バック・トゥ・ザ・ストーン・エイジ(石器時代への帰還) | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

2010年の年間国内総生産(GDP)14兆6600億ドル、これを越える過度な国家負債、年間1兆数千億ドルに達する財政赤字、それを便宜的に埋めるための負債(国債発行など)の上限の上向修正を巡る与野間の熾烈な競争、そのために国家信用評価等級が下落するという史上例のない事態までひきおこし、サンクチュアリだった軍事費の大幅削減まで強制されているアメリカですが残念ながら今後も事態が好転する兆しはまったく見られない状況、。これが現在のアメリカです。もちろんそれでもアメリカは強国であり、それに代わる国が出現しない限りアメリカの覇権は維持されると言われる方も沢山いると思います。


本ブログでは以前から衰退するアメリカの姿を様々な方向から指摘してきましたが、今回もさらに指摘しようと思います。


韓国の社会学者キム・グァンギ氏が最近「我々の知るアメリカはもう無い」という著作を発表しました。その中で興味深い話しを書いているのでご紹介します。キム氏は同著の第1章を「経済危機でねじ曲げられたアメリカ人の自尊心」とし、いくつかの実例を挙げていますが、実にそれは真に迫るものでした。


彼は第1章の最初の話を「アスファルトから砂利に替わるアメリカのフリーウェイ」の話から始めます。ノースダコタ州のジェイムスタウンでアスファルト道路を剥ぎアスファルトの替わりにに砂利を敷き詰めている姿を撮ったウォールスオリート・ジャーナルの写真を載せています。


ご存じのようにアスファルトは気候などの変化を受けて随分と痛みます。一定時期が過ぎると割れたりして再舗装が必要になります。つまり維持するのが大変なのです。その費用を捻出するのが難しくなっているので、砂利に替えているのです。アスファルト道路を砂利道に替えているのはノースダコタ州だけではなくサウスダコタ、アラバマ、ペンシルバニア、オハイオでも行われています。ミシガン州では83の郡のうち実に38郡でアスファルトの道を砂利道に変えています。


大学ではこの現象についてセミナーまで開いたりしていると言います。そしてそのセミナーの名称がなんと「石器時代への帰還」(Back to the sutone Age)というものでした。もちろんこのような姿はアメリカの映画ではついぞ見られません。アメリカ得意の派手なカーアクションはこれからどうするのでしょうか。今後は急スピードで車をスピンさせ、はじかれた砂利で悪党を撃ち倒す新しいシーンが生まれるかも知れません。


それだけではありません。第1章の4番目の話は「鶏は1羽だけ飼うように!」です。ロサンゼルス市議会が2009年9月に議会を通過させた条例がそれです。ロサンゼルスの一般家庭で鶏を飼っていたなんてと思われるかも知れません。管理人も初めて知りました。ところがロサンゼルスだけではなく、ニューヨークからシカゴの郊外、それに広大な西部に至るまでの米全域で鶏を飼うのがトレンドだというのです。あまりにも多くの家庭が鶏を大々的に飼うので、鶏は年1羽以上飼ってはならないという条例が生まれたわけです。


なぜ鶏を飼うのがブームになったのでしょうか。ご存じのように牛肉こそがアメリカ人の主食だと言えるのですが、中産層や庶民がインフレのために一層高くなった牛肉を以前のように食べることが出来なくなったのです。そのためアメリカの肉牛の飼育数も減り、かわりに安い非常食用のスパム牛肉が増えスパム製造会社の株が上昇していると言います。ところがスパム牛肉はまずく、健康上安心しきれず、そのために鶏を買うようになったというのです。


ところがたんに数値上に現れる経済的後退、生活水準の低下、庶民が貧しくなったという事実より、もっと重大な問題があります。今アメリカの人々は鶏と銃、そして農作物の種子を購入するのに必死だといいます。ところがこれらの症状はみな有事に対備した非常方策と関連しているらしいというのです。


ただ生活するのが以前よりも難しくなったという次元の話ではないわけです。もしかしたら国家の保護に対する未練を捨て自分の力で生きていかねばならない,そうした切迫した状況に備えなければならないという物理的、心理的危機意識の現れだと言えそうです。「万人の万人に対する闘い」を想定した最後の生存戦略まで考えなければならないと言う程に、今のアメリカは不確実であり不安全であり、不安だと感じているというのです。そして少なくとも予測可能な未来にまでこうした状況が改善されるのではなく、一層悪化する可能性の方が濃厚だとアメリカ人自身が考えているのです。


限定された地方ではなくLAや、ロサンゼルス、ニューヨーク、シカゴなどの大都会の住民達がそう感じているというのです。どうでしょうか。これでもアメリカは「希望の国」「チャンスの国」でしょうか。最早その作られたイメージは剥がれ落ちているのです。もちろん親米主義に凝り固まった人々には、こうしたアメリカの姿は見たくも無いでしょう。しかしへたをしたらそれは遠くない日本の姿かも知れないのです。