202105-254:まだ使えそうなモノを捨てる大義 | 団塊世代の"愚考にため息"

団塊世代の"愚考にため息"

ふと思い出す過去の出来事と後悔。次々と、浮かんでは消えていく愚考を書きとめていけば、いつかはネタ切れになるはず。きっとその後は、良き日々の思い出だけが浮かんでくるにちがいない。


製品寿命は十分に残っているのですが、なんとなく相性が悪いとか違和感があって着用や使用をしなくなったモノが毎日増えています。これで使う楽しみが増え、暮らしが快適になると期待して買いますが、買って使ってみると期待はずれとかしっくりこないとかなんか変とかいうことで、使わなくなったモノが日々溜まっていきます。
取得価格でなくてオーナー・ユーザにとっての時価評価額で総合的に判断すれば、このまま放置塩漬けするよりは廃棄処分したほうがすっきりします。
3年間不使用のモノ好みと違うモノとか不要不急のモノは、すでに悪い運気に汚染されているようです。
いつか使うかもしれないと汚染されたモノを残すのはよくありません。
ただし、製品寿命がのこっていますので廃棄するには大義が必要です。
1日1捨の断捨離が自分なりの大義です。