つのことでうるさい奴だと思いながらもこう言ってやったんだよ「仏の庭を歩いていて自分の歩く道の頭を掠めるところに柿の実があったなら、これは仏が自分に食べろと見せてくれたかもしれないのに、それを食べないということは仏の意志に反する、仏に仕えるものとしてそんなことは出来ない」と言うと「先生!おみそれしました!」ってなことになり、それから後大変だったよ・・俺は美味そうだからとって食っただけだったんだけど・・・
徳を積んだお坊さんというより生まれながらに仏とともにあることを定められた人は、何をしたって仏の理に叶ってしまうのかも知れません。