神戸に本拠地のある暴力団が日本で最大の組織に勢力を拡大する課程で確実にその役割の一端を担い他組織の縄張りに切り込んでいった殺しの軍団と恐れられた団体がありました、この団体の組長は日韓併合時代に釜山から大阪に移住し太平洋戦争が開戦すると家族で大分に移住し、終戦で帰国直前に喧嘩に巻き込まれて逮捕され家族と離れ、1人日本に残ったそうです。身寄りもないので以前知り合った同郷の仲間がいる大阪に戻り、食う為に愚連隊になり闇市でトラブルを起こし逮捕服役し出所するとその筋の世界の人になったそうです。
その稼業の常道を進み逮捕服役を繰り返しながらも10倍以上の差のある抗争で勝利したりして悪名を上げ同じ半島出身者の団結も相まって全盛期には2000人を超える組織になったそうです。その数と団結力に神戸の代紋の力と殺しも厭わないやり口で北陸、東北、北海道まで勢力を伸ばし警察の威信を掛けた取締りターゲットになり二次団体でありながら広域指定を受けたり、この団体だけで160余名の逮捕者が出たそうです、組長自身も恐喝事件や前科もあって拘束されました。
ただ、収監中突然自身の引退と組の解散を決意しました。が結局組は同郷のナンバー2に譲り自身は引退となりました。この組長にすればその時代の極東アジアの情勢に翻弄され身寄りのない寂しさと喰わんが為に団結してライバルを潰していった、相手も自分と同じ渡世の人間でやったりやられたり譬え相手を殺してもそれは弱肉強食の世界のこと、これっぽっちも悪いと思わなかったそうです。筋金入りの極道ですから警察がいくら説得したって聞く耳を持つ組長ではありません。連日のようにその団体の抗争は社会面を賑やかしていました。
そこに同郷の少女(今で言う在日)から収監中の組長に一通の手紙が届きます。
内容は「おじさんもう悪いことはやらないで下さい、おじさんの為に私たちがいじめに会い毎日泣かされています」組長にとっては衝撃的な内容でした、男気だ任侠だと偉そうな事を言っても自分たちの行為がいたいけの無い同郷の少女にとってはただ虐められる原因でしかなく、泣かしていたと言う事実を初めて知り、沢山いたであろう少女と同じような被害者に申し訳なく思い引退を決意したそうです、結果勝手に決めたことで破門、絶縁となったが出所後は親善協会を作り堅気になったそうです。
和歌山では小学生の教科書にも載るくら有名な人らしいですが李真栄・梅渓という親子がいます。父の真栄は秀吉の朝鮮出兵文禄の役の捕虜として名護屋から大坂に連れてこられ農家で下僕として働いたが紀州の商人に売られ播磨の西松江村へ、そこで偶然に朝鮮人と出会い和歌山の海善寺へそこで見初められ仏教を研究その後、大坂で儒学の塾を開くが大阪冬の陣を避けて再び和歌山へそこで私塾を開いていた時に宮崎三郎右衛門定直の娘と結婚、長男梅渓を設けた頃、頼宣公(8代将軍吉宗公の祖父)が初代紀州藩主として紀州入国、藩の人材に儒学の侍講として登用されたそうです
李真栄の一族は名家と言うことで李 方子さん(旧大韓帝国の元皇太子で日本の王公族となった李垠の妃)が和歌山に来た時は親族の全州の李氏かも知れないということで墓参したそうですが実際 真栄自身が残した家系図は地方豪族の陜川李氏のものと合致しました。和歌山城の裏正面にある岡公園に海善寺住職の故田村歓弘住職の発案で建立された顕彰碑には韓国や日本から一族が多く賛同しその建立に立ち会いました
この親子が有名なのは父真栄の数奇な運命と業績にもありますがなんと言っても長男梅渓
の書があっちこっちに残っていることです、その中でも有名なのが父母状でこれは紀州入国した頼宣公が時の紀州の現状を憂い道徳の基本となる学が無くても理解しやすいものと言うことで作成を指示し出来上がった文章を梅渓が書にした紀州藩の憲法とまで呼ばれた文章です。紀州出身で徳川中興の祖となった吉宗公の基本理念の基となりました。
紀州入国した頼宣公が憂いたのは一つの親殺し事件だったそうです。とても乱暴者で手をつけられない親父を息子が殺してしまった事件でした。当然しょっ引かれましたが息子は悪びれることなくあんな悪い親父は殺した方がみんなの為だと言った為です。親殺しは重罪で即死刑ですが、このときは頼宣公の命で充分道徳を教育し自分がしたことがいかなることか時間を掛け教えたそうです。息子は初めて自分のしてしまった事の大罪を理解し、自ら望み死刑になったそうです。
この父母状は明治時代になって教育勅語が発布されるまで日本の道徳の基本として教えられたそうです。罪を犯すことは悪いことですが、何がいいか悪いかを教えてやらないのも悪いことなのです。
どんな為政者が一番悪いでしょう、おそらくその為政者のために人が沢山死んでゆく為政者が一番悪いでしょう、太平洋戦争で日本人の死者は2つの原爆の犠牲者を合わせて多く見積もっても300万ほどです、物凄い数ですが、毛沢東の文革時代は4~5000万人以上殺されています。特にその中でターゲットにされたのは伝統文化の師や儒教、道教、仏教の伝道師、先生と言う先生は難癖つけて殺されました、清の時代、世界の列強から国がハゲタカの頭のようになった原因の一つとして一方的に決め付けられ粛清されました。
その後中国はどうなったでしょう、恥も外聞もなく、利己主義に陥り、周囲の国が弱いと見ると我が物としています。個人レベルでも然りです。原因は道徳を抹殺したからにほかなりません。しかしこのやり方は時の日本他、列強国から教わったのです。でも悪いことは悪い、もちろん何が善くて何が悪いか、一概に通用しませんが、やはり人が沢山死ぬことは悪なのです。中共は多少減ってくれた方が統治しやすいくらいに考えていますが・・・
ずいぶん前の仮面ライダーの話ですが鎧武というシリーズがありました。子供に付き合った関係で観ていましたが、なかなかよく出来ていました。制作担当の虚淵元(この時始めて知りましたが)登場人物を死なすシナリオが多いそうです。虚淵が作品に対して、自分が仮面ライダーを制作するに当たり、いくら子供向きだといっても通り一編の、悪いことをせずに良い事をしようね!なんてストーリーは真っ平だと考えながらも落とし処が決らないままシリーズの終盤に差し掛かると、筆が取り憑かれた様に運び、自分自身でこの部分の為に自分は仕事を引き受けたと納得できる達成感があったそうです。どの部分かの説明はありませんでしたが次の部分かな?と想う部分は
仲間を裏切り、悪い事をしてでも好きなヒロインを自分のものにしようと敵と組んだが結局その敵に裏切られた時に浴びせられたセリフは「お前みたいな悪い奴は俺みたいなもっと悪い奴の格好の餌食となるのが世の慣わしだ」みたいなことを言われました。的外れの可能性もありますが勝手になかなかいいストリーだなぁと少し感動してしまいました。あと何箇所かいい場面がありましたが・・・