3月31日、年度末です…

 

被災地の小学校・中学校にトップアスリートを派遣する「スポーツ心のプロジェクト」がこのほど事業を終了しました。

 

この事業のすごかったところは、本当に本当のトップ選手を派遣してきたことです。

 

一流の選手とじかに触れ合って、思い切り身体を動かして、笑ったり、はしゃいだり、真剣になって勝負したり。本物に触れることって、本当にチカラになるんですよね。羽生選手のおかげでいつも感じてきたたことだけど…

 

活動の後には、実に人間らしくも赤裸々な選手たちの話を聞いて、子ども一人一人の振り返りのカードに直筆の返事がもらえるという夢のようなプロジェクトでした。

 

そんなトップアスリートを紹介する「スポここ新聞」の最終号が発刊されました。

 

最終号は、羽生結弦選手の特集でした爆  笑

 

 

プロジェクト対象地域にある小学校の5年生に配られました。

 

世界選手権大会が終わってから、インタビューを読んだのですが、羽生選手の信念と熱量に圧倒されました。

 

 

対象の子どもたちのために、表現が具体的で分かりやすいのはさすが乙女のトキメキで、かなりのど直球です爆笑

 

羽生選手の言葉なら全部を知りたいのに、年度末の学校では残部が処分されるところもあるとか…ガーン

 

せめて言葉だけでも残したいです…

 

 

 

 

 

 

羽生結弦

何事にも信念持ってチャレンジ!!

 

2014年ソチ、2018年平昌オリンピック2連覇を達成した羽生結弦選手が「スポーツこころのプロジェクト新聞」最終号のインタビューに答えてくれました。羽生選手は幼い頃にオリンピックで金メダルを獲得するという目標を立てて、その夢を実現しました。2011年東日本大震災で被災しましたが、困難も克服し大輪の花を咲かせました。震災から10年、何事にも信念を持ってチャレンジしていくことの大切さを教えてくれました。

 

なかなか1位になれなかった

 

負けを経験して強くなれる

 

4歳で夢見た金メダル

 

―フィギュアスケートを始めた年齢は?

「4歳です。姉がスケート教室に通っていて、自分も一緒に滑りたいといういもちが強くなって始めました。今もそうなんですけど、野球がすごく好きで、スケートを始める前はずっと野球をやりたいと思っていました」

 

―そのころの夢は?

「オリンピックで金メダルをとりたいと思っていました。小学校低学年のころにソルトレークシティーオリンピックがあって、エフゲニー・プルシェンコさんが銀メダルだった。フィギュアスケート選手としてあこがれていた存在で、プルシェンコさんみたいになりたいとずっと思っていたんですけど、そんな方でもオリンピックで金メダルをとれなかった。自分はこの特別な試合を勝ち抜きたいと思ったのがきっかけです」

 

―そのころ、うまくいかなかった経験はありますか?

「小学校4年生の時に最初の国際試合としてフィンランドの大会に出場して勝ったんですけど、その後すぐに拠点のリンクがなくなってしまったんです。それまでは学校からリンクまで歩いて10分ぐらいだったのに、違うリンクになって(距離が遠くなり)練習時間がすごく減ってしまいました。それから2年くらいは全然上達しないという苦しみを味わっています」

 

―そういう時期を経験して、成長するために何かを変えたのですか?

「自分が変えたというよりも、環境を変えたら、ふっと伸びた感じがあったんです。自分は練習がすごく嫌いだったんですけど、練習が大切なんだなとすごく感じられる時期だったと思います。僕はなかなか1位をとれなかった。順風満帆じゃなかった。悔しさとか、負けをひたすら経験し、伸び悩むということを小学生、中学生時代に学びました。それはこの年齢になってもためになっていて、苦しくても何とかやり切る精神的な強さのもとになっています」

 

たくさんの方々から声援の声

 

重圧はエネルギーの源

 

被災した故郷のために

―東日本大震災もつらい経験でした。

「高校1年の終わりでした。3日半くらい避難所で過ごし、その後は自宅で待機したんですけど、電気、ガス、水がない生活でした。街がめちゃくちゃになっている中でスケートをやっていいのかなと考えました。リンクに立って滑る時は全力でやるしかないけど、常にこころの奥に何かしら引っかかっているものはあったと思います」

 

―再びスケートに集中できたきっかけは何ですか?

「11年12月に全日本選手権があったんですけど、その後、自宅で、いただいた手紙を読んだりする中で、こんなにも応援してもらっていたんだと実感したんです。被災者代表と言われることに苦しさはあったけど、そう言われるからこそ被災地の方々も応援してくださる。そして応援する声が(被災者の)元気につながるということを手紙を通じて感じました。それ(応援)を受け止めて、いい結果を出そうと思えたのが”スケートをしてもいいのかな”という思いにつながりました」

 

―震災から10年になります。その思いは今もありますか?

「たくさんの方々に応援していただいて、確かにプレッシャーにはなります。期待に応えなきゃという呪縛を自分でかけているところはあるんです。ただ、それを受け止めることができれば、プレッシャーという圧力は絶対エネルギーの源だと思うんです。プレッシャーを重く感じるとよく言いますけど、重く感じるということは、それは力だと思うんです。その力をうまく、重い方向ではなく、上の方向に使ってあげればいいと常に思っています」

 

―これまでの人生を振り返り、大切にしてきたことは何ですか?

「今できることは何だろうと常に考えるようにしています。僕はケガで練習できない期間が長かった。練習できないということは実力が上がらないことに直結している。ただ、スケートに乗ることだけが練習なのかなと思うようにしています。当たり前のことをどれだけスケートのためにできるかと考えています。たとえば、おやつを食べたい、油ものを食べたいと思っても、これを我慢したらスケートにつながるかもしれないとか。面倒くさいと思ったことを乗り越えれば、その精神力がスケートにつながるかもしれない。そういうことを常に考えています」

 

 

 

「これができる」という目標立てて努力を

 

自信とはつけるもの

 

理想を成功につなげる

 

―練習と「試合で向き合い方の違いはありますか?

「練習は120%で、試合は150%で、と思っています。本当に足が力が入らなくなるまでやることを決めています。筋肉とか人間の動きには限界があるけど、限界を押し上げられるのは心でしかないと思うんです。心が弱っていると何もできない。自分自身、心が弱っているとうまく練習できないとか、試合でいい演技ができないということが何回もある。どれだけ強く心を持つかによると思うんです。だから練習の時はうまくいかなくても、心のエネルギーがなくなるまで費やそうと思っています」

 

―試合の時はどうですか?

「試合のときは修行僧のようになっています。本当にムダなものを排除するというか。平昌オリンピックの時は1カ月半くらい、自分の心の中で”スケートのため”と言えないことは何もしなかった。たとえばトレーニングでも、もう1回やったら強くなれるとか。”まだ心に余裕があるならやれ!”と追い込んで、試合になった時には何もやり残したことはないと思えるようにしました。それが自信だと思うんです。試合に勝つための練習をしたから、もう試合の時は勝つことしかないという感じです」

 

―子どもたちから”自信がない”という言葉を聞きます。どう考えますか?

「自信はつけるものだと思います。成功すれば、それは自信になります。逆に自分の理想が高ければ高いほど、それができなかったら自信にならない。たとえば、羽生結弦が陸上の100㍍で9秒台を出したいとなったら、それは自信になるわけないですよね。そんな無謀なことはない。たぶん自信というのは”私はこれができます”というものなんですよ。勝てる実力があるという意味だと思うんです。自信がないということは勝てる実力がないという意味と同じだと思うんです。だから、自分の実力が勝てる実力に達するまで努力することが一番大事だと思います」

 

「選択する力」が夢かなえる

 

「何を一番やりたいのか」考えよう

 

「あれもこれも」より…

 

―目標の得点を紙に書いていたそうですね。なぜそうしたのですか?

「コーチに”どのぐらいの点数がほしいのか、どのくらいの点数が出せるのかを考えなさい”と言われたんです。その頃はまだルールに関心がなかった。いい演技ができれば勝てるだろうという感じだった。ルールを知ることが大事だなとその時に感じました。ルールをちゃんと知って、このジャンプはこういうふうに飛ばないといけないんだとか、このステップはこういうふうに踏んで、こういうふうに表現すれば点数につながるんだと細分化して考えられるようになった。練習でも、試合でも、一つ一つていねいに考えられるようになったと思います」

 

―オリンピックで2連覇を達成し、夢をかなえました。現在の夢や目標は何ですか?

「4回転半ジャンプを成功させるのが一番の夢というか目標です。一番大きな夢はオリンピックでした。幼稚園、小学生の頃には人生設計ができていた。19歳でオリンピックに出て金メダルをとって、23歳でオリンピックの金メダルをとるというのが自分の中で決められた未来みたいな感じで過ごしてきて、その目標を達成できている。今、競技に残っているのは4回転半を決めたいという気持ちが強いから。何とか達成したいと思います」

 

―最後に東北の皆さんへメッセージをお願いします。

「自分が思っていた夢みたいなものは、もっともっといっぱいあったと思います。先ほど言った野球もそうです。日常的なことでは、ゲームでも、この人みたいにうまくなりたいとか。自分がかなえた夢はオリンピックだけ。スケートだけなんです。でも、いろんな夢を犠牲にしてきたからこそ、一番大切な夢をかなえることができたんだと思います。あれも、これもと思っていたら全部なくなっちゃうんです。自分にとって何が一番大切なのか、何を一番やりたいのかを常に考えて生きていけたらいいんじゃないかと思います。生きていく中で選択は絶対ある。選択する力が身につけば、おのずと自分が達成したいことを達成しやすくなるんじゃないかな。僕は26年間生きてきて、そう思っています」