昨日、コメントに死と向き合った患者さんに看護師さんはどう声かけしているのか?

と言う質問があったので今日も緩和について書かせていただくことにしました


私から見て特別な声かけをしているようには見えません

だだ患者さんに対する姿勢には驚かされることは多いです


一番驚いたのは、気難しい患者さんの病室のトイレの便座が壊れたらしく、その時に看護師さんたちは、ベットの周りに業者さんが到着するまでずっと立たされて怒られていたというのです


その後私たちとの食事会があったのですが皆さん愚痴を言うのではなく、「どうやればそこが壊れるのか?

なぜ壊れたのか?どうすれば良いのか?」と真剣に話し合っているのです

その様子が隣で聞いてて面白かったのですが、「プロだ」と思いました


看護師さんたちは私たちに泣き言などは言いません。


でも、前に一度看護長が「みんな以外とまいっている」と話してくれたことがあります


普通、病院では亡くなる方が居ても、良くなって退院される方を見ると達成感を感じるのだそうです


でも、緩和ではそれがありません


一生懸命看護しても行き着く先は死で、良くても容態が良くなるとよその病院にほとんどの人が転院という形になります


またある看護師さんは「死にたい、死にたい」と言い続ける患者さんを気分転換にとラウンジに連れてきた時、私たちが笑顔で迎えてくれたのを見て涙がこぼれそうになったと言っていました


辛い思いはたくさんあるのだと思います


ボランティアをしていて何の役に立つのかと思うこともあります

でも、たまにある遺族会で、遺族の方たちが「ここの病院に入って救われた」とか「本当によくしてもらった」とか聞くと、なかなか形には表れないけど、きっと意味ある事だと思うようになりました


よく人に、終末期の患者さんに接するのは辛くないかと聞かれますが、本当に辛かったのはボランティアをやり始めた時、毎日ラウンジに来ていた患者さんが毎週会うたびに衰弱していって、最後に会った時何も声をかけられなかったことでした

もう何も飲めない、車椅子に支えが無ければ座れない、呼吸器もつけた状態でそれでもいつものように

来てくれた患者さんに、いつものように声をかけられなくて。。。とても後悔しました


その時の気持ちは今も忘れられません


だからもう、そんな思いをしないように毎回毎回「やり残しが無いように」を心がけています

看護師さんたちも、もしかしたらそんな気持ちなのかも知れないですね


なぜ緩和のボランティアをやるのかと聞かれたら、明確な答えはありません

でも、たぶん自分も癌を経験した事と両親を25の時に立て続けに亡くして、ろくな看病もしてあげられなかったから。。。という事でしょうか?


そんな気持ちからなのかも知れません


特に母は病弱な父の代わりに家計を支えて、父が無くなった矢先、これからは母の人生を楽しんで欲しいと思っていた時に急に倒れてそのまま介護するまも無く、亡くなってしまいました

苦労ばかりしていた母に何の恩返しもできなかった。その思いがボランティアという行動になったのかも知れません


そしてもうひとつ


私がボランティアに行くのは、人生の最後の貴重なほんの一瞬を共有させてもらっている。。。

という気持ちなのかも。。。


自分自身よく説明できませんが、そんな気持ちで。。。。。。



今日もこれからボランティアに行ってきます