仕事がひまなので、
ひまつぶしのブログ

(留守番みたいな仕事なので大丈夫です)

レッスンでやってる
山下達郎さんの曲
聴こうとおもって検索したら
ドラマ主題歌ってワードがはいってたので
調べたら
2008年放送の
亡くなった竹内結子さん出演ドラマでした。

3週間前からやってるので、
それはまったくの偶然です。

2008年というと
テレビ冷蔵庫のない生活をしてたので
このドラマ記憶に全くなかった。

08年は激動の年でした。
わたしにとって。。。

元旦に父が入院し
まだ検査もしてないのに言った言葉は
「お父さんは癌だとおもう。。」


1月終わりに結果がでて
そのとおり肺癌でした。

でもしばらくは元気で。。。

お父さんの誕生日の4月には
退院して家にいました。

その頃、占い好きが発展して
口コミで占いとヒーリング
お金をいただいて見ていました。

そのなかに
演歌の歌手の方が
クライアントさんでいて
その方をみたことが、
デビューのきっかけでした。

そういえば歌ってるんだよねって聞かれ
愛のかたちという曲のCDを
渡したつもり、がはじまりです。

でも実際に渡したのは
「クリスマスの詩」でした。


クリスマスの詩を
その方が気に入り
レコード会社にもっていき、
スポンサーまで探してきました。

でもわたしがデビューしても
売れるはずないと思っていたので
作詞家として出したい、
シンガーはオーディションで探そうと
言うことになりました。
オーディションといっても
おおげさなものではなく、
紹介された数名の中から選びました。

そしてわたしもインディーズの全国発売で
(当時はまだ全国発売も価値があった)
出させてもらうことになりました。

トントン拍子に見えましたが、
リーマンショックで
スポンサーがダメになってしまったこと
わたしが未熟であったゆえの揉め事
内輪のいろいろなことがあって
私自身がデビューした頃には
もう誰にも助けてもらえない
何のサポートのないかたちでの
スタートとなりました。

それが2008年の11月。。。
それからの3年間は
どこからやる気がでてきたのか
人生でいちばんガツガツしてたと思います(笑)


父は7月頃まで元気でした。
でも最後かもしれないと
デビュー曲
「Tila~ゆくえ」のゆくえの字を
ほそーい筆で書いてくれました。

書道を学ぶために
大正大学という仏教の大学にいき、
卒業後は高校の書道の先生でした。
わたしが生まれた頃には
洋服屋の経営者でしたが、
そのつながりで出会った友人から
よい刺激をうけ
書を楽しんでいた頃です。


でも最後になると言った通り
9月には筆がもてなくなりました。


9月のある日
弟とふたり話があると呼ばれ
父はこういいました。

お父さんはもう長くないとおもう。
だから覚悟しておけと。
まず気になるのは地球環境問題だ、このままだと大変なことになる。。。そこから環境問題や政治や日本のことなどを切々と語った。

自分がこんなときに地球環境問題ですよ。。。

武士道じゃないけど
死を目の前にじたばたしてなかったし
むしろ父は死を覚悟しているように見えた。

その予言通り
2008年11月26日に亡くなりました。

発売したばかりの「Tila~ゆくえ」は
葬儀やさんの提案もあって
お葬式でずっとかけてくれた。


2008年は激動のはじまりの年で
そして忘れられない年
そのあとは従兄弟が亡くなったり
私のプライベートも色々重なった。
でもそれから数年は沢山のひとに出会って
いまでは考えられない体験もさせてもらって
貴重なよいことも同じくらい沢山あった。

でも人生のターニングポイントだったことはたしか。。。。です。



わたしは父が大好きです。
いまでも人生で出会ったいちばん尊敬出来るひとです。教えてもらったことはきりがないです。
超えるひとにはいまだ会えていないし、超えないだろうと思っているので比べる気もありません。
だってそう思っていたのはわたしだけではないとお葬式でわかったからです。

自分自身に誇りを持てることは少ないけれど、父の娘だったことは唯一の誇りです。