時間を見つけては長々と書き続けた

家康公の前に突然現れ

お屋敷に入り込んだ謎の女

 

     《おかめ》

 

と言うのは 早い話

 

 家康公の側室であり義直公の母でもあった

【お亀の方 】の事です。

 

名前がそのままなので わざわざ

遠まわしに書くまでも無く

分かりましたね^^A

 

 

まさか家康公の側室ともあろう方が

阿茶の局から色々指導され

立派な御側室になる前の出来事とはいえ

 

人一倍 食い意地が張っていた為

家康公が庭に投げた物まで食べていた

なんて事は ちょっと驚きでした。
 

 

そんな事から私が想像したお亀の方の

体型は 当時にしては結構

ふくよかだったのでは?

 

と思ったのですが

家康公がお亀の方を見染めたエピソードに

 

炊事支度をしている【ふくよかなお亀】に

一目ぼれした

 

と言う様な事が書いてありました。

 

でもこんな事が後の世に書かれているのを

知ったら家康公は

 

『わしは 亀に一目ぼれなどしておらん!

あの者が勝手に屋敷に入って来たのだ!!』

と文句を言った筈なので どうやら

このエピソードはご本人の耳には

入ってない様です。

 

出会いがどうであれ

やがて側室にしたのはご本人の意思だと

思いますが・・・照れ

 

 

後々 尾張徳川藩・藩主になった

義直公の沽券にもかかわる話ですから

一風 変わっていた自分の母の話を

どの様に聞かされていたのか

ちょっと聞いてみたいと思いますが

 

定光寺で 初めて義直公にお会いした時の

【超・ラージサイズの態度】を見る限り

そんな事を聞こうものなら

憤慨する事間違いないでしょう。

 

後日調べた義直公についての記録に

【自分は家康公の血を受け継いだ人間である】

と言う事に 他のどの子供達より

拘りが強かったそうですが

 

もしかしたら 母親が側室に上がった時の状態

と何か関係があったのかもしれません。

 

 

そして 肝心の≪おかめ·ひょっとこ≫と家康公

の話を何故書いておきたかったのか と言うと

 

≪ おかめ  ·ひょっとこ ≫の《おかめ》は

お亀の方が起源だった

と言う理由からです。

 

福の象徴になっている《おかめ・ひょっとこ》の

《おかめ》は

 

家康公御側室だった《お亀の方》の

《お亀》から付けられたものだったのです。

 

 

私が調べた《おかめ·ひょっとこ》の起源説は

色々ありましたが 残念ながら曖昧なものばかりでした。

 

もちろんこの話も 明確な根拠などは一切ありません。

 

家康公 から直接聞いた話

 

たったこれだけの理由ですが

本人が話した事が事実で無いなら

本当の話って 何だろう?

と言う事になってしまいます。

 

(まぁ・・・私が家康公や義直公と

直接会って話している事自体が一番

嘘臭い話なんですけどね(笑)

 

それにしても  

どうして家康公の側室であり

福の神様の化身だと言われた

《お亀の方》が

 

『おかめ・ひょっとこ』などと

芸人の様な面白い人物像になってしまったのか。

 

その理由を『ボ~~』と考えていたら

フッと いつもの様にメッセージ

らしきものが降りてきました。

 

内容はこんな感じ・・・

 

当時(江戸時代のはじめ頃)

徳川の御屋敷に出入りしている

阿茶の局に厳しく教育される前の

《おかめ》をよく知っている人物がいました。

 

 

『家康公が凄く風変わりで

面白い女をお屋敷に上げた!

側室にする為なのかわからないが

何でも 福の神様の化身なんだと 』

 

 

そんな徳川の裏話

誰かに話したくて仕方がありません。

 

でも もし自分が他人に話した事がバレでもしたら

命を危険にさらす事になるかも知れません。

 

 

『 こんな凄い話を世間に広める

良い方法は無いだろうかはてなマークはてなマークはてなマーク

 

とあれこれ考え 思いついたのが

演劇 (神楽・かぐら) と言う方法でした。

 

これなら神楽の話として

【お亀の方】と同じ名前でも堂々と使える上に

おもしろ可笑しくも出来る!

 

結果それが大当たりとなり

民衆の間で広まって行ったのですが

 

これが やがて江戸 里神楽 と言うものになりました。

 

この記事を書いた後 江戸 里神楽 を調べたら 

始まった時代が江戸時代初期頃

 

との記述がある上に

 

【おかめ·ひょっとこ】がよく演じられていた

 

と書かれています。

 

( 自分の思いこみが入らない様

後で色々 調べる様にしているので

驚く事がよくあります)

 

ただし、相棒のひょっとこの顔については

よく分からなかったのでwikiなどで調べてみたら

 

お亀の方の様に本人に似せた顔とは違い

想像図から作られていると書かれていました。

 

元々平安時代頃 劇用に作られていた

面白い顔の男のお面を

ひょっとこの代わりにしたのだそうです。

 

ひょっとこの名前について

家康公から聞いた話では

 

 お亀の方は最初の旦那さんが亡くなられてすぐ

家康公に出会っているのですが

 

その時に

 

『ひょとこ~ ひょとこが 死んだぁ』

(ひょっとこで無くてひょとこだったそうです)

 

と泣いていたそうです。

 

《ひょっとこ》

と言うのは 通説の《火男》では無くて

《おかめ》の旦那さんの

名前だと家康公が話していましたが

 

実名だったのかどうかまでは聞いてません。

 

里神楽で演じられた『おかめひょっとこ』が

その後、日本中に広がっていったのも

 

【徳川家康公ご側室の裏話し】

 

の様な内容だったら きっと民衆も興味津々

となった事と思います。

 

徳川時代が何百年も続き

《おかめひょっとこ》が 縁起の良いもの

として日本中に広まっているのは誰もが知る事実。

 

なので 《お亀の方》は側室になった後は

ちゃんと福の神さまとしての

役割をされていたのだと思っています。

 

 

これが証拠になると言う訳はありませんが

《お亀の方》の肖像画を見ると

確かにお正月の福笑いの【おかめ】に

似てる気がします。

 

 

オカメが福の神の化身だと

教えてくれたのは龍神様だったのですが

 

その事もあって《お亀の方=友人M美》

の前世をもっと探してみようと思い

 

福の神

 

と言われる存在を辿ってみました。

 

その結果についてはここでは長くなるので

また別の記事で書こうと思います。

 

↑の結果これまた

いままで調べた事の無い日本神話にまで

話が遡ることになってしまいました(笑)

 

取り敢えず

おかめひょっとこと 家康公のお話は

これにて 完了