やっぱり言葉でわかり合うのは無理です。

西野流呼吸法の創始者は以前から著書で言っていましたが、やはり言葉で人がわかり合うと言うのは無理なんです。

一人一人考え方も生き方も違いますから。

では、どうしたらいいのか。
僕は視点を増やしていくことが重要だと思います。

多くの視点を持つことで、意見や考えというのはいくらでも変わるということが日常の中でリアルに感じることが大切だと思います。

議論が大切ということもはありますが、それが効果を発揮するのはまた別の場合です。

議論で分かり合えることはないのです。



抽象度を上げれば、何でも楽しく爽やかに気持ちよくやればいいんじゃないかと、そういうことになるし、実際その方が健全だと思うのです。

抽象度を下げていけば、具体的なレベルでいろいろな情報が手に入ってくるでしょうが、情報量が増えるほど視点は多角的になるということです。

多角的になるということは、意見や考えというのは視点の違いによりいくらでも変化するということです。

つまり、唯一無二の絶対的な情報というものは無くなってしまうわけです。

そうなってくると批判的な議論というものは意味がなくなってきます。

人が健康というものを手に入れるということであれば、議論などは最早いらないと思います。

なぜなら、人は良く食べて、良く働いて、良く眠れば健康を維持できるようにできているのですから。

それを食欲の赴くまま食べて、その後に動くことをしないで太ったりするからややこしい不調が出てくるのです。
そしてそこからややこしい議論が生じてくるんですね。


何故気功を中心に身体調整をやっているのかと言えば、気がカラダを巡ることが気持ちがいいからです。

気という感覚を中心にカラダを動かせば、名称はなんでもいいのです。

ヨガでも気功でもいいわけです。

ただ特定の流派には属してませんので何をするにしても自由ではありますが、信用や団体のもつブランド力がありません。

メリットとデメリットがあります。

僕としては一番重要な部分を優先したいので、特定の流派には所属しないで気功を中心に身体調整をしているわけです。

その一番重要な部分というのは、気功をしている人のカラダが緩むということです。

そこさえ押さえてやれば効果は必然とあがるのです。

ところが、気功を教える、習うとなると話しは少しややこしくなるものなのです。

そこのところのややこしい部分を取り除いて、気がカラダを巡る感覚だけに集中して気功をやると、この気功が長続きして楽しくやれるわけです。

僕は極力ややこしい部分を取り除いて気功をやってきましたので、このブログを読んで興味が沸いた人にも出来る限り楽しく気持ちよく自由に気功をやっていただきたいと思ってます。









ハウツー本では肝心な本質が伝えられない。

コレをこれだけやればいいなんて言うのはあり得ない。

僕はそう思います。

何かを身に付けようと心に決めたならその情報を自分の中で咀嚼してから吸収する必要があると思います。

ハウツー本では身につかないのはそのためでしょう。

ハウツー本は読み物としてはそれでもいいと思います。

それが悪いのではなくて、そこから進めない原因はその人の行きたい方向と違うからではないかと思います。

行きたい方向に行くということが大事なのです。

特に気功というのは興味本位だけの人に教えるのは難しいように思います。

ですから言い方がキツくなってしまいますが、やっぱりその人がそれを求めてないという一面があるからと答えられると思うのです。


実際、呼吸が浅くなったらどうするだろうか?

深呼吸だろうか?
呼吸法だろうか?

大抵の場合これで呼吸が回復することは難しいのではないかと思う。
もちろんそれで回復しない人がいないわけではない。
それでも一時的な回復でしかない場合の方が多い。

それを踏まえたうえでもう一度考えると、呼吸が浅くなった時のカラダの状態を知ることで呼吸力を回復させることができる。

遠回しな物の言い方で悪いが、ここでは自分のカラダについて考えるトレーニングとして、長い思考の過程に付き合ってもらいたい。

呼吸が浅くなっている時の血流に注目すると血中の酸素量が低下していることがわかる。(だからこそ呼吸が浅いのだが、そこに気がつけるのは普段から身体に意識を向けている人だけだろう。)
そういう時に呼吸を意識的に深くしようとしてもなかなか深くなるものではない。

ではどうするのかといえば、水分補給をするのです。水分補給をすることで血を流し、少ない酸素量を血流量で補うのです。血流量が上がれば少ない酸素量でも脳に十分な酸素が届けられるというわけです。

水分補給により酸素が脳に十分に供給されることで呼吸力が回復していくのです。

脳に供給する酸素が優先ということは、脳を休ませればいいわけです。

とはいえ、この理屈が通るのは身体がこの状態の時だけです。

ケースバイケースと言うことです。
だからこそ、今回のような思考の過程が大事になってくるのです。





基本的には中丹田の気を腕に供給しながら施術をします。

これが出来ている前提で話しを進めます。

僕らは一日に何人もの人を治療します。

そうすると疲労感は当然あるのですが、僕らが感じるこの疲労感というのは一般的に理解されにくい種類のものです。

なぜなら、中丹田と同時に下丹田の気も消耗することで内臓疲労を起こしているからです。

ここが重要です。

オカルト好きな人はすぐに他人の悪いものをもらった受けたといいますが、実際にはただの内臓疲労だと言うことです。

そして、タイトルにある水というのが、内臓疲労を軽減させるための工夫としてあるわけです。つまり、こまめに水分を取ることで血液循環を滞らせないようにして、内臓の負担を軽減させてやるということです。

細かいことはとにかくやってみてから疑問としてあげてみるとして、とりあえず水分補給を上手にしながら施術してみてください。





前回の記事では、自力整体の矢上氏の著作から矢上氏が予防医学をはじめたきっかけを掲載しました。

予防医学と言うのは徹底的な自己管理です。身体をゆるませ続けるということです。
自己管理というのはストイックになるということではありません。いつでも必要な時に頑張れる状態を維持するということです。
その状態でいられればカラダはとても快適なのです。

そして、そういう状態でいられるということは、体調不良で仕事を休むというようなことや、不調からくる自分の不機嫌さを他人に当り散らすことがなくなるんです。

もちろん人間ですからたまにはそういうこともあるかもしれませんが、本当に稀と言えるほどたまにしかみられないものです。

では具体的にどう自己管理をしたらいいのかというのがつまり、自力整体のメソッドだと思うのです。

具体的な中身については著書を購入して実践して頂きたい。

僕自身は矢上氏の理論の部分と高岡英夫氏のゆる体操を参考に、オリジナルバージョンを編み出してカラダをゆるめています。

結果的に自身のカラダがゆるめば何でもいいんです。やり方にこだわりすぎると逆に固まってしまいますから。

「自力整体」と「ゆる」とでは見た感じはだいぶ違いますが、身体をゆるませるという点では共通してます。

自分の体調をしっかり管理調整出来れば市場にないオリジナルの体操でも何でもいいんです。

頑張れる身体、快適な身体というのはゆるんでるということ。

健康で機嫌のいい身体というのはゆるんでいることが理解されればいいのです。

ところが、このゆるむということの理解が実は最初につまずくポイントなのです。

ですがそれは実際にカラダを動かすことでゆるませない限り、「ゆる」や「自力整体」が伝えたいことは理解できません。





 良い文章を見つけました。以下引用文です。


 母は、「子供たちを学校にやるためにこんなに無理をしている」というのですが、私は内心「寝込まないように自分でからだを管理し、『無理せず、休まず』のほうが会社にとっても本人にとっても効率的なのになあ」となんとなく考えていたのです。


 矢上氏の「自力整体整食法」の中で、矢上氏が予防医学の研究をはじめたきっかけを問われたことに対する答えの一文です。


 まさにこれなんです。一生懸命働いている母親に対してなんてことを! という意見もあるかもしれませんが、

寝込まないように自分でからだを管理し、『無理せず、休まず』ということが大事なんです。