米国が、ベネズエラに対しまして軍事作戦を決行し、マドゥロ大統領夫妻の身柄を確保、そのまま米国に連行したというニュースが新年早々飛び込んで来ました。
それに対しまして、日本政府も声明を出した様です。
外務省報道官の談話は、こちらになります。

ご覧の通り、米国の戦略に対しまして支持も非難も避け、ベネズエラの今後の発展を願うという、おサヨク様が大好きな「曖昧戦略」なのですが、この“姿勢”が気に入らない人もいらっしゃる様です。


確かに、国連憲章第2条4項に抵触し、且つ例外規定でもあります、
- 国連憲章第42条(国連安保理決議)
- 国連憲章第51条(自衛権行使)
にも該当しませんので、「武力不行使」を謳う国連憲章に違反しているという様に思えます。
こちらの方も、その様に見ていらっしゃる様ですね。
では、米国の今回のベネズエラに対する“軍事作戦”を、国際法(国連憲章)上はどの様な評価となるのでしょうか?
国際法の専門家たちの間では、
「国連憲章違反の可能性が高い」
という見解が指摘されております。
①国連憲章第2条4項に違反
他国の主権国家に対し、自衛権や国連安保理決議なしに軍事力を行使することは原則として禁止されています。
米国側は麻薬・テロ関与を理由にしているものの、これを自衛権の行使や国連安保理決議による正当化につなげるのは国際法上弱いと見られています。
③国連安保理の承認がない
国際的に見ても、安保理の承認や正当な集団的自衛の根拠なく他国に武力を用いたことは、国際秩序に反する行為との批判が強いです。
従いまして、
今回の米国の軍事行動は、国連憲章上重大な問題があると評価されるのが国際法の一般的な見解です。
ただし、現実に安保理制裁や拘束措置が行われる仕組みはなく、米国が実際に処罰される可能性は低いという議論もあります。
「しかし、ベネズエラ国民は歓迎しているじゃないか!」
という意見も出て来るでしょうし、実際の話、今回の米国によります軍事行動を、ベネズエラ国民は大歓迎の様です。
何故、ベネズエラ国民は他国による軍事介入を歓迎しているのかは、こちらをご覧戴けますとお分かりになられるかと思います。
とはいえ、
「ベネズエラ国民の歓迎」は、政治的・事実上の評価には影響しますが、原則として国連憲章違反という法的評価そのものを“自動的に無効化”はしません。
ただし、その後の処理(事後的整理)は大きく変わり得ます。
段階的に整理してみましょう。
①国際法は「国民」ではなく「国家」を単位にする
国連憲章秩序の基本は、
従いまして、
- 「国民の多数が歓迎している」
- 「独裁者が嫌われていた」
という事情は、武力行使の合法性判断(2条4項)には原則として影響しません。
ここが、しばしば人々の感覚とズレる点です。
②それでも「事後的に処理が変わる」理由
しかし現実の国際社会では、違法性の有無と、その後の扱いは別問題として処理されることが多いです。
今回想定される流れは、かなり典型的です。
③想定される「国際社会の処理パターン」
【パターンA】事実上の黙認(最も可能性が高い)
国連総会・安保理 → 強い非難決議は出ない/出ても実効性なし
- 「遺憾」「深刻な懸念」止まり
- 新政権が成立し、治安が安定
- 国民投票や選挙が比較的早期に行われる
この場合、
法的にはグレー〜違法ですが、政治的には既成事実として受容されます。
イラク2003やパナマ1989に近い処理ですね。
【パターンB】「招請による介入」への書き換え
事後的に暫定政府が、
- 「我々は米国に支援を要請していた」
- 「マドゥロ政権は正統性を失っていた」
と宣言するケースですね。
これは後付け理論ですが、実務上はしばしば使われます。
※厳密な国際法理論では弱いですが、政治的には非常に有効です。
【パターンC】人民自決・人道介入論の援用(補助線)
- 「国民の圧倒的支持」
- 「深刻な人権侵害」
- 「平和的手段が尽きていた」
が強調されまして、
「例外的に許容される介入だった」
という道義的正当化が前面に出ます。
ただしこれは、国連憲章上の明確な合法根拠にはなりません。
④逆に「違法性が残り続ける点」
どれだけ歓迎されましても、以下は消えません。
- 武力行使があった事実
- 安保理決議がない事実
- 現職国家元首を国外に連行した事実
つまり、
- 「違法だが、処罰されない」
- 「前例としては非常に危険」
という評価が、学界・歴史には残ります。
⑤国民の歓迎が“決定的に効く場面”
それでも、国民の支持が決定的になる場面がございます。
- 新政府が国際的に承認されるか
- 制裁が解除されるか
- 復興支援が行われるか
- 内戦に発展するか否か
ここでは、
国民の支持=安定性=正統性として極めて重視されます。
つまり、
となりますと、最も現実的なのは、
「国連憲章違反の疑義は指摘され続けるが、国民の支持と新政権の成立を理由に、国際社会は深追いしない」
という処理です。
これは、
- 強者ほど法的正当化に執着する
- しかし最終的には「秩序維持」を優先する
という国際秩序の本質そのものと言えましょう。
実は、米国国務長官のマルコ・ルビオ氏が、X(旧Twitter)へ2025年7月27日に以下の投稿をされていらっしゃいます。
マドゥロはベネズエラの大統領ではなく、彼の政権は正当な政府ではありません。
マドゥロはカルテル・デ・ロス・ソレスの首領であり、麻薬テロ組織が一国を掌握しています。
そして彼は、米国に麻薬を流入させたとして起訴されています。
これは、非常に重要な「伏線」と、私は考えます。
ルビオ氏の声明は、単なる政治的発言ではなく、米国側の正当化フレームの中核をなすものです。
そしてそのフレームには、国際法的評価とは別の「政治的整理の道筋」が含まれています。
以下にポイントを整理してまとめます。
①ルビオ氏の声明の構造
- 「マドゥロは合法的な大統領ではない」
- 「カルテルの首領であり、 narco-terror organization の長だ」
- 「米国に対して犯罪を行った」
これは同時に、
- 政治的正統性の否定
- 国家ではなく「犯罪組織」への人格付与
- 米国の安全への直接的脅威
という三つのレトリックを積み重ねています。
②この声明がどう作用するか(国際政治)
(1)正統性の否定 ⇒ 国際社会の“黙認”を促す
「大統領ではない」と断言することで、ベネズエラの現状を “国家体制の欠如” として提示をしております。
これは国際社会にとりまして、従来の国家主権秩序からの例外化の道筋を与えます。
(2)反社会的組織化 ⇒ “違法行動の感染源”として置き換え
「narco-terror」という語は、国際法の正当化には使われませんが、
といった
多国間合意を背景にした行動として理解され易いでしょう。
これは政治的情緒としましては、「やむを得ない介入」として作用します。
(3)米国の被害者性を強調
「米国に麻薬を押し付けた」という主張は、
- 国内世論向けには有効
- 国際的にも共感を呼びやすい
- 特に中南米諸国には影響力が大きい
結果、国際政治における「正義の装置」として作用します。
③国家主権・正統性の剥奪は合法か?
ここは最重要点です。
国際法上、国家の元首の正統性は他国が一方的に否定できるものではございません。
国連憲章も、国際法体系も、
- 国家の内政問題として処理
- 外交承認の有無は国家の裁量
とは明確に区別しています。
つまり、
国際社会の一部が「認めない」と言う≠ 法的に「正統性を否定する」
という事です。
④まとめ
- 政権の正統性否定→国際社会の承認が分裂する
- 犯罪的性格の強調→法的秩序の枠外に置かれる
- 国家という単位の弱体化→「国家対国家」という従来の枠組みが使いにくい
結果としまして
国際社会は「法的な違法性」を指摘しつつも、具体的な責任追及を避ける方向に傾く可能性が高い訳ですね。
つまり、
- 違法とされる行為は放置
- 正当性と責任は棚上げ
- 新政権との関係修復を優先
といった形で、
有耶無耶化(事実上の整理)が進みやすい構造になる訳です。
国際社会は現実的に次のバランスを取ろうとします。
それぞれの「立場」と「望む結果」を列記してみましょう。
- ベネズエラ国民…安定・治安・生活回復
- 中南米諸国…外部介入の否定・安定
- 米国…麻薬・治安・政治的勝利
- EU・国連…平和の回復・人道
- ロシア・China…米国への牽制
誰も「責任追及」したい国はない訳です。
これは法ではなく、国際政治の利害一致の結果です。
⑤開発投入された政治的用語の効力
ルビオ氏の声明で使われている語彙
- illegitimate(非正統)
- narco-terror(麻薬テロ)
- cartel(犯罪組織)
は、
全て国際法の裁判所での証明が要求されない語彙です。
つまり、
- 公式な法廷での証明責任を回避
- 世論と外交で評価を形成
- 責任追及を政治的に無力化
こうした効果がございます。
このルビオ氏の声明は、法的評価ではなく、政治的整理の枠組みを作るものです。
この枠組みは、
- 法的な正統性問題
- 違法な武力行使の責任
- 国家主権の侵害
という冷徹な法理論とは別次元で、
そしてその結果として国際社会は、法的には違法でも現実政治としては有耶無耶にする方向に傾く可能性が高いと私は考えておりますが、皆様は如何でしょうか?