人は独りで生きていません。この世に生を受け育つこと自体、父母の助け、親戚縁者他多くの助けを受けています。独り立ち出来て助けて貰った恩を返そうと思った時、既に恩人はこの世に居ないかも知れません。そんな時、人は自ら幸せになることで恩を返せます。自分を助けてくれたことへ感謝し可能なら助けが必要な人に力添え出来るかも知れません。
しかし力添えは安易な行為ではありません。水に溺れている人を救命する時のように自分の安全を確保しながら巻き添えを食わない方向から上手に行動することが必要です。溺れている人は必死です藁をもすがる勢いで近づくモノに想像以上の力でしがみ付こうとします。救命のプロは溺れている人を一度気絶させてから助ける時もあると言います。溺れている人を助けようとして助けに行った人まで遭難してしまうのはこの理屈です。
安易に人を助けようとすると本来の目的とは反対の方向に突き放すことにもなりえるし。下手を打つと助けようとした自分までおかしくなってしまう事もあります。それでも目の前で人が溺れていたら思わず助けに水に飛び込んでしまうのも人情ですが、助ける人は溺れている人より何倍も沈着冷静で無くてはなりません。何か掴ませるモノや救命浮き輪があれば先ずそれを投げ込むのも一つの方法ですが、それでも飛び込まなくてはならない時は最低限水の中で自分の自由を妨げるモノは身から外すべきです。ジーパンにスニーカーのままなんて全くの自殺行為です。
人に助けを求める人は必死です。自分が困難から逃れる為にはなりふり構わずなんでもします。勿論助けを求められる側の事情など考える余裕もありません。もしそれが金銭の問題で10万円あればその場を凌げるとしても、安易に出してはいけません。10万円出すことでその次には50万円の問題を作ることになりかねません。その人を助けることには成らないのです。
人に助けを求める人にも色々な事情があるでしょうが。究極的にその人を助けることが出来るのはその人自身しか居ないと言うことを前提にその人が自分自身を助ける為の力添えなら可能な時もあるようです。
昔、貧しい田舎から都会に出てきて一心不乱に努力し資産家になった兄の話ですが田舎の貧しい農家を継いだ弟から「兄さん!貧しい田舎に嫁が来ないのでせめて綺麗な家でも建ててくれ、成功したなら助けて」と言うので自分が残してきた後ろめたさもあってか弟が不憫に思え言う通りにしたそうです。
すると暫くして弟から「兄さんが家を建ててくれたお陰で自分も嫁が持てたが、貧しい田舎の暮らしじゃ嫁に苦労ばかり掛けて美味しいモノも食べさせてあげれない」「最新型の耕運機があれば野良仕事もはかどり嫁の苦労も減るので助けて!」兄は弟と嫁が不憫に思い又言うと売り買い与えたそうです。暫くして弟が事もあろうか「兄さん今度は愛人が出来てしまったからそっちも頼むよ!」とバカなことを言うので。これはいけないと思い直接田舎まで出向き確認すると弟夫婦は耕運機も換金し働きもせず只浪費生活をしていたそうです。
兄は幸い裏山が残っているのを確認すると未だ実をつけない桃の木を買い弟に与えたのを最後に一切の連絡を断ったそうです。弟は最初は「なんだこんなもの」と見向きもしませんでしたが「やさしい兄さんのこと、その内助けてくれるさ」とタカを括っていましたが、やがて兄さんの本気を悟り、術が無いので夫婦で桃の木の世話を始めたそうです。桃の木の世話は簡単では在りません、気を抜くと害虫が発生したり、病気になったり、世話を続けて数年後初めて実りを見ましたが、その時初めて働くことの意味と喜びを理解し、涙を流して兄に感謝し侘びを入れたそうです。
私の知り合いにとても世話好きでボランティアなんかも積極的に率先してされる会長がおられます。ある時その会長にかねてから疑問に感じていた質問を投げ掛けました「会長!人って本当に他人を助けたりできますかねぇ!」会長は「それはすごく難しい質問だ!答えになるかどうかこんな話がある」と言ってくれた話は
~自分は個人的にスポーツが人の精神を健全にすると確信が有ったので格闘家の友人や人脈が多い。ある時、かなり有名な近所でも鼻つまみ者なっていた男をどうにかして下さいという身内からの相談を受けた。母親にも嫁にも子供にも気に入らないとすぐ手をあげ近所でもあっちでトラブルこっちでトラブル、警察のご厄介になることも度々、まともに働くことも無く、といって本物のやくざでもない。会長はとりあえず道場に連れてきなさいと言ったそうです。
道場にやって来た男は想像通りの輩でいきなり喧嘩腰、「君はそんなに強がるなら一度試合をしてみるか?」会長は怪我防止の防具とグローブを力加減の出来る有段者に着けさせて
試合をさせたそうです。そんな男が格闘家の有段者に何度掛かって行っても勝てる道理がありません。最後は負けを認めた男に「君も少し修練しに来たらどうだ?」と上手に誘導し、男は道場に通うようになったそうです。
暫くして男の相談をしにきた身内が再び尋ねてきて「会長さんのお陰で以前とは人が変わったようになり、自分たち身内を助けて戴きました」とお礼を言ったそうです ~
「会長!それは人助けをされましたね!」と言うと会長は「いやいやあの男には心の奥で自分を助けてくれと伸ばす手があり、自分が差し出した手を握り返したから変わっていけたが、その手を握り返したのはあの男自身で握り返さなかったら自分にも術が無かったよ」「あの男の身内にしたって自分に相談しに来ると言う行動をしたし結局自分で自分を助けた」だから
ある条件と必要が重なった時、結果がそうみえることもあると言うのが真実だろうなぁ!と説明してくださいました。