あさもよし
いたきそとおり
わかのうら
ひろうにうつる
こんごうのみね
私のブログ記事をお読みくださる皆様の、弥益々のご開運、ご幸運をお祈り申し上げます。
≪三六九≫
いつもありがとうございます。
大和奈良の井志田和叶です。
大和奈良の神社仏閣に、年の瀬の御礼参りをさせていただいておりますが…
すこし時間を遡りまして、紀伊半島の「西海岸」を巡拝したときの様子をプレイバックさせていただきます。
「西海岸」の響きがカッコいいので、勝手ながらそのように呼んでおります。
ちなみに「東海岸」には、熊野那智大社や熊野速玉大社があります。
今回は、紀伊半島「西海岸」に位置する和歌山市にあります…
竈山神社
(かまやまじんじゃ)
に参拝の機会を頂戴したときの様子をお届けします。
以前、紀伊国一之宮とされる三つの神社に、参拝の機会を頂戴したときの様子をお届けしました。
紀伊国一之宮
丹生都比売神社
(にうつひめじんじゃ)
紀伊国一之宮
伊太祁曽神社
(いたきそじんじゃ)
紀伊国一之宮
日前神宮・国懸神宮
(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)
この一之宮の三社のうち、伊太祁曽神社、日前神宮・国懸神宮とともに…
和歌山西国三社参り
のうちの一社とされる竈山神社にも、御挨拶させていただいておりました。
今回は、そのときの様子をお届けいたします。
≪三六九≫
以下、和歌山県神社庁のホームページより引用
御祭神の彦五瀬命は、第一代神武天皇の皇兄に坐し、大和平定の途中、孔舎衙坂で長髄彦の軍と戦い、流れ矢に当たり給いて戦傷、雄水門に至りて遂に崩御遊ばされ、竈山の地に葬られ給う。
今の社地は即ちその遺跡で、延喜式の神名帳に「紀伊国名草郡、竈山神社」と記され、古くから官幣に与る皇室御崇敬の大社であり、天正年間まで社領8町8段を有したと伝えられている。
往古は社殿も宏大にして現地か東南山麓に鎮座し給うたが、戦乱の世を経て社頭衰微し、徳川氏の入国後、社殿を再興した。
明治18年、官幣中社に列せられ、大正4年、官幣大社に昇格、昭和13年には国費及び崇敬者の献資を以って社殿を造営し、境内を拡張して現在に至っている。
寛政6(1794)年冬、国学者 本居宣長はこの社に詣でて「をたけびの かみよのみこゑ おもほへて あらしはげしき かまやまのまつ」と詠んだが、竈山の岩根に鎮ります神霊は、日本の国の行手を永久に譲り給い、導き給うことと拝し奉る。
引用ここまで
社標
大鳥居
阿形の狛犬さま
吽形の狛犬さま
いつもありがとうございます。
すばらしい参拝となりました。
ありがとうございました。
≪三六九≫
次の機会に…
引きつづき「あさもよし神仏巡拝」として、和歌山市内での参拝の様子をお届けしたく存じます。
玉津島神社(たまつしまじんじゃ)
鹽竈神社(しおがまじんじゃ)
和歌浦天満宮(わかうらてんまんぐう)
時空を超えて(時系列バラバラで…)、方々の神社仏閣への巡拝時の様子をお届けしております。
次は大和奈良か?摂津大阪か?はたまた紀伊和歌山か?
巡りめぐる神仏巡拝で、繋がりつながる御神脈を、どうぞご堪能くださいませ。
…と良い風に言ってみます(笑)
ありがとうございました。
では、また。
@井志田和叶