10代後半、出来るところまで進学を望んでいたけれど、

父親は子どもの事より、酒を飲んで遊びたい事を優先した。

 

空き家があり、知人が声をかけてくれたが「遊びたいから」と断る。

私の進学も「お金がないから働いてくれ」と土下座した。

だが、それは自分が遊びたいからの口実。

 

私は就職したが、子供でもなく大人でもない数年は本当に辛かった。

祖母には「出ていけ!!」と怒鳴られ

両親の都合によって、「子どもが聞く話じゃない」と言われたり

「あんたも社会人で大人だからその位出来ないと!」とも言われた。

 

20代に入ってすぐ頃に、父親が倒れ半日程に及ぶ手術があったり

友達が急死したりと、頭の整理が追いつかないことが立て続けにあった。

 

そこで、危険な手術で生き延びる者と

若くして急に亡くなる非常さを思い知る。

もう何十年も経ったけれど、友達のことは忘れることはなく命日には気が沈む。

 

私が歳を重ねるに連れ、両親のケンカはずっとあったけれど、

DVになってきていた。

大体、真夜中にケンカが勃発するので、眠れず耳を澄ましてケンカが始まれば止めるようになった。

 

その頃、会社でも私へのイジメが酷くなり、悪質になっていく。

色んな症状が出てかなり痩せた。きっとうつ病発症はこれが最初だと思われる。

 

体調悪化と両親の喧嘩の仲裁。

一人暮らしする気力もなくなる。かなり長く実家住まいをしていたが、

それは、母親が結婚に反対され勘当され戻る所がなかったこと。

「守らなきゃ」と思ってしまった。

それがよりこじらせる事になるのだけど。その時は必死だった。

 

30代は時系列の記憶がない。時間をかけて紐解けば少しは思い出すのだが

その時は、転職した職場でのパワハラが酷く、

父親もアルコール依存症に染まっていく。

 

こういう時に、色々なことで萎縮していたし、強迫障害の症状も出てきたため

役所で相談したりする事も全く頭になく「どうしたらいいのか?」ばかり。

 

気がつけば、私が壊れた。

仕事の帰り道、たくさん走る車を見ては「轢いて欲しい」と思ったり、

「このまま消えてしまいたい」とも思うようになった。

 

最終は父親への殺意だった。

「これは私がおかしいのか?病気ではないのか?」と思い、病院に予約した。

診断が病気ではなければ、私は殺人者になるが周りに迷惑をかけるから消えようと思ってた。

 

診断結果は「うつ病」

ここからまた闘病生活の長い長い道のりが待っている。