蘇れ「ビキニデー」 | 朝鮮問題深掘りすると?

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初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。

リハビリのために毎日2,3時間ほど歩いているのですが、昨日、ふとしたことから3月1日が「ビキニデー」であることを思い出しました。今の若い人たちには何のことか知らないかもしれませんが、「ビキニを着る日」などでは有りません。

反核を主張する人々であるならば決して忘れてはならない日です。一九五四年3月1日、アメリカは西太平洋マーシャル諸島のビキニ島で水爆実験をし、日本の第5福竜丸が被爆し、乗船していた漁師の方々が犠牲になった日です。


第2次世界大戦の最後に原爆開発に成功したアメリカは、ソ連への脅しと大戦後の植民地分割で優位を占め、戦後国際関係を「世界の指導国」としての米国の地位を補償するものにの再編するための、いわば梅雨払いとして広島と長崎に原爆投下し、むこな日本国民を殺戮しました。それは人体を使って行った、原爆を実戦に投下した場合の実験でもありました。


その後アメリカはこのビキニ島を原爆の実験島とし、1946年から原爆実験を始めました。1949年にソ連が原爆開発に成功するやアメリカは、水素爆弾の開発に向かい1952年に水素爆弾開発に成功し、1954年に水爆実験を行いました。この年の3月1日に、ビキニ島で行ったのがそれです。その作戦には「ブラボー」というとんでもない名前が付けられました。


この実験によりビキニ島一帯の原住民が水爆の被害を受けました。ビキニ島での水爆実験は総67回に達しましたが、「ブラボー」に使われた水爆の破壊力は広島の1000倍(TNT15Mt)に達したと言います。
爆心地から180キロ離れたロンゲリク島の住民は事前の非難通告もなく、放射能に露出され深刻な被害を受けました。男女老小の区別なく酷い嘔吐と皮膚炎焼、脱毛症状が襲いました。


湾岸戦争でアメリカが使った劣化ウラン弾の被害を取材した作家の森住卓氏によれば、ビキニ島実験時に島の外にいて被爆を免れた人々も、汚染されたヤシガニやパンの実、魚などの食べ物から放射能を摂取し原爆症にかかった人たちも増加していると言います。


ところがまさにその日、マーシャル諸島近海で操業していた日本の「第5福竜丸」が被爆したのです。
23人の船員全員が被爆したのです。そのうちの一人である、無線長の久保山愛吉さんは「原水爆による犠牲者は私が最後になってほしい」という言葉を残してわずか半年後、39歳の若さでなくなりました。


当時の新聞を見ると、マーシャル諸島近海で取ったぶりから強力な放射能が検出され、焼津、三崎、大阪、高地などの各地の魚市場では大量のぶりを放棄する事態がおきました。すし屋など魚を扱うお店に訪れる人は無く、「放射能恐慌」が生まれ、東京の卸売り場ではコレラの流行以来、初めて取引が中断される事態まで起きています。


この「第5福竜丸」の被爆事件は、強力な反核運動を呼びました。当時僅か一年で3400万人(有権者数の過半数)が核兵器絶対反対、絶対破棄を要求する原水爆禁止署名運動に参加しています。
これが原動力となり1955年8月に広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、56年には第2回原水禁世界大会が長崎で行われました。そして3月1日になると「第5福竜丸」が出航した静岡県で毎年「ビキニデー大会」が行われています。


ところが今の日本は「ビキニデー」を完全に忘れてしまっているようです。マスメディアも扱おうとしません。アメリカに核先制使用を撤回しないように要求した日本です。非核3原則が密約によって踏み躙られてきたことにさえ目を瞑っている日本です。自国民を虐殺した核兵器によって守ってもらおうと、必死にアメリカにしがみ付いている日本です。そしてマスメディアもそれに乗っかって口を閉ざしています。


北朝鮮の核は怖いがアメリカの核は怖くないというのです。日本は三度に渡ってアメリカの核の被害を直接受けた国です。そのアメリカに対して正面から非難するわけでもなく、逆にアメリカの核の傘に入って敵国と思われる対象めがけて、何か有れば核を撃ち込むように哀願している国です。そんな国に非核を主張し、核兵器開発を非難する資格があるのでしょうか。


日本が非核を貫くつもりであるのなら、アメリカの核の傘から飛び出して、アメリカの尻尾を堅く握り締めているその手を離し、敵国と目している北朝鮮と堂々とした外交交渉を通じて、核の脅威を取り除く努力をすべきではないのでしょうか。


日本がアメリカの核の傘によって守られていると言うのは大いなる幻想です。それは広島-長崎-ビキニへと続く日本国民の歴史的体験に対する冒涜です。日本の平和を守ってきたのはアメリカにとって有り難くない平和憲法であり、その精神を守ろうとする国民の強靭な平和指向によって守られてきたのです。


今その憲法を骨抜きにしようとする策動が表面化しています。「日本も核武装を」と訴える連中もいます。いまこそ「ビキニデー」を蘇らせる必要があります。広島-長崎-ビキニは繋がらなくてはなりません。