若者のクルマ離れが言われてから久しいがこれは若者がクルマそのものに興味を失うほど日本が豊かになって興味対象が増えたからなのだろうか?
確かにインターネットで興味を持てる情報やトレンドなど簡単に取得できる世界になったがそれはあくまでも情報として脳内にインプットされているだけで決して経験・体験に裏づけされた情報ではない、果たしてそんなものが真の経験・体験に勝るのだろうか?
学校教育も『ゆとり教育』などと言ってかなりゆるゆるのカリキュラムで数十年経過したがその結果中高生になっても九九が出来ない生徒もいるらしいし大学でも工学部(に限らないが)専攻で分数計算すら出来ない学生も多いと聞く。
ましてや、(例外の行き過ぎた体罰は別として)社会的しつけのため教師が(若干の)体罰をしたとたん『モンスターペアレント』が学校に怒鳴り込んでくる、はては学校そのものも事故等が起こった場合の責任が取れないからと児童・生徒たちに対して厳しく叱ることが出来ないし放課後や休日に校庭も閉鎖する始末。
給食費にしても本当に生活が困窮している人からは徴収免除が出来る精度も書く自治体にはある、
しかーし、実際支払っていないのは(それなりに)裕福な人たちが多いようだ、
他にも給食費を払っているのだから「いただきます」「ご馳走様でした」を言う必要が無い、
正当な商行為(?、金を払っているのだから)と感謝の言葉を発する必要が無いと、のたまう親もいると聞く。
何時ごろから(この礼節の国は)こんなに「さもしく 」「荒んだ」人たちが多くなったのだろう・・・
ひねくれた見方ではあると思うがこの人たちを年代的に見ると『ゆとり教育』が始まった頃の年代と符合する(きがする)
何でもかんでも『ゆとり教育』と錦の御旗を掲げ躾もせず社会常識もろくに教えず(学校だけではなく家庭でも『個性を尊重』して親と子(や目上の人への)の関係性まで対等にみて謙譲心もないまま
(妙な)知識と
(くだらない)自尊心と
(好き放題の)権利主張
(そのくせ)社会的ルール(常識とも言う)の欠落した
人間が出来上がる。
果たしてこれが個性なのか!?
そんな(個性的?な)人間に売るために日本の自動車メーカーや家電メーカーは日夜(?)努力しているのだろうがそんな歪んだ個性の歩とたちからのアンケートやヒアリングを元にしたデータでのマーケッティング分析から出来上がる商品が(超個性的とは思いきや)無個性のものばかり。
クルマで言えば
日産エルグランドが当たればトヨタはアルファード
ホンダオデッセイが当たればトヨタはアイシス
スズキのワゴンRが当たればダイハツはムーブ
どれも同じようなものばかりでこの酔眼おじさんには区別が付かない、バッジを変えればみな同じに見える
(注)特定のメーカ非難のつもりはないですよ、思いついた例をあげただけです
携帯にしても
カメラをつけたり着メロ・デコメ等々どこかのメーカーが新機能を付ければ数ヵ月後に他メーカーが同様の機能を付ける。
これらの商品企画をしている中心メンバーの年代も(たぶん?)ゆとり教育世代・・・
これらが本当に『ゆとり教育』の成果なのだろうか?
例えるときりが無いのでこのくらいにしておくが、
そんな『個性的』な人たちが企画した(無個性な)商品・製品が、売れるわけが無い
購入対象となる一般コンシュマーは
本人が個性的と思っているだけで
実は(個性などまったく無い)自己主張が強い割りにはファッションにしても
何かが流行ればみんな同じ格好をして(それをトレンド最先端と自己満足)
興味が無くても)サッカーワールドカップなどでは(愛国心などほとんど無くても)勝ち負けで狂喜乱舞し
アップルの新製品(MacOS・iPhone・ipad)やマイクロソフトの新OS(windowsX)の発売日にはShopの前に徹夜で並ぶ
これが本当に『個性を伸ばすゆとり教育』の結果ではないか?
結局横並びで左右を見ながら
『出過ぎないよう』
『遅れないよう』
『目立たないよう』
異質なものは排除対象(要するにいじめ・シカト)のターゲットにされるのを怖がっている人たち
そのゆとり教育の申し子たる彼らもかわいそうで自分が何者か分からなくなって『自分探し』の旅に出る・・・
社会構造の中核となってきているこの世代が構成するこの『社会』は歪むのも当たり前に思える。
裕福なのに不安感・焦燥感・むなしさが鬱積するこの世代(だけじゃなく全世代も)
今まで随分頑張ってきたのだからここで立ち止まって考えて見ないか?
ゴーギャン