駄作の反面教材・TBSの「関口宏もとをたどれば」 | 朝鮮問題深掘りすると?

朝鮮問題深掘りすると?

初老の徳さんが考える朝鮮半島関係報道の歪み、評論家、報道人の勉強不足を叱咤し、ステレオタイプを斬る。


TBSの「関口宏もとをたどれば」の4月23日放送分「北朝鮮の6つのなぞ」を見た。北朝鮮の現代史を辿り、今の政治体制がどのようにして作り上げられたのかを、ドキュメンタリー風になぞったものである。放映時間一時間の力の入れようだ。だが、見ていてドキュメンタリーにしては随分と薄っぺらで型にはまったものだという印象が強い。

最も気になったのは、歴史をどう解釈するかという根本的な点で問題がありそうだという点だ。歴史とは様々な要因や実相の歴史的意味、歴史的地位、現象の表れ方、後世に受け継がれた要素、事実関係などの総合的解釈のうえに成り立つものである。いわば算数の次元ではなく高等数学の次元なのだ。それを算数的次元で理解しようとすると、このような駄作を作ることになるという格好の教材になろう。

北朝鮮と旧ソ連、中国の関係ももっと複雑であり、多様な要素がたくさんある。だが、それらは全て切り取られ、始めから意図した方向に向けられて編集している。コメンテーターとして登場した毎日新聞の鈴木琢磨、韓国在住の黒田何がしという女優、評論家の辺真一らのコメントも自分たちのイメージしている北朝鮮像を勝手にしゃべっているだけで、多いに客観性に欠けるコメントに終始している。

例えば日本在住の脱北者に対する取材にしても北朝鮮を逃げ出した者であり、当然北朝鮮の社会に不満を持っている者たちなのであるから、彼らから客観的な意見を聞くにはそれ相応の準備というものが必要だが、彼らの意見が多様な意見の中のひとつに過ぎないといった捉え方でもなく、そうした努力は垣間見られない。

TBSnのドキュメンタリーは、北朝鮮を理解するというよりも、個人崇拝国家、好戦的独裁国家、自由の無い孤立した独裁国家というステロタイプな認識に何とか客観性を持たせようとすることに柱を据え、編集されている。だから、11年制完全無料義務教育制度や、税金の廃絶、無料医療制度、無料住宅供給制度(だから住宅の売買は禁止されている)、土地の公有制度(だから土地の売買は禁止されている)、文化芸術活動に対する国家的な完全保護などについては一言半句も無い。日本の一般的社会通念、価値観から見て「おかしい」、「理解しがたい」と思われる点にだけ、スポットを当てているのだ。

とろこで北朝鮮は社会主義国である。それも旧ソ連や旧ソ連の鏡写しに過ぎなかった旧東欧社会主義、あるいは中国社会主義(名ばかりだが)とも違う、まったくユニークな国つくりをしている。だが、そうした認識がまったく欠如しているのだ。

そしてそのユニークな国つくりが往々にして旧ソ連や中国などの大国の内政干渉的圧力、アメリカや日本の北朝鮮敵視政策、韓国の対決姿勢や反民族統一的政策とのせめぎ合いのなかで、国家の独立と自主性を守り抜くという、歴史的流れの中で作られたものであることが、まったく見落とされている。慶応大学の小此木教授はこれを小国の生き残りのための外交と呼んだが、不正確な表現である。核心的問題は国家と民族の独立、自決権、自主性を大国の干渉からいかに守り抜くかという、もっと崇高な理念によるものとして捉えるべきであろう。

はっきり言って小国の外交について云々するのであれば、それは日本のように大国アメリカにおんぶに抱っこという具合に、中国におんぶに抱っこされたほうが苦労が無くて済むだろう。なのに北朝鮮はなぜそれをしなかったのか?ソ連が崩壊し、中国が鄧小平の時代から資本主義を取り入れ始めたときに、なぜそれについていかなかったのか?小此木氏の「小国の外交論」では答えが出ないであろう。

また鈴木琢磨や辺真一の言葉、あるいは脱北者の言葉からは、国民の意思統一が強制や外部からの遮断とによって可能であったかのような印象を与えているが、果たして北朝鮮は外部から完全に遮断され続けてきたのであろうか?少なくとも在日朝鮮人の北朝鮮往来を日本政府が許可した1970年代後半より以来、毎年1万人以上の在日朝鮮人が北朝鮮を訪れており、家族や親戚、友人達と会っているのだ。彼らが伝えた情報だけでも相当なものであろう。しかも北朝鮮は国連加盟国180カ国のうち150カ国以上と国交を結んでおり、毎年ヨーロッパや第3世界の人々が往来している。彼らもまた外の情報を持って来ている。韓国に金大中政権が生まれた1998年以降は毎年10~30万人近くの人が韓国から訪れ、中国からの観光客も毎年数十万人に達している。

もちろんこれは近年の数字だが、仮に鈴木琢磨や辺真一らの言うように、強制や外部社会との断絶が国民統合を可能にしたと言うのであれば、そんな国民統合なら一瞬にして吹き飛んでいたであろう。

ヨーロッパ諸国との国交樹立後すでに10年以上になるが、はたして北朝鮮の国民統合にひびが入っていると言えるのだろうか?答えはどう見ても否である。となると、ほかに原因があるはずだと思うのが、普通である。だが、その普通が通らないようにしているのがステロタイプな思考である。

日本の北朝鮮研究家や評論家、分析家の多くが自ら作り上げたモデルの虜になって、ステロタイプな思考に囚われている。彼らの中には客観性という基準さえも勝手に作り上げる者もいる。鈴木琢磨や辺真一もその中に含まれてもよさそうだ。

北朝鮮現代史を客観的にそして事実に即して振り返るならば、「関口宏もとをたどれば」の「北朝鮮の6つのなぞ」は、ドキュメンタリーとしては薄っぺらな、完全な失敗作だという他ない。TBSほどのTV局ならば、時間と金を惜しまずにしっかりとした調査、資料集め、学者や当局関連経験者などに対する多面的なインタビューを通じて、もっと骨太なしっかりとしたドキュメンタリーを制作できないこともあるまい。実に四畳半的なドキュメンタリーで失望した。これも日本のメディア社会に巣食っている病巣を取り除けないでいる、悲しき現実の落とし子なのであろうか。

ついでに、TBSも北朝鮮の映画著作権をまったく無視していることを告げなければならない。「北朝鮮の6つのなぞ」に使われた記録映画は、全て小林氏に独占的権利があるという知財高裁の判決については、すでに当ブログでも何度も書いている。しかもTBSは早くから国際著作権協定(ベルヌ条約)を遵守するという基本的立場に基づいて小林氏の主張を認め、裁判の結果が出るまでは北朝鮮の映画、記録映画、アニメなど全ての35ミリについては小林氏の許可無く使用しないことを、会社間の信義則に基づいて約束している。ところが「関口宏もとをたどれば」は、それを完全に無視している(この点については小林氏に確認を取っている)。小林氏はTBSが小林氏との約束を反故にしたのなら、日テレやフジTV同様法的処理に委ねるしかないとしている。もっとも小林氏はTBSが約束を再確認し、謝罪なり納得のいく措置を取るのなら善処するとも言っている。またかりに番組プロディユーサーが、勝手にそれを無視したというのなら、その責任をプロディユーサー自身に取らせることをTBSに要求するつもりだと言っている。

制作プロディユーサーのこの無責任さ、無自覚さが番組の内容にもそのまま反映されていると言えよう。