いらっしゃいません
日常的すぎる、どうでもよい事を残せてたらなぁ。。。
そんなこんなで右も左も訳もわからずはじめました。
妙な方向を目指しています。
いらっしゃいません
日常的すぎる、どうでもよい事を残せてたらなぁ。。。
そんなこんなで右も左も訳もわからずはじめました。
妙な方向を目指しています。
GWは、いつも通り妹んちで恒例のBBQ。
入退院しても、なんとか毎年この恒例行事はセーフで参加できてたよね〜笑。
九州方面の参加は難しいから、関西方面の親族や親類のBBQ大会。
オッチャン元気⁈じーちゃんじーちゃん!って、みーんな集まってくれた。
いっつもお父さんも楽しみにしてたよね?
あたし達も毎年楽しみにしてた。
まさかBBQした翌月に、父の葬式なんて、
誰ひとりあの時、思ってなかった。
お父さん、あの世で元気にしてる?
今年は、お父さん居てへんねんなぁ。
お父さん居てへんBBQなんか初めてやった。
チラッとでも良いから来てくれたかな?
何が起きるか、わからない。
会いたいと思う時、ふとした時に、連絡したり、会いに行く事が本当に大切だと思う。
ちわ!
年明け早々に、自家用車のオートマがブッ壊れ見通し悪い幕開けとなった
修理見積が最低でも60万近い
二ヶ月後には車検。
かなり乗り倒したし、大きな故障もなく、かなりこの子(愛車)頑張った。
そろそろ潮時かぁ~。
となると、はよ次の探さなアカン
でも車が致命的な故障になるとは想定外だったので、乗りたい車もなければ全く市場がわからん
とりあえず三社アポ取って商談。
まず熱意が感じられるず上から目線やったのがM社。
今の愛車がM車。
えらい風変わりして、昔は「毎度っ!こんちゃ~!」くらいのラフで親しみやすい感じだったのに、久々にディーラーに行くと、まるで高級ホテルみたいなカタグルシサ、値引きもカタイ...
ナイな〜
次はH車。
担当者は、とても良い方で接客も素晴らしいし、包み隠さずブッちゃけ話をしてくれた。好感度は良かったけれど、残念ながらコレ!っていう車種がマッチせず。
試運転させていただいたけれど、車高が低く(今のやや高め)慣れたら慣れるかもしれないけど運転しづらい
次はN車。
ご対応も良く、希望車種を試乗させてもらったらシックリきた
商談で値切り倒し、精一杯勉強させていただきます!って出してきた見積を見て、いや待てよと。初売り値引価格とそう変わらん。ここからの意気込みを見せてくれんかいなと
予想以上の好感度No. 1見積が出た。イヒヒ
そんなこんなで商談成立
いざ納車。
泣いた。
笑笑笑。
十年以上乗ってて、色んな思い出がやっぱりある。
一番の思い出は、やはり父の病院に通い続けた事。早朝から父が行方不明で何度も探しに行く足に使った事。
いつしか車椅子を乗り降ろし、父を抱え乗降りした事。父の生まれ育った九州に二度フェリーに乗せた事。
父の介護、介助に挫折しそうになり、運転席で何十回と声を殺して泣いた事。
いつも運転席の後ろに父は座ってた。
父がスタスタ歩いてた頃から、突然亡くなり駆けつけるまで、、
一緒に歩んできた思い出が多すぎる。
そんな事を思い出したら、手放し、新車と交換するとき、ポロッポロ涙が溢れてきた。
車を買い替えたん、お父さんわからくて迷子になったらどないしよう。。とか死後の世界と現在を、あたしが幽体離脱妄想族。笑
納車時に、ディーラーの担当者がポロッポロ泣いてるあたしをチラ見して「このオバハン、そんなに新車が嬉しいんか...?」みたいな目線やった笑笑笑。
いやぁ、ほんとよく頑張ってくれた。
長い間、チカラになってくれて、足になってくれて本当にありがとう。
記念写真をいっぱい撮った。
なんか、目がウルウル泣いてるような感じがした。
この車は今まで大きな故障もせず、役目を無事に終えてくれたんだなぁと思った。感謝しかない。
車が故障したあと、自宅の電話機がブッ壊れた
電話機を買い替えるに際し、「どんなけこの電話機で姉妹や母親と父の事でやりとりしただろう。。」と泣けた笑。
父ロスがまっだまだ引き続いてる。
父も、こんなあたしを見て「おまえはアホか」と笑ってると思う。笑
これから、カタチの有る無いに関わらず、心から感謝したいと思います。
これからまた新しい日々。
予想してないような事がまた起こるんかなぁ。
わからんけど、またチカラになってくれたらと願う。
「いつまでも、あると思うな親と金。ないと思うな、運と災難」って誰かの座右の銘が初めて身に染みしたねー。
運と金の話でわない笑。
6月18日の地震が、随分前に感じる。
昨夏、父を故郷の九州に連れて帰る弾丸ツアーは、決行してほんと良かった。
今思えば、虫の知らせやったんかなぁ?と思ったり。
大阪北部地震から三日後の6月21日
早朝に母からの電話の声、よく覚えてる。
母に「救急車!救急車呼んで!」と言うと、
母は「だから、、ちゃんと聞いて。お父さん、もう亡くなってるねん」
お母さん、何言ってるん?
受け入れられず。
6月21日
AM6:40
いつも通り、母が父を起こしに行くと、父の頬は冷たくなり意識が無く救急に電話。
母が、ベッドと父の背中の間に手を入れると、まだ温もりを感じたそうだ。
救急が到着するまでの間、心臓マッサージをしたが、既に心肺停止だった。
駆けつけると自宅で亡くなった為、刑事や検死の方が7~8人、母を取り囲むよう家中バタバタしてた。
不愉快と違和感。涙も出ずそんな気持ちだった。
母が父を起こしに行った数十分程前には、息を引き取っていたそうだ。
パーキンソン病の長い闘病生活を送り、地震も怖がっていたので、心臓に負担がかかっていたのかもしれない。
検死医に「検死結果は、重体不整脈です。苦しむ事なく寝ている間に、静かに亡くなったでしょう」と言われ、安らかに逝ったんだと聞いて、涙が一気に溢れ出た。
ベッドの上で、お布団も着て、父の表情は全く苦しんだ顔をしておらず、本当に眠っているようだった。
すごく肌はツヤツヤで、今にも起きてきそう。
冷たくなった頬や手や脚を撫でながら話し掛けると、父の相槌が聞こえてきた。
亡くなった事実を受け入れられないまま、すぐに葬儀屋さんが来てから、祭壇など次々に準備され、徐々に実感が湧いてきたが、「まるでお父さんが死んじゃったみたいやんか。やめてよ...」って思いながらずっと泣いてた。子供みたいにずっとずっとシクシク泣いてた。
ごそごそと、父の引き出しを触っていたら、十代の頃に父の日に贈ったプレゼントを見つけた時、一気にきた。
立ってられないほど崩れ落ちるよう声を荒げて号泣した。
あんなに泣いたのは、人生ではじめてだった。
亡くなった事を受け入れらへんのに、
あたしお父さんの遺品整理なんかできひんわ!っ号泣するあたしを、母が遠い目で何も言わず見てたのは、今思うとオカンはシビアやった笑笑笑
でも、ほっんとに一番キツかったのは母だったと思う。
友引の兼ね合いで、通夜と葬儀は二日後の土日。
近親者のみの家族葬だったが、じゃんじゃん来るわ来るわ。。
家族親類だけやっちゅーねんっ。おとん死ん出る場合ちゃうで起きて何とかしてや~!って父の棺に言いに寄った笑。
まるで亡くなる日を父が計算してたんじゃないかと思うほど、土日なので沢山の方々が会葬してくださり、滞りなく父の葬儀を終える事ができた。
素晴らしい葬儀だった。亡き父も喜んでくれていると思う。
真っ白の霊柩車が父を迎えにきたとき、父の棺に「お父さん良かったな!めーっちゃかっこいい車やで!」て笑いながらも泣いて泣けて号泣した。
そんな白馬みたいな霊柩車が向かう先は斎場。
その後、真っ白になった父を、肉体が無くなってしまった父を、目の当たりにした哀しさは言葉では表現できない。
親を亡くす事は、こんなに辛く苦しいもんなんだと、心から痛感した。
行ってくるねって言うこともなく、誰にも迷惑を掛けずに、静かに息を引き取った父は、父らしい。
パーキンソン病を発症して17~18年間。あれだけ長い難病生活を送った父だが、寝たきりではなかった。
自力で出来る事は全て頑張っていた。
パーキンソン病では、ごく珍しい事だと思う。
父の生き様をしっかりと見て、一緒に歩んできた。
父の介護や介助、あたしは全く後悔していない。
全力で精一杯支えてきたから。
いつも会いに行っては別れ際に、父と握手をしてた。
「ほなまたね、お父さん」て握手をしていつも別れた。
暖かい温もりのある父の手の感触は忘れない。
冷たくなり、もう二度と握り返してくれる事のない父の手を虚しく感じながら、何度も何度も握った事も忘れる事はない。
後悔は一切していないが、色んな思いの堂々巡り。油断すると涙する日々は、いつまで続く。
本当に素晴らしい父で、大好きだった。
享年73歳。
もうちょっと生きてて欲しかったなぁ。
まだあたしは、お父さんが突然居なくなった事をすぐには受け入れられへんけど、
お母さんの事は、しっかり守るから安心してね。
散々わがまま聞いてきたけど、まっだまだ、お父さんのわがままを聞きたかったなぁ。
ゆっくり眠って、たまに夢の中に会いに来てくれたら嬉しいなぁ。
6/17の父の日のプレゼントが、まさか四日後に父の棺に入るなんて思いもしなかった。
会いたいよ、お父さん。
...........................
って、リアルに現れた。笑
亡くなってから遺品整理。
母の為にも色々と、娘としては哀しみを乗り越え、しなきゃいけない事がある。
そんな最中の7月7日
四十九日に備えて「とりあえず今日は法要に備えて座布団カバーを新調して終わり~っ」と、座布団カバーを替え終わり、座布団を父の大好きな趣味のカラオケコーナールームに移動させた時だった
ん?んんん?香水の香りがする、、、
??
しかも男性の香水...
え?
父はむかーし、香水をつけてた。
ずいぶん昔。
遺品整理の中から未使用の香水が3本も出てきた。遺品は全て父の部屋にまとめていた。
香水は父のカラオケルームには無い。
キッチンに居た母を呼び「おかさーん!なんか香水の匂いする!どこ⁉︎あたし香水を倒してこぼした?!」
母も「いやっほんまや。。香水の香りがする」
ゆーてる間に、香水を吹きつけたような濃度でなく、香水瓶を倒したくらいの強い香りに。
母と香水を探したが、見当たらず。しかも父が毎日、趣味でカラオケに座っていた場所のスポットからしか香りがしなかった。
母と二人で
「え。まさか、、お父さん...?おる...??」
香水瓶を倒したくらいの濃度の香りが、五分ほど続き、完全に香りが無くなった。。
信じられないが本当に起こった。
「ありがとうな。まだココに居てるでぇー。って香りで知らせてきたんやわ...」って、お父さんおるんやわ、、と、母と全身鳥肌
だった。笑
なかなか粋な計らいをしてくれた父。
死後の世界説は半信半疑
だけど、父の存在を確かに感じた。
今日で四十九日。
お父さん、本当にありがとう。
もうほんとに行くんよね。
好きなよう自由に、走り駆け巡ってね。
でもすぐお父さんは初盆で帰ってきて忙しいやろうけどそらしゃーないわ笑。
生まれ変わって、そしてまたいつか会いたい。
もう握手はできひんけれど、お父さんを今まで以上に心に温かく感じてる。
あたしも、お父さんのように真っ直ぐ歩んで行きます。
またね、お父さん。
大好きな父へ
きよみ
ちわ!
先日、父の故郷へ行ってきた。
最後に帰省したのは8年前かなぁ?
両親が商売で忙しかった小学生の頃は、毎年必ず夏休みは大分へ強制送還されてた笑
父の実家は別府港から車で2時間半くらい。
ドが付くほどの田舎だけど、長閑で自然に溢れてる。
父もそろそろ色々と難しくなってきたのと、父の姉妹や親戚もかなり長老。
ちょうど叔母と叔父の三回忌と十七回忌。
これが本当に最後になるかもしれない。
気合いで妹家族と父を故郷に連れて帰った。
身体の負担を軽減する為、両親は飛行機
。あたし達は車でフェリー
に乗船。途中で両親をピックアップしてそっからなんやかんやの弾丸ツアー
関西は三重、大阪、神戸を含み、九州の親戚や親類が40人近く集まり、温かく迎えてくれた。
その日中に自宅へ帰る組や、宿泊組。
朝5時起床でお年寄りの朝食作りから始まる
地べたに座ると立ち上がりが大変なので椅子とテーブルを並べる作業(汗
「ほんま介護施設みたいやな
」って言うと、長老組はキャッハキャハって盛り上がってた笑
お墓参りは、舗装されていない坂道を、どうにか歩けそうなじーさまばーさまを介助しながら椅子を担いで登る。行ける人間だけで墓参り。
小さい頃に帰省した際、あたし達姉妹の世話してくださった叔父や叔母達もすっかり小さく小さくなってた。
次いつ会えるのかな?とか
生きてるうちに会えるかな?とか
最後に握手して、みんなとお別れの時、
色んな思いが込み上げてきた。
大阪から遠いところ来てくれて、ありがとうって何度も言ってくれた。
叔父や叔母が、握手してる手を離さなかったのが、心から切なかった。
感情表現が難しくなってきている父が喜んで、そして泣いてた。
大分に帰る事ができて良かった。
弾丸合宿みたいだったけど笑
いい夏だった。
..................................................................
帰省中とっても不思議な事があった。
到着した夜のこと。
長老組は明朝に別府から従姉妹の車で到着予定。朝めっちゃ早いはず。
その夜は移動疲れもあり、さっさと就寝した![]()
夜中に車が到着したようで、ガラス越しに仄かな明かりが見えた。
ザワザワと玄関から九州弁の長老組の声。
「しずかにしずかに~みんな寝ちょんけん、あんた達しずかにあがりよ。起こしちゃ悪いけんな」
えらいはよ来たなぁと思い、眼鏡をかけて枕元のアイホン見たらまだ夜中の3時。
年寄り軍団めっちゃ元気やな
キャハキャハと言いながら足元の廊下をグルっと歩いて仏間を通り過ぎた感じ。
ダイニングでお茶でも飲みながら、みんなが起きるまで待ってるんだろう。
とりあえず眠いので挨拶せず一旦あたしは寝た。
翌朝ダイニングへ行ったが
ハテナはてな❓
おらん。。
え?
いとこの兄ちゃんに聞くと
「まだ誰も到着しちょらんぞ」
いやいやそんなはずないめっちゃゾロゾロと玄関から入ってきてたし。
妹に話すと
「中から玄関の鍵をかけたの私やし、鍵を開けっぱなしにしてへんで」
夢ちゃうし寝ぼけてない。確かにあたしは仄かな明かりと何人かの声を確かに聞いた。
そろりそろりの足音だって聞いたし間違いない。
........。え?
みんなに話すと、
「そっか、みんな来てくれちょーし、きっと会いにきたんやわ。帰ってきたんやね。先祖代々のみんなが」って。
8月13日
お盆の出来事だった
亡くなった御先祖様に、静かにそろりそろりと気を遣わせた事に申し訳ないなと思った笑
おかえりなさい。
皆んなが元気に帰省する事ができて
ほんとにありがとございました。
またいつか、帰りたいです。








なんて話を昼休憩に総務人事の女性にポロりと話をしたら



お父さんは自由も選択肢もなく入院してるんですから〜って思ったけど、でもそう言い放った母は確かにしんどいだろうし、父に対し遠慮ない言葉の中に、難病だろうが障害者だろうがってのは無く、対等に向き合ってるんだなぁと思ったり



笑