アメノヒボコ・・天日矛・・天日鉾・・天日槍さまざまな漢字が当てられているが重要なのは音(読み方)
当時漢字は発明されていたが極東地方でどれだけ活用されていたかといえば甚だ疑問。オンだけが伝承し後世(数百年後)いろいろ思案の末当て字されたと考えるのが妥当。
韓国のある研究者なんかはアメノヒボコ・天日槍・チョンイルチャンと韓国語の漢字の発音に対応する歴史的人物を探しているが絶対に見つからない、先ずオンありきで日韓の歴史的人物を検証すべき。
アメノヒボコのアメノは天孫族に共通の冠詞のようなもの天のは海のにも通じ海を越えてきた者たちの冠詞だったかも知れない。となると残るのはヒボコ、ヒボコのコは公(韓国読みゴン)とすればヒボ公なる。アメノヒボコは船でやって来て当時の日本の先住民に「われは海を渡ってこの地に来たヒボ公の流れをくむものである」と名乗りを挙げたのかも知れない。そしてヒボ・・・桓檀古記(一般的には偽書。されど真実も伝わる作為の部分があるので偽書なら日本書紀も古事記も偽書)によるとやはり陜父(ヒョッポ)が行動半径から見て最適任者。陜父はその名の通り韓国慶尚南道陜川郡(多羅国。伽耶諸国のひとつに比定)の始祖であり首長と見れる、陜川は現在の韓国語読みでハプチョン・・慶尚南道の方言読みでヘッチュン・・陜父ヒョッポは方言読みでヘッブ・・日本語では非常に表しにくいがとてもヒボに似ている。陜川に比定される多羅国は伽耶諸国のひとつから百済に編入されたり新羅に合併され新羅の一部になったり、同一人物とされるアメノヒボコとツヌガアラシトの出自が違うのは日本書紀と古事記のソースが編纂された時代背景に年代差が有るためである多羅国の古墳のスタイルや出土品は日本のものと共通点が非常に多い、やはり共通の民族(倭人)の勢力圏と見れる、新羅の建国に貢献した瓢公(朴氏と昔氏〔倭人〕に盗まれたが歴史に残らない本当は新羅を創った王〔倭人〕)は陜父公(ヒボコ)と同一もしくは同系の可能性が高い
余談:朴はパク⇒ぱくる 昔脱解⇒ソクタレ⇒くそったれ と 真実がほんの少しつくられた歴史に仕返しを残す