ひとは自分が思っているほど、自分のために生きているわけではない。



平川克美 【文筆家】



父親の介護を続けるなかで、慣れない調理に苦労し、やがてそれが楽しみにすらなったのに、父が逝くと、とたんに料理をする気が失せた。自分だけのために調理をするのが面倒になった。自分がここにあることの意味は他者から贈られる。そのことを身をもって知った経営者の作家は、「自己決定」「自己責任」といった概念の虚しさを思う。「言葉が鍛えられる場所」から。



折々のことば 鷲田 清一 【哲学者】

2016/6/25 朝日新聞 朝刊より