少し時期が外れてしまったけれど、初詣の話。
参拝の時、ほとんどの人は賽銭を入れ願い事をすると思う。
僕の願い事は、ここ7年くらい、決まって世界平和だ。
これは、切実に世界が平和になってほしいと思っている、からではない。
絶対に叶うことがないとわかっているからだ。

今となっては願い事するような望み自体ないわけだが、
以前はそれなりに欲しいものや叶えたいことがあった。
しかし、それらを神に願ったことは無かった。
第三者によってもたらされることが許せなかったからだ。
自分の実力以外の要素で望みを叶えるのが嫌だったのだ。
当時から神の存在を認めてはいなかったが、ケチがつくと思ってた。
だから、自分に関わり無いところの、絶対に叶わぬ願いをしてた。

実際に神に祈って叶えてもらおうと思う人はほとんど居まい。
神の存在を真剣に認めている人など極少数だろうし、
そういう人たちも都合よく願いを叶えてくれる存在とは思ってないだろう。
それでも願うのは、そうすることで改善される何かがあるんだろう。
そして、それが正しい神の使い方なんだろう。
今はそんな風に考えている。

「望み無し」の今。願い続ける世界平和。
惰性なのかもしれない。もし、そうでないとしたら。
僕は神を信じたいのだろうか…ってそれはありえないけど。
まぁ、叶ったら認めてやっても良いや。