『偶然性』の番外編です。
文字数超過で投稿制限がかかったので分けます。
注意事項をもう一度。
小林さんが既婚です。また、これは当初の予定にはなかったのですが田村さんも既婚になりました。
前の3話よりも2倍くらいの文字数になってしまいましたので、お時間がある時に読んでくださいね。
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大学生になった私は、今までにないほどに心穏やかな日々を送っていた。
ある程度大人になったからだとは思うが、前ほど誰かに対して盲目的になることも無く。
今の私は、誰に対してもいい感じの距離感を保てている。
それがとても心地よくて、もう一生このままでいいんじゃないかとすら思っていた。
まあ多少落ち着いただけであって、幼い頃からの女の子への興味という部分はそのまま残っているから、付き合うならば女の子と、ということになるのだろうけど。出会いがないならそれはそれでよし。

お酒が飲めるようになってからは、友人たちとよく飲みに行くようになった。
自分は意外とお酒に強いタイプだったらしい。
その日も飲み会で、女子数人で仲良くテーブルを囲んでいたのだが、カウンター席の一番端方に、見た事のある後ろ姿を見つけた。
どうやらおひとり様らしい様子に心配になって、その空気が友人たちに伝わったのか、いつもよりも早いお開きとなった。
正直かなり迷ったけど、かつての想い人を放っておける訳もなく、友人たちを見送り、喧騒の中で1人ぽつんと佇むその人に声をかけた。
「小林……先生。」
もう先生では無いのに、そう呼んでしまっていいものか、先生にも体裁とかあるのでは?と一瞬悩んで、結局はいつもの呼び名を選ぶ。
先生はビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り返った。
声をかけたのが私だと認識すると、安心したように先生の顔が綻んだ。
「なんだ、渡邉さんか。」
一瞬でも先生が不思議そうな顔をしなかったことに安心している自分に気づいて、今更ながら忘れられている可能性を思い出した。
先生は自分のことを覚えているんだろう、なんて無意識に思っていたらしい。
自惚れを恥ずかしく思って何も言えない自分に、先生はなんでもない顔で隣の席を叩いた。
「座れば?」
「え、」
「だから声掛けたんでしょ?」 
「あー、はい。失礼します。」
「どーぞー」
1度キッパリと諦めたはずなのに、いざ隣に座ると心臓がうるさく鳴り出した。まるであの頃みたいに。先生は私の方を見ることも無く漬物のきゅうりをかじって、深いため息をついた。
「何してるんですか、こんなところで。」
「飲んでるんだよ、居酒屋だもん。」
「いや、そうじゃなくて、えっと」
高校の時からは考えられないほど鈍い先生に少し戸惑う。酔ってるとこんな感じなんだ。
「いやぁ、ちょっとね、傷心というか」

意外だ。傷心してやけ酒なんて。でも、大人なんて案外そんなものなのかもしれない、と少しだけ思った。
生徒だった頃は遠くの存在のように感じていたけど、今の先生は年下なのかと思うほど幼い。
なんだか急に親近感が湧いて、初めて、この人と友達になりたいと思った。先生にタメ口で話す同級生のこと、あの頃は理解出来なかったけど、こういう感覚なのだろうか。
無性にからかいたくなって相手が弱っているのをいいことに強めに言ってみる。
「それで、ヤケ酒ですか」
「う……でも、渡邉さんもいつかこういうことしたくなる日が来るよ」
わかりやすく狼狽える先生に、遂にこちらの笑いが堪えられなくなって、ふはっと吹き出した。
「ちょ、そんなに笑うことないじゃん!」
「いや、だって、ふっ、可愛すぎませんか?」
「絶対思ってないでしょ」
「いやいや、思ってますよ。ふふっ」
「まだ笑ってるし、もぅ、渡邉さんってこんなに意地悪だったっけ?」

そのあとも色々な話に花を咲かせているうちに、だんだんと先生の呂律が怪しくなってくる。
「先生?大丈夫ですか?」
「んー?んふふ、わたなべさーん」
「渡邉ですよー、そろそろ帰りましょうか」
「かえるぅ?」
「そうです。さすがに送りますけど、家どこか分かりますか?」
「んぇ、おうち?んーとね、にほん!」

これは、ヤバそうだ。
やむなく、タクシー代を犠牲にして1度私の家へ連れ帰ることにした。こんなのお持ち帰りじゃんとか、余計なことは考えない。
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帰宅して、半分落ちかけている小林先生をなんとかリビングまで連れていく。よほど限界だったのかソファの上に寝かせた次の瞬間には眠りに落ちていた。

メイク落としやら着替えやらを終わらせているとソファの上の影がモゾモゾと動きだした。
むくりと起き上がった先生は薄目で周りを見回す。
「ん......ここどこ?」
「起きましたか。」
目が合うと、ぽかんと口を開けたまま固まる先生。だいぶ間抜けだけど可愛らしい。
「渡邉さん……?なんでいるの?」
「なんでってそりゃあ、私の家だからですよ。」
先生はもう一度周りを見回して、首を傾げる。
「...お持ち帰り?」
「ぶっ」
自分でも思ったけどさ、そもそもあんた自分で潰れたじゃんか。
「馬鹿なこと言ってないで、早く水飲んでください。」
手に持っていたペットボトルを頬に押し付けると、キャッキャと楽しそうに受け取った。
「その反応は、図星?」
「相手の同意無しにするほど節操無しじゃないんで」
「ま、渡邉さんはそうだよねぇ。」
先生の態度はなんだか癪に障るけど、事実だから反論のしようがない。だんだん頭が回り出したのか、先生は再び部屋に目をやって、修学旅行の夜みたいなテンションで聞いてくる。

「ねぇ、恋人とかは居ないの?」
「なんですか、藪から棒に。」
「居たら悪いことしたなぁって」
その割には全く悪びれもしてないんですケド、と心の中でこづく。
「……いませんけど」
「あら意外、引く手数多だと思ってたけど。」
「…そんな私を振ったのは誰ですか。」
「私だね。でも私は旦那いたし。ノーカンっしょ」
「元生徒を虐めて楽しいですか?」
「虐めてるつもりは無いよ。健気で可愛いなって。その感じだと、まだ私の事好きなんでしょ?」
よくもまぁ、いけしゃあしゃあとしてるもんだ。こっちは先生が自分の部屋にいるってだけで心臓が煩くなっているというのに。素直に答えるのは乗せられているようで嫌なんだけど、冗談でも真に受けられたら面倒くさくなりそうだ。それにあんまり嘘はつきたくない。
「……好きですよ。」
「わぁ、一途」
「先生が完璧すぎるのが悪い。」
「そんなことないよ。今日一日でわかったでしょ?」
「ギャップってのがありましてね。」
会話が白熱すると自然と顔が寄っていくらしい。気づいたら私の視界で澄んだふたつの琥珀色が揺れている。  
正面から見つめあうなんて、出会った当初では考えられなかったな、なんて考えていると、先生は急に黙って下を向いた。かと思えば、ふふっ、と柔らかい声を漏らした。よく見ると体が微かに震えている。
「顔近っ、ふっ、はっ、うける」
はっはーんさてはまだ酔ってるな?やっぱり無理にでも止めておくべきだったか、と後悔する私を置いてけぼりに、先生は何がツボにハマったのか爆笑中。爆笑すると声が出ないタイプの笑い方になるらしい。


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「あー笑った笑った。ふ、へへっ」
途中で度々呼吸困難になりながらも満足したのか落ち着き始めた先生。酔っ払いとはいえ情緒が心配になってくるなぁ。

「それにしても、よくわかったね。」
「何がですか?」
「私のこと、カウンターだったし、後ろからは分かりづらいじゃん?」
「たまたま目に入っただけですけどね、綺麗な人だなって」
「あら口説かれてる?」
「違います。というか寧ろ自分が覚えられていたことの方が驚いてますよ。」

居酒屋で思っていたことをそのまま伝えると先生は、あぁ、と頷く。
「いやまぁ、告白されりゃ覚えるでしょうよ。」
「それはそうですけど」
「まぁ、特別だったし。」
『とくべつ』たった四文字に心臓が跳ねる。それはいい意味でなのか、厄介だったなという意を含むのか。後者だったとして、直接言われたら立ち直れない。今の先生にそこら辺を慮る余裕があることを願おう。
「特別、と言うと」
おそるおそるの言葉に返ってきたのは思いもよらない答えだった。
「憧れだったから。」
「あこがれ?」
先生が、一生徒の私なんかに?何故? 
その疑問を言葉にする前に先生は続ける。
「私は、言えなかったからさ。」
「……なにを?」

その質問には答えず、先生は前を向いたままポツリと言った。
「好きな人がいたの。」
ひゅっ、と声が漏れた。唐突な告白に思考が固まる。
「同じクラスでね。告白はついぞできなかったなぁ。可愛くて、かっこよくて、明るくて、太陽みたいな人だった。」
そう語る先生の顔はとても優しくて、どうやっても先生の1番にはなれないのだと思い知る。
そしてもうひとつ、私としては無視できない事実があるけど、そこに触れていいものか。
人によっては知られたくないことかもしれないから。でも、ここまできて何も聞かないなんて出来なかった。
「先生って、たしか女子校出身でしたよね」
「あら、知ってたの。」
先生に焦る様子はない。あくまでもあっけらかんとしている。
「小池先生に聞きました」
「みいちゃんめ、よく喋るんだから」
つまりは、踏み込んでもいいってことだよね?
「じゃあ相手の人って…」
「うん、女の子だよ。」
意外だな、とは思わなかった。
それよか冷静なままでいる自分の方に驚いている。持っと悲しむとか、嫉妬に狂うかするかと思ったけど、存外自分は淡白らしい。
「今も、好きなんですか?」
「大好き、だと思う。」
ほら、こんな顔はきっと私にはされられない。
頬を赤く染め、俯く先生の顔は恋する少女のそれだ。そんな顔も束の間、一転自嘲気味に笑って、さらりと言い捨てた。
「まぁ、もう付き合えないんだけどね。」
なんで、と言いかけて愚問だったことに気づいた。先生は淡々と言葉を落とす。
「今日、結婚式だったの。」
誰の、とは聞かなくてもわかる。
そして合点がいく。
「傷心ってそう言う……」
「うん」
「このこと、旦那さんは知ってるんですか?」
口をついて出た言葉を反芻して後悔する。これじゃ出歯亀じゃないか。
「知ってるよ。なんなら同じ境遇だったからこそ結婚したみたいなとこあるし」 

この言葉を聞いて少し落胆してしまった自分がいる。なんだ、この話をされたのが自分だけでないことが嫌なのか。私は。
自己嫌悪に浸る私を置いて、先生はぽつりぽつりと語り出す。

「私たち幼馴染でさ。親同士も仲良くて、もはや家族みたいな、そんな感覚で。だからかいつか二人で結婚するんだろうって、そんなふうに期待されてたんだと思う。直接言われたことは無かったけどね。うちの親たち、悪い人ではないんだけど、ちょっと昔の考え方が強い人達だから、同性愛とか、あんまり理解がないって言うか。しょうがないんだろうけどね。なんか、私の気持ちは間違ってるんだって、そう言われてるような気がして、親戚中もそんな感じだったし。」

先生は膝を抱えて小さくなった。まるで、何かを守るみたいに。あるいは溜め込んでしまった心の泥が、流れ出ていかないようにするためか。

「そしたら、なんか疲れちゃった。叶わない恋を追い続けるの、私にはしんどすぎて無理だったみたいで、心が壊れちゃって。で、大学入った時旦那に言われたの。『もう疲れたから、結婚しない?』って。プロポーズがこれよ?笑っちゃうよね。でも、これでもう悩むことも無くなるなら、いいかなって。……まぁ要は、諦めたんだよ。」

虚空を見つめる先生の顔に浮かぶのは諦念を含んだ柔らかな笑顔。以前突き放した時、私もこんな顔をしていたのだろうか。
「もちろん、旦那がどうでもいいってわけじゃないよ。家族としては好きだし、大切にしたいとも思ってる。でもどこかで後悔してる自分もいて、そんな自分の不誠実さが嫌になる時もあった。」
徐に先生はこちらへと視線を投げ、私の肩にぽん、と手を置いた。
「それで、色々薄れて来た時に渡邉さんに告白された。驚いたよ、性別的にも立場的にも、とんでもなく勇気が必要だっただろうから。」
黙って続きを促すと、先生は視線だけを元の虚空へと戻した。
「でも、あの日の渡邉さん見て思ったの、1回くらい、私も本当の気持ちをぶつけておけば良かったって。誰でもいいから。だってよく考えたら私何もしてないもん。もしかしたら受け入れてくれたかもしれないのに。自分が傷つきたくないからって、勝手に絶望して、妥協して」

淡々としていた先生の言葉が揺らぎ始めた。
弱々しくなる語尾に比例するように、肩にあった手の力が抜け、私の腕を撫でるように落ちていった。
先生は堪えていた何かを吐き出すように、虚空に向かって吐き捨てる。

「さっき私たちは同じだって言ってたけどね、全然同じなんかじゃない。自分が傷つくって分かってでも気持ちを伝えた渡邉さんの方がずっと立派だよ。」

何も言えない。けれど否定されてなお確信する。先生は私と同じだった。今の先生は、私もこうなっていたかもしれない、という未来だ。

「渡邉さんは、間違えないでね」

きっとそれは先生の本心であって、本心では無い。先生は人を傷つけることが何よりも怖いんだ。心優しき臆病者。私と同じだ。
他人の幸せのために自分を蔑ろにする。「自己犠牲」と呼ばれるそれは、世間的にはある程度尊ばれる。けれど先生はその精神から来る選択を肯定することができない。
もし、諦めることが正しい選択だったというのなら、どうして報われていないのか。そう思ってしまうから。そしてそう思ってしまう自分を誠実な先生は許せない。変に肥大化した正義感が、自分の心を責め立てる。
だから、間違っていたことにする。そうすれば自分を恨むだけで済むから。
 
きっと私はなにも言うべきではないのだろう。私がここで肯定しようが否定しようが、先生の気持ちが晴れることは無い。
けれど、先生の言葉を認めたくなかった。
「間違ってなんかないです。」
突然言葉を発した私に先生は振り向きはすれど、驚かなかった。依然自虐的な笑みを浮かべたまま、分かったような口で言う。
「まぁ、渡邉さんはそう言うよね。」
でも、と続きそうになるのを遮る。
「たとえその選択が、誰かを傷つける結果になったとしても、ですよ。」
先生の顔が笑顔のまま固まる。
「友達を好きになったことも、諦めたことも。たとえ何を選ぼうと、その選択を間違いだと言い切れる人はどこにもいませんよ。結局は先生達は自分を犠牲にするという選択をしたけど。」
これはエゴだ。こんな言葉を吐いても、きっと先生は救えない。
「先生が今も苦しんでるってことは、それだけ真剣に悩んでたってことです。その選択が間違いであっていいはずがありません。でも、それでも、先生が自分を認められないのなら…」
今の先生を救えるのは、たった一人しかいない。ならば、私がやることは
「……気持ち、伝えませんか?今から。」
多少強引にでも、逃げ道を全部塞げばいいだけだ。

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