きっと、いつになく弱っていたんだろう。
がらにもなく本音をぶちまけてしまった。
それはさておき、今私はかつての想い人の連絡先を前に二の足を踏んでいる。
あとは通話ボタンを押せばいいだけの状態で、もうかれこれ15分くらい止まっている。
そして、何度目か分からない質問を言ってきた張本人に投げる。
「ねえ、本当にやるの?」 
「往生際が悪いですね。」
「いや、冷静に考えてさ、今更言われたって絶対困るじゃん。」
「言ってみなきゃ分かりませんし、別に付き合えとも言わないんだからいいじゃないですか。それに悲しいです。私が告白したのは迷惑だったってことですよね?」
「う、いや、そんなことは無いけど」 
「無いけどなんですか。そもそも同性愛者ってだけで距離を取られるくらいの関係性なら、どの道この先の付き合いは無理でしょ。どうせこのままでも十分ダメージ受けてるんですよね?今後会う時もずっと傷つき続ける方がしんどいと思うんですけど。」
「私が傷つくだけなら、別にいいじゃん」
「それで?無理やり全部呑み込んで自己嫌悪ですか?それじゃ同じことの繰り返しですけど。」
「いいんだよ、それで、」
「あのねぇ、なんのために私が卒業まで大人しくしてたと思ってるんですか。先生が幸せになってるとこを見るためです。初恋を拗らせて居酒屋でのんだくれる先生を見るためじゃねえんです。今のままだとこの先ずっと後悔しそうだなってことくらい分かるでしょ。告白したら、2択です。普通に受け入れられるか、足蹴にされて死にたくなるか。後者はどうせ半年もすれば吹っ切れますし、はっきりした分諦めもつくのでは?」
「そりゃあ、渡邉さんは外から見てるからそう言えるんだろうけどさぁ」
「そうですよ、だから言ってるんです。少なくとも、相手の方は先生のこと悪いようには思ってないんでしょう?無茶な要求でもしない限りは大丈夫だと思いますよ。」
「で、でも」
「でももクソもありません。私のこと即答で振ったんだから、幸せにならなきゃ許しません。そして、現状維持で幸せになる可能性が低いなら、いっその事当たって砕けた方が今後のためになります。」

とまぁこんな問答があった末、押し切られた挙句通話ボタン勝手に押された。人が変わったように強引になる渡邉さんに若干戸惑ってるけど、これは彼女なりに私に発破をかけてるんだろうってことは分かるから、しぶしぶ覚悟を決める。
でもできることなら出ないで欲しいな、なんて願いも虚しく、何度目かの呼出音が途切れた。

「も、もしもし?保乃?遅くにごめん、今大丈夫?」
うわ吃った最悪。そんな小さな後悔に答えるのは優しくて朗らかな声だった。
『全然大丈夫よ、保乃も丁度かけようかと思っとったし。』
困った、数時間前に合ったばっかりなのにもう涙が出てきそうだ。
「そ、そっか、こっちから掛けといてなんだけど、疲れてない?」
『疲れてるっちゃ疲れてるけど、なんか興奮で全然眠れんし、暇やったし、むしろありがたいわ。』
「それは良かったけど、旦那さんは?」
『旦那はお風呂入るなり保乃そっちのけでぐっすりや。ほんまこういうとこ子供。』
「でも、すごい頑張ってたじゃん?緊張してたみたいだし。」
『式の前までは頼もしかったんやけどね〜。本番カチンコチンやったなぁ。だから冷静になれたんやけど。あ、そういえば用事はもう済んだん?』
「あ、うん、もう大丈夫。ごめんね、最後までいれなくなっちゃって」
『ええのええの。食事会まではいてくれたし充分よ。逆に忙しいのに来てくれてありがとうな。』
「全然、こちらこそありがとう。」
挨拶もそこそこに、渡邉さんがさっさと本題入れ、と目で訴えてくる。そんな彼女の手を空いている方の手で握ると、一瞬強ばったあと両手で優しく握り返される。先程の態度とは裏腹にその手はとても暖かい。大きな手で包み込まれて、幾分か心が落ち着く。大丈夫、と言われている気がした。
意を決して、今日まで心の奥深くに閉まっていたことを言葉にする。
「あ、の、今電話したのは、伝えたいことがあったからでさ、」
声が、震える。
『うん。』
電話越しでも私の雰囲気が変わったのに気づいたのだろう、保乃の声が真剣なものになる。
「今更、こんなこと言ってもすごい困らせちゃうと思うんだけど。」
『言ってみい。』
深呼吸をして、渡邉さんの手をぎゅっと握ると、同じくらいの強さで返される。
「…好きだった。その、恋愛的な意味で」
『……そっか。』
驚くでも、喜ぶでもなく、まるでなんとも思ってないような保乃の声に、臆病な自分が顔を出す。
「…ごめ『なんで謝るん?』
「こ、困らせるかなって、こんな時に。タイミング悪すぎだし」
『なんで?私は嬉しいよ?』 
「保乃は優しいからさ」
そういうと、保乃はなんの湿り気もない声で笑った。
『相変わらず、由依は自分に自信が無いなぁ。別に気を使ってるわけやない。そんなことくらい分かってるやろ?それに、こんな風に思うのは由依だけやで。』
「驚かないの?」
『な、意外と冷静やったな。正直そっちのが驚いとる。でもまぁ、困惑よりも嬉しさが勝つからなぁ。』
「そっ、か」
その言葉にどっと安心感が押し寄せてきた。鼻の奥にツーンとした痛みが走る。
「てっきり嫌がられるかと」
『嫌がるわけないやん。』
保乃は力強く言い切ってそのままの声で続ける。
『うちらは親友。べつにこのことに疑う余地は無いし、否定させん。けどな、どこかで、あぁ、今のは本心やないんやなって思う時があった。親友やのに、由依はずっと私に気を使ってばっかで、それが、寂しかったんかな。』
「…」
『だからな、嬉しいんよ。初めて由依の、心からの想いを聞けたような気がして。』
「ほの、」
『由依、ありがとう。多分すごく勇気いったやろ?それに今までも、保乃の知らんとこで悲しいこととか苦しいこととかあったんやと思う。それに気づけなくてごめんな。』 
言葉が出ない。堪えていたものがするりと溢れ落ちていく。もう、嗚咽を隠すことすら出来なかった。
『泣かんの〜、ふふっ、』
おちゃらけた声、こっちのモヤモヤも憂鬱も吹き飛ばしてくれるような、そんな声が大好きだった。
『由依!』
「なに」
『これからもよろしくね?』
「っ、あたりまえ!」

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『ほな、また遊ぼうな』
「うん、また今度。じゃあね」
『じゃあなー』

カーテンごしにくぐもった声が聞こえてくる。
温い柵に凭れて微睡んでいると、話を終えた先生が肩を叩く。見れば憑き物が落ちたような顔している。
「お話は出来たみたいですね。」
「うん。ありがとう。」
「いえいえ」

「……私は渡邉さんに貰ってばかりだね。」
情けないなぁ、緩く笑って、ため息混じりにそう言う。私的には今更?って感じだけども、そのことは口には出さず。まあでも、どうしてこんなことをしたのかくらいは言ってもいいかなって、そんな気分になった。
「それは、お互い様ですね。」
「え?」
「私はあの時、先生の言葉に救われました。ちゃんと向き合ってくれて、否定しないでいてくれて。今までどうして普通になれないんだろうっ悩んでた、その気持ちが報われた気がした。だからこれは、恩返しです。」
「私は、先生としてちゃんとしようと思っただけだよ。」
「それでもですよ。それにね、先生、」
私達は別に、歴史上の聖人よろしく崇高な精神性を持っている訳ではない。怖いから、後味が悪いから、人とぶつかるのが面倒くさいから、自分から動く理由なんて大抵こんなものだ。
それ故に、後悔することもある。
先生は知っていた。一般的では無い恋を抱くことの苦しさを、自分の臆病さゆえの後悔を。
あの言葉が出てきたのはきっと、先生自身がその苦しみを経たからだ。
「人の在り方って、その人の今までの生き様の果てにあるものだと思うんです。そんな在り方で人が救えたなら、今までの後悔も、きっと意味のあるものだったんだと思いますよ。」
「渡邉さん……」
やっぱり、クサい台詞は吐くもんじゃないなぁ。赤くなっているであろうところを見せないように顔を逸らす。
「さて、もう電車ないですけど、泊まっていきます?」
しれっと話題も変えてみる。
「やっぱり、お持ち帰り?」
これはノってくれたのか?そうなら最悪のノリ方だけれども。この人の脳内で私って獣かなんかなんだろうか。
「…本気で襲いますよ?」
お灸を据える意味でもちょっと凄んで見るも、本人は何処吹く風。終いには、
「別に渡邉さんになら襲われてもいいけどね、私。」
とか宣う。え?ほんとにやるよ私。言質とったからね?
「ご冗談を。」
なんてことを、ヘタレな私が言えるはずもなく。
「半分くらいは本気なんだけどなぁ。」
「あの、ほんとに、」
「ふふっごめんごめん」
ふと、いたずらっ子みたいだった声が落ち着く。先生はしみじみと言った。
「渡邉さんはさー、幸せになるんだよ。私にああ言ったんだから。ま、渡邉さんなら、どんな生き方でも幸せになれると思うけどけどね。」
「まぁ、頑張りますよ。」
「うん。その意気だ。」
最後にぽん、と背中を軽く叩かれる。
日が昇るまではあと数時間。
送り出してしまえば、また暫く会うことは無いだろう。
この時間が、ずっと続けばいいのに、と。
今だけは、そう思ってもいいよね。
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大学を卒業して、晴れてこの春から社会人になる。
未だ恋人も好きな人もできていない。女の子に対する気持ちにも落ち着きが出てきて、もう近すぎる距離感にドギマギすることも無い。
最近は、なんでもない日々を楽しく過ごせるようになってきた。独り身でも存外楽しめている。
少しずつ、大人になっているのだと思う。

土曜の昼下がり、春の陽気が気持ちよくて、散歩でもしようかと街へと繰り出す。
木漏れ日が降り注ぐ桜並木を歩いていると、ゆるい風に桜の花びらが舞っていくのが見えた。
咲きこぼれた花びらたちが光をうけて輝く様を見て、高校の卒業式を思い出す。

休日だと言うのに他に人はあまりおらず、だからだろうか、身知った顔にすぐ反応できた。それは向こうも同じなようで、目を見開いたまま固まっている。
少し雰囲気は柔らかくなっているけど、見紛うはずもない。小林先生だ。
数秒間見つめあっていると、不審に思ったのか隣にいた男性が小林さんに話しかけた。
あれか、私のかつての恋敵は。
先生は男性に何か言ったあと、なんとこちらに向かって歩いてきた。
「久しぶり、元気そうだね。」
手を振る先生の薬指がきらりと光る。
「お久しぶりです。先生もお元気そうで」
「お陰様でね。」
先生は1度離れて私の姿を上から下まで見回す。
「なんか、あれだね 」
「はい?」
「昔から大人っぽかったけどさ、すごい大人な雰囲気になったわ。ほんとに私より歳下なの?ってくらい」
「は、はぁ、そうですか?」
親戚のおばさんみたいな言動だな。まぁでも、先生だってそんな気持ちにもなるか。
「先生こそ、なんか柔らかくなりましたね。」
何気なく聞いて、帰ってきた言葉に思考が吹き飛ぶ。
「あぁ、それは多分、子供が出来たから。」
「……それは、おめでとうございます。」
かろうじて大きな声は出さなかった。
だからゆったりめの服装を着てたのか。
「あぁ後、そう、これを機に仕事もやめようかなって。」
「前は子供できても続けるって言ってませんでしたっけ?」
「そう思ってたんだけどねぇ。なんか、今まですごい生き急いできたからさ、私。たまにはのんびりしてもいいかなって、またやりたくなったらお勉強し直せばいいしね。」
その言葉に、出会った当初の先生を思い出す。
あの頃の先生は凛とした女性って感じだったな。私の中ではちょっと弱気な末っ子ってイメージが目立って久しいけども。
「なんか、先生らしいですね。」
「そう?」
「はい」
「渡邉さんは最近どうなのよ。」
「まぁ、それなりに楽しくやってますよ。」
「あぁ、やっぱ?聞くまでもなかったね。」
適当に答えると先生はまた分かったような口を利く。小さな信頼というか、先生に言わせてみれば「憧れ」か。それを言葉の端々に感じてむず痒い。
「でも良かった。私のことは吹っ切れたみたいだね」
そんなに分かるくらい態度に出していたつもりは無いのだが、似たもの同士だからこそ些細な変化まで感じ取れる、みたいとこがあるんだろうか。
「そんな変わってますか?私」
「うん、なんかスッキリした顔してるし、渡邉さんからそういう空気を感じないもの。」
「はぁ、」
もう大方話したいことは終わったのか、時計を見て軽く伸びをする先生。
「じゃあ、私そろそろ行くね。」
「あ、はい!…あ、あの!」
軽い足取りで歩いていこうとする先生を呼び止る。もう会えなくなるような気がしたから、これだけは言っておこうと思った。
「ありがとうございました。お幸せに。」
「渡邉さんも、お幸せにね!」

私達の関係は、偶然という不安定なものに支えられて今日まで続いていた。それぞれの偶然がもたらしたものは決していいものばかりではなかったけれど…
今なら、この結末を迎えるためにあったのだと、そう思える。

先生の背中が見えなくなるまで見送って、反対方向へと足を向ける。
またいつかの偶然に想いを馳せながら、桜色の光の中を歩いた。
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お読みいただきありがとうございました。
あとがき
お久しぶりです。
あけおめと同時に前編を出してもう1年が経とうとしています。時の流れのなんと早いことか。そして筆者の執筆速度のなんと遅いことか。全く嘆かわしいですね。
本来はこのお話を含め全4話にするはずが、読み返してみたら高校編で完結させた方が綺麗じゃね?となり、しかし本来はこっちのシーンを書くためにこれを書き始めたと言っても過言ではなく…
という経緯で、やむなく番外編としました。
筆者の自己満足のために。
ここからは宣伝、と言いますか…お知らせと言いますか…
pixivの方でりさぽんの裏を投稿しています。
猫があくびしてるアイコンがあればそれです。
偶然性の中・後編を出してからはそっちで投稿していたのでここまで期間が空いたよ、という言い訳も添えておきます。
それでも十分に遅いのですが。
読みたい方がいれば行ってみてくださいね。
なんか恥ずかしいのでここでは張りません。
では、ここまでお読みいただきありがとうございました。
See you again