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原子力推進ブログです。
脱原発猿を反復爆撃します

防衛省防衛研究所の認識がこの程度ではクソ塗れだな。

日本側の方針は徹底して不拡大だったのに対して支那側は挑発して戦闘を拡大させる方針だったというのが真相だろう。

エラソーに総括できているのか?と問うが自らはどうなのだ?

 

盧溝橋事件とサイパン陥落 日本は7月7日の悲劇を総括できているのか(Forbes JAPAN) - Yahoo!ニュース

 

>7月7日は、日中が全面戦争に至る契機になった盧溝橋事件(1937年)が起きて87年にあたる。当時、北平(北京)南西の盧溝橋付近で演習中だった日本軍が中国軍による発砲を受け、日本軍兵士が行方不明になった。現地では停戦協定が成立したが、日本政府は華北への派兵声明を発表。中国側も徹底抗戦の姿勢を取り、戦火が中国全土に広がった。

 

日本軍は義和団事件の戦後処理である北京議定書に従って現地駐留していた。

在留外国人の保護は現地政府の仕事であるが、当時の支那はそれが出来なかったので日本以外にも欧米諸国の軍隊も同様に駐屯していた。

日本が駐留させていたのは殆ど新兵で5000人ほどだった。

それが支那側に事前通告して夜間演習を行ったのだが、その最中に支那側から実弾射撃を受けた。

日本軍は現地解決方針をとったが、それ以後も挑発行為が続いたので3個師団を内地から増派する方針を固めた。

支那側第29軍は15万から20万であり、日本軍5000人(しかも新兵)では力の均衡が保てず平和を維持できないと判断されたからだ。

蒋介石は後方も含めると70万の軍を動員し、北(北京方面)へ行くのか南(上海方面)へ進出するのか決めかねている状態で、もしも北へ進出してきた場合に備えるという意味もある。

結局、郎坊事件や広安門事件など挑発行為が相次ぎ3個師団は派遣され29軍を駆逐することになる。

しかしそれ以後北支は静謐を保たれるのだ。

 

結局バランスオブパワー(力の均衡)が平和をもたらす証明と言える。

 

>日本政府は華北への派兵声明を発表。中国側も徹底抗戦の姿勢を取り、戦火が中国全土に広がった。

 

この文章では日本側の増派が原因で支那側が徹底抗戦する意思を固めた、即ち日本側の増援が良くなかったと取れる。

防衛省防衛研究所ってバカなんですか?

今、防衛費を増額しようとしていますが、そうすると支那と戦争になるというのでしょうか?

共産党みたいですねwww

 

>日本軍の夜間演習に驚いた中国第27軍兵士が発砲したというものだ。庄司氏が2006年から10年まで「日中歴史共同研究」に従事した際、中国側が用意したペーパーも偶発性を認めていたという。

 

支那側の誰が何の目的で発砲したかは今のところ偶発説が有力だが、一方で支那共産党幹部の劉少奇が指揮してやらせたと共産党の公式見解で持ち出してきた事実もある。

公式見解でそう謳っておきながら「日中歴史共同研究」で偶発説を持ち出してくるのは一貫していないので全く信用できない。

演習は事前通告していたのだから、驚いて発砲したというのは変だな。

「日中歴史共同研究」なんてやるだけ無駄って事だ。

連中は都合が悪くなると平気で前言を翻す。

 

>中国側は「歴史的経緯から日本による侵略は必然的に起こった」とも主張していた。

 

意味が解らん。

歴史的経緯から必然的にって何?

こんなのを唯々諾々と受け入れる訳?

 

>庄司氏によれば、戦線が北京から上海、南京へと拡大していくなかで

 

北京方面は派遣軍が支那29軍を駆逐して治まっている、上海で新しく始まったが正しい。

 

>戦線が北京から上海、南京へと拡大していくなかで、当時の日本には、現代でウクライナ侵攻を指示するロシアのプーチン大統領のような計画性や強い信念は感じられなかったという。

 

当たり前だよ。

日本側の方針は不拡大だからです。

さらに日本は侵略を受けた方です。

 

>当初は上海まで戦線を広げる考えはありませんでしたが、蒋介石が精鋭部隊を出して抗戦したことで、戦線が広がりました。

 

抗戦ではなく蒋介石の侵略です。

蒋介石は日本軍が手薄な上海を狙って攻めてきたのです。

(蒋介石は第一次上海事変の停戦条約を破り、非武装地帯に陣地を築き、派遣されて来る日本陸軍をそこに引き込んで殲滅しようと計画しました。結果は蒋介石の惨敗に終わるのですが・・・・・)

 

この人はその半年前に何があって何が合意されたか意図的に忘れた振りをしているのでしょうか?

 

西安事件 - Wikipedia

 

蒋介石が支那共産党に捕まって命を助けて貰う代わりに日本へ戦争を仕掛ける合意をします。

これを第二次国共合作と言います。

この合意に従って日本の居留民を襲ったり(通州事件 - Wikipedia挑発行為を繰り返し、出兵を強要するようになります。

 

一貫して日本側が侵略を受けたのであり、侵略者は「支那」なのです。

 

先ず「侵略」を定義しよう。

侵略とは「挑発もされないのに国家の意思を以て作戦計画を先制発動する事」で、またそれをした国が「侵略者」だ。

根拠は1928年のパリ不戦条約にある。

また挑発行為には経済封鎖も含まれる。

これはケロッグ・ブリアン条約を締結したアメリカのケロッグ国務長官もそう述べている。

「経済封鎖は戦闘行為と同等だ」と。

 

不戦条約 - Wikipedia

 

この定義に従えば侵略者は「支那」と云う事になる。同条約には支那も入っている。

なのに

 

>もちろん、日本のやったことは‘侵略’ですが、計画的な‘侵略’とまでは言えないでしょう

 

滅茶苦茶ですね。

 

上海には海軍陸戦隊4000人が駐留していました。

これは支那自身では在留外国人を保護できないから各国が軍隊を派遣して警備するという合意によって行われました。

だから日本軍だけでなくアメリカやイギリスやフランスなどの軍隊も駐留していたのです。

北京にせよ上海にせよ国家間の合意によって駐留していたのです。

現代に例えれば在日米軍に自衛隊が攻撃を仕掛けるような事であり、それは侵略者が日本と云う事になってしまいます。

こういう事をなぜか防衛研究所の本文作者は無視しているのです。

もうメチャクチャです。

防衛研究所は自衛隊が在日米軍に対して作戦計画を先制発動させた場合でも侵略者は米軍だと言う心算なのでしょうか?

 

ではなぜ戦線が拡大したのでしょう?

それは戦争指導が拙かったからです。

例えば敵軍を包囲して殲滅しようとする場合、中央でも左翼・右翼でも偽りに退却して敵軍を引き込まなければなりません。

文永の役(1回目元寇)では日本軍は太宰府迄退却し元軍を引き込もうとしましたが、元軍に見破られたかで彼らは退却してしまいました。

でもなぜか日本陸軍はそれをしておりません。

平押しに押していくだけなんです。

これでは支那軍は鉄道で逃げてしまいますから殲滅できず、以後泥沼に嵌っていったのです。

戦争指導の拙さと侵略を混同してはなりません。

 

努々フォーブスの駄文を読んで本気にしてはイケマセンよ。

 

 

本文中のサイパン・フィリピン・沖縄戦に至っては完全に後知恵です。

見るべきモノはありませんね。

後知恵なら私でも出来ます。

日米開戦を停める為に戦艦大和を公開してしまうのはどうでしょう?

当時同級戦艦に匹敵する軍艦はありませんでした。

航空優越が確定したのは開戦後12月10日のマレー沖海戦に於いてです。

それ以前には戦艦と飛行機どちらが強いか結論は出ていませんでした。

アメリカの新型戦艦(ワシントン級・サウスダコタ級)はとても大和の敵ではありません。

設計から始めて実戦配備するまで4年くらいはかかります。

それまで大和は抑止力になるのです。

 

我ながら完璧な後知恵かなwww