今回は僕の思想に触れたいと思う。
まずは、二つ前の記事で少し触れた、
ただ死んでないだけの状態、について言及する。
の前に、僕にとっての「生きる」定義を説明。
僕にとって、生きるということは欲することだ。
望みを持つ、と言い換えてもいい。
欲し、それを手に入れるための手段が「生」だと思う。
欲するといってもその範囲は幅広い。
単純に、死にたく無い、というのも望みの一種だし、
もっと多くのものを体験したい、味わいたい、楽しみたい
といったところがスタンダードだろうか?
成功して、富と名誉と権力を得たい
…なんてステレオタイプな欲望を固持してる人は今や少ないだろうけど、
もちろんこれだって立派な望みだ。
人を殺したい、とか社会的に否定されるものだって、望みに違いない。
夢、なんてほど大層なものまでいかずとも、
こういった望みを持って生命活動を維持することが、
僕にとって「生きる」ということ。
ただ生命活動を維持することだけでは、生きているといわない。
それは、望みを叶えるための単なる手段に過ぎない。
望みを持つためには生命活動を維持していなければいけないから、
それまでの過渡期間とはいえるかもしれないが。
それでも、望みを持ちたいとすら思わなければ、
本人にとっては目的の無い手段にしかならない。
「うしおととら」という漫画で、妖怪が人に尋ねる話があった。
私は多くの人の死を見てきたが、死を恐れるものがいれば、
恐れずに受け入れるものもいる。それはなぜだ?と。
簡単だ。
生命活動を維持すること以上に欲するものがあったから。
それを手に入れるために生命という手段を消費するのだ。
人は「生きる」ために生きるのだから。
主人公うしおは、この問いに、泥なんてなんだい、と答えていた。
大切なものを得るためには、泥をかぶることなんて問題ではない、と。
まったく、その通りだなぁと思ったものだ。
と、話が逸れた。
僕の「生きる」定義はこんなところ。
だが、僕の定義だと範囲が個人レベルに限られている。
そこに人との関係性を置いたときに、
生命活動の維持が手段と目的を兼ねる場合もあるだろう。
ただ生命持つだけで、親しい人間を喜ばす、もしくは哀しませない。
でもそれすらも目的に据えない、望まない場合は…?
僕は上記の全てを望まない。
僕の自覚していないところでは望んでいるかもしれない。
いや、多分望んでいるんだろうなぁとは思う。
じゃないとブログなんて作ってないんだろうし。
それでもやっぱり、欲するものがないのだ。
この、欲するための手段、生命活動を失っても構わないと思うくらいに。
かといって死にたいわけじゃない。
死にたい、というのも立派な望みだから。それすら無い。
長くなったけれども、これが僕の現状態。
ただ死んでないだけ、ということ。
まずは、二つ前の記事で少し触れた、
ただ死んでないだけの状態、について言及する。
の前に、僕にとっての「生きる」定義を説明。
僕にとって、生きるということは欲することだ。
望みを持つ、と言い換えてもいい。
欲し、それを手に入れるための手段が「生」だと思う。
欲するといってもその範囲は幅広い。
単純に、死にたく無い、というのも望みの一種だし、
もっと多くのものを体験したい、味わいたい、楽しみたい
といったところがスタンダードだろうか?
成功して、富と名誉と権力を得たい
…なんてステレオタイプな欲望を固持してる人は今や少ないだろうけど、
もちろんこれだって立派な望みだ。
人を殺したい、とか社会的に否定されるものだって、望みに違いない。
夢、なんてほど大層なものまでいかずとも、
こういった望みを持って生命活動を維持することが、
僕にとって「生きる」ということ。
ただ生命活動を維持することだけでは、生きているといわない。
それは、望みを叶えるための単なる手段に過ぎない。
望みを持つためには生命活動を維持していなければいけないから、
それまでの過渡期間とはいえるかもしれないが。
それでも、望みを持ちたいとすら思わなければ、
本人にとっては目的の無い手段にしかならない。
「うしおととら」という漫画で、妖怪が人に尋ねる話があった。
私は多くの人の死を見てきたが、死を恐れるものがいれば、
恐れずに受け入れるものもいる。それはなぜだ?と。
簡単だ。
生命活動を維持すること以上に欲するものがあったから。
それを手に入れるために生命という手段を消費するのだ。
人は「生きる」ために生きるのだから。
主人公うしおは、この問いに、泥なんてなんだい、と答えていた。
大切なものを得るためには、泥をかぶることなんて問題ではない、と。
まったく、その通りだなぁと思ったものだ。
と、話が逸れた。
僕の「生きる」定義はこんなところ。
だが、僕の定義だと範囲が個人レベルに限られている。
そこに人との関係性を置いたときに、
生命活動の維持が手段と目的を兼ねる場合もあるだろう。
ただ生命持つだけで、親しい人間を喜ばす、もしくは哀しませない。
でもそれすらも目的に据えない、望まない場合は…?
僕は上記の全てを望まない。
僕の自覚していないところでは望んでいるかもしれない。
いや、多分望んでいるんだろうなぁとは思う。
じゃないとブログなんて作ってないんだろうし。
それでもやっぱり、欲するものがないのだ。
この、欲するための手段、生命活動を失っても構わないと思うくらいに。
かといって死にたいわけじゃない。
死にたい、というのも立派な望みだから。それすら無い。
長くなったけれども、これが僕の現状態。
ただ死んでないだけ、ということ。