昔、村の中に拝み屋さんというか霊能者というかお婆さんが1人で住んでおられました。うちの両親が営んでいたお店に土地の巳神様をお奉りしていて諌めて頂いていた関係で両親とも何か問題があればお伺いを立ててもらいに通っていたことを記憶しています。
ある日のことそのお婆さんがうちの巳神様のお祭りの日に祝詞をあげに来て頂いていた時のことです。叔父さんも手を合わせに社の前にきてお婆さん(叔父さん達からはおばさん)の前に立った時、お婆さんがいきなり自身の左手の小指を庇う様に押さえ「痛い!あんたその右手の小指どうしたの?」と言うと、おじさんが「えっ!仕事疲れかこの間から腫れて痛みます」答えました。何か痛みが瞬時に叔父さんからお婆さんに移ったように思えました。
お婆さんの若い時の容姿は見たことは無いですがお婆さんになっても目鼻立ちが整っていたので綺麗な人だったのかも知れません、私の知る限り神様系のお仕事に携わる方はとても純粋で印象的に子供のような無邪気さを感じることが多いです。このお婆さんも何とも可愛らしい表情をお持ちでした。恐れ多い神様もこの無邪気さの持ち主に対しては『よきにはからえ』と障りなく仕事を受け入れて戴けるのかなぁとも感じます。只お婆さん自体は身内がいても一緒に暮らすことが叶わないそうです。神様がきついので最悪連れて行かれるそうです。
心が純粋で、先入観を持たず、そして我を消して空っぽの心で人に面した瞬間、自分自身の心の鏡に前にいる人が映し出され色々な事が見透かされてしまうのかも知れません。
右手の小指が痛いのに左手の小指を押さえるのは鏡像効果でしょう。只この事から「えっ!痛みって空間を飛ばせるの?」という推論になります。
そもそも痛みという感覚は脳が自分の身体を守る為に、被害を最小限に抑える為に感じさせます。だから守れる許容範囲を超えてしまう負傷をすると漠然と熱い感じがあり痛みそのものはあまり感じないそうです。脳が負傷の度合いを判断し、耐えられない痛みで気絶し、そのまま出血多量で絶命させるよりも、痛みを抑制するドーパミンとかの脳内麻薬を分泌し、意識を堅持させて止血とかの応急処置を施す時間を稼ぐことで命そのものを守る選択をするのかも知れません。後々病院のベッドの上で緊急救命処置が終わり薬が切れると患部がとても痛み出すそうです。
この辺の流れを充分に理解すると痛みをコントロールすることが出来ます。実際、肋間神経痛とか腰痛とか神経系の痛みは(元々全て神経系ですが)ちょっとした身体のねじれで激痛がはしります、余りに痛いものですから痛くない方向に身体を向けようとしますがまた激痛!終いにはその激痛の恐怖感に苛まれ、起き上がることさえ躊躇う様になります。しかし立ち上がってしまうとそれ程痛まない。実際には大した原因が無いのかも知れません。
痛むと想うから庇う、庇うから歪む、歪むから凝り固まる、変な状態で動くから激痛が走る
悪の連鎖です。最初は精神の問題、次は筋肉の問題、最後は神経の問題、筋肉の凝りは暖めたりマッサージをしたりしてほぐす必要がありますが。最初に痛むと想う事を「痛みなんてその気になったら飛ばすことも出来るんだ」「痛くなんかならないんだ」と自分自身に言い聞かせ自己暗示にかける練習をします、最後の激痛に対してはこれも脳の仕業、「原因なんか無いのに痛くなんか成る筈が無い」と信念を持ち、その後頭の中を空っぽにして何も考えることなく起き上がりましょう。一度でも成功すればしめたものです。痛みのコントロールの始まりです。
神経の情報伝達は2種類のプロセスがあります。一つは電気伝導、もう一つは科学物質の受渡しによる伝達、髄鞘と呼ばれる鞘を持った神経には、繋がったソーセージのようにくびれた節が在ります、抵抗の高い鞘を飛び越して節から節を跳躍しながら超高速で伝道する情報もあるそうです、電気が流れているなら極めて微弱でしょうが電波も飛んでいるかも知れません。コントロールで善く整った条件なら、その情報を拾えるのかも知れません。
少々の壁があっても電磁波は飛びます、と言うより現在の人間は様々な電磁波に取り巻かれています。世界中どこにいても宇宙や太陽からの電磁波が飛んできます。人間の神経から飛び出した微弱な信号はそんな電磁波をキャリアにしているのかも知れません。
人が人を観る時、先ず光の情報が眼から入ってきます(視覚)、次に嗅覚で匂い、聴覚で声、人を観る時いきなり触ったり(触覚)、味をみたり(味覚)する人はいないでしょうけど、それなりの人間関係が有ればありえます。普通の人はこれら五感と経験に基いて人を観て判断します。訓練して神経を研ぎ澄ますとこれ以外の情報も伝導してしているのかも知れません。
この五感の情報は自分と相手の間に何も無いことが条件で入ってきます。
先ず視覚の情報である目に映る相手の情報は自分のフィルターを一度外して取り込む必要があります。例えば目の前の相手が自分の経験の中でとても嫌な思い出のある人に似ていたりするともうそれだけでその思いに引きずられ正確な判断の妨げになってしまいます。だから人を視覚で観る時は無念無想の状態で間に何も無い条件で観、最初に飛び込んできた情報を判断材料にします。
その時の印象が例えば「この人怖い容姿だなぁ」と感じるとその印象は、その人が出会った沢山の人もそんな印象を感じていると判断できます。そんな容姿で人生を歩むと多くの人から避けられやすくなります。何気ないコミニュケーションにも支障があると生きていけないので、その印象を打ち消す為、逆に弱さや面白さをアピールしたりします
その時の印象が例えば「この人綺麗な容姿だなぁ」と感じるとその人は色んな人のアタックを受けています。世の中には綺麗な人を求める人が多いので、自分はじっとしていても向こうからどんどんやってきます。いつでも選択される対象になるので、努力の少ない人生を歩む傾向があります
女性で声がハスキーな場合、甲状腺に異常がある場合が在りますし、意志伝達の為、声自体が大きくなってしまう場合があります、声が大きいと口喧嘩で勝ちやすくなり、うるさがられ対話そのものが避けられたりして、話し込むことによって得られる知識が吸収しづらくなり、ある意味損をしたりもします。
書けば限がありませんがこれらのように一つ発見するとそれに、様々な情報が付随してきます、五感を駆使して入ってきた情報を加味していくと、一見何の繋がりも無さそうな事柄がどんどん繋がって行き最後は輪になり元々一つだと言うことが理解できるようになりその人の観かたががステージアップし全体像が見えてきます。その輪の上にあるであろうと予測できる情報を自分の経験から拾ってきてその人に伝えると大抵当たってしまいびっくりされます。
これくらいは巷の占いの先生でも持っている技術で超能力でも何でもありません、またこれくらいの技術が無ければその業界で食べていけません。
若い女性が相談に来れば大概恋の悩み、年配の男性が来れば普通仕事が金銭の悩み、
勿論例外もありますが観れたら次にどうするかが問題です。巷の大部分の先生たちはビジネスなのでお金にしようとします。その先が聞きたければいくらですと集金のコース分けが準備されています。仮に一つのコースに入っても堂々巡りです、お客様にはもう少し高級なコースが準備されています。悩みが解決すると感謝はされてももう来なくなるので、鍼灸師や歯科医のように一回で全てを治さず、何度も何度も通院するよう仕向けます
厄介なのはこんな技術に多少の霊能力で武装している先生もいるようです。私も何度も経験しましたが目の前で知るはずの無い遠方のお墓のレイアウトや情報を言い当てたり、無くなった身内そっくりの声色まで使う先生もいます。式神を飛ばしているのか、使役霊を雇っているのか力を見せ付けてくれます。私はそんな能力は世間に結構ころがっていると考えていますので搾取されることはありませんが。
だからどうなんだ!と、施餓鬼にしたって亡くなった人に施していると言うよりも、残った人に未練を整理し幸せに向かって歩みだす手助けをするものと心得ています。結局は自分が自分で心を整理し、しっかり生きることが出来れば無駄な出費だし、上手に幸せを手にすることが出来ればそれが先祖に対する一番の供養だと思っています。
人が人を観てその人の情報が理解できた時、さあどうします? もしその人が今より少しだけでも幸せの方向に向かうのを本気で望んでやれるなら、もう一度無念無想になって最初に浮かんだ言葉を伝えてあげましょう。きっとその人に必要な言葉を伝えることが出来るはずです。やってみてください