自分が友達と思っていたら相手側が思っていなくても友達です。相手側が友達と言ってくれても友達に思えない場合は友達ではありません。俗に言う馬が合えばもう友達で、馬が合わないと、間にもう一人いないと友達でいられません。あくまで自分の主観が全てで決めているのが友達です。
クラスメイトは単にクラスが同じと言うだけで友達とは別物です。嫌いでも好きでもないクラスメイトと偶然に巷で見かけても声も掛けません。勿論クラスメイトは頻繁に顔を合わすので色んな側面が見れて友達になるきっかけが多いのも事実ですが・・・
同じクラスだからみんな友達って宣言することを誰も否めませんが、ある人は共感し、ある人は無視し、ある人は否定し、ある人は利用するかもしれません。友達に騙されたり裏切られたりして借金を抱えた人は沢山います。友達関係も人減関係だからある意味換金できるのです。計画的でなかったとしても同じです。
友達は信用対象ではありません。信用するという行為が友達に自分を裏切らせる機会を渡すことになります。信用は字のごとく人の言を用いると書きます、「僕は君の友達だよ」「ちょっと困っているから友達なら助けてよ」この時点で友達を助ける気があるなら「先ず僕を助けてくれたら助けるよ友達だから」と本気で言ってあげる事が出来れば解決します。
友は象形文字では曲げて挙げている二人分の右手で表されます、この形はお互いかばい合うとか、手に手を携えてとか説明されていますが、私には上から降ってくる何かから本能的に自分の頭をかばう行動を隣の人も自発的にとっているように思えます。右手を2つにすることで一人ではないことを表し、曲げることでバネ効果を持たせ、片手だけと言うことで最悪の結果に片手を残しているのかもしれません。
いわしの大群が捕食者の攻撃に襲われると巨大な生物がごとく大きな塊になり何故か大抵右回りに泳ぎだすそうです(南半球では逆か判りませんが)大きな塊になったところで捕食者は満腹になるまで攻撃は止めないような気がしますが・・とにかく本能的にそう行動する。同じ防御態勢をとる事によって2~3回は捕食者の攻撃を跳ね返しているかもしれません。
友とはこの鰯のように突発的な出来事に対して本能的に同じ行動をとる隣の存在のことでしょうか?それとも累々と受け継がれた生き残る為の必要行動パターンの表れとして無意識の内に同じ行動パターンの人を友達として認識しているのでしょうか?アクビが移ると仲間だとか移らない人は敵だとのように友達を選ぶ時のチェックポイントに出来ないだろうか?・・
でも右利きの人多いからなぁ~