「……村内さん、癌なのか…」
「多分な…痛みがたいしてないからすい臓かもしれん」
「…あんた…分かってたのか…自分が長くないこと。だから大地を離しておきたかったのか」
多分、潤伍が来る随分前から自覚があったのだろう。だから、誰かに大地を託したかった。
潤伍は漸く老人の真意を掴んだ。
「止めた」
村内は潤伍の言葉に、落ち窪んだ目を見開いた。
「村内さん、俺は今日、大地を旅の第一段階として武甲へ連れて行こうと思った。ここからなら近いし、慣れる為に近場からと」
「そ、それじゃあ」
「でも止めた」
村内は次の言葉を待った。
「…俺は、大切な人達を失った。…その死に目に会えなかった。俺はいつも一足遅かった…」
村内は静かに聞いている。
「大地も同じ目に合わせるつもりか…それはいつまでもしこりが残る。あんたは逃げてるだけだ」
「…大地に辛い想いをさせたくなかった。自分がこの世でたった1人なんだと絶望するんじゃないかと…それが怖かった」
「大地はそんなに弱い子か?1人で逃げても、残される者には哀しみと後悔しかないぞ」
「まだ11だ。…頼る相手が必要だ」
潤伍は一呼吸置いた。
「大地は任せろ。街に定住させるか旅に連れて行くかはまだ決めてないが、あんたが逝った後は俺が責任を持って預かろう。でも、それは今ではない。一緒に乗り越える事こそ大地のためだ」
村内はゆっくりと身体を起こすと、ベッド際のテーブルに置かれた水を一口、口内を潤した。
「大地の両親は小さい会社で共働きしててなぁ、あれが起こった時に運悪く飛行機の墜落で会社ごと…。婆さんはオリンピックも観ないで逝っちまった…大地にはワシしか居ないんだ」
「人は1人ではいられない。絆を作っていくことが出来る。あんたも大地も1人じゃない」
「…お前さん、以前とは変わったな」
自身の変化を感じてはいたが、不快感はなかった。
ポストマンとして旅を始めてから出会った人々が、短くとも自問の時間を潤伍に与えた。
現実から逃げるように1人を選び生きてきた潤伍は、それでも1人ではなかった。
ハギは夏との絆の証でしかないと思っていた。でも違った。
人は誰かの支えや役に立つことで、生き、そして生かされていた。
全ての生き物は繋がっていて、それを受け入れると生きる喜びが出来る。
旅のきっかけは緑の蓋のマタタビ粉だった。でも、それはただの理由でしかなかった。
潤伍はハギの為に動いていただけに過ぎず、それが喜びであり“生きること”だった。
そしてそれは誰もが同じ。誰かを想い、誰かの為に…。
それは顔も知らない誰かかもしれない。店を開く者も牛を育てる者も、潤伍の服を洋裁する者、畑を耕す者。
それも皆が繋がっている証拠である。
どんな世の中であっても、それは確実にそこに在る繋がり、絆である。
今の潤伍には感覚でしかないこの気持ちは、村内に伝わっただろうか。
「お前さんに改めて頼みたい。大地を宜しく頼む」
「分かった。でも残りの時間、大地としっかり話をすることだ」
老人はしっかりと目を伏せて頭を下げた。
その時、扉の外で鼻をすする音が聞こえた後、ゆっくりと扉が開いた。
潤伍の茶を用意した大地だった。
「…聞いてたのか」
村内は少し慌てた様子で問う。
少年は気まずそうだったが、不意に顔を上げた。その目は涙で赤く腫れ上がっている。
「お爺ちゃん…死んじゃうの?…ただの風邪だって…」
場を外そうとする潤伍を老人の痩せた手が留めた。
「大地…すまんな。爺は多分もう長くない」
「薬は?何かないの?」
潤伍にすがるその瞳に耐えられず、黙って首を横に振った。
「お爺ちゃん、ゴメン!俺、お爺ちゃんがそんなに悪いなんて知らなくって!」
「大地、悪いのは爺だ…嘘をついて悪かったなぁ」
大地は茶を放り出して老人に抱きついた。
「大地、すまんな」
潤伍はいたたまれなくなり、目頭に熱いものを感じたが、小さく深呼吸して大地の肩に手を置く。
「大地、今すぐじゃない。ゆっくりお爺さんと話をしろよ」
潤伍はそれだけを告げて寝室を出た。
廊下では上野が涙目で壁を背に立っていた。
「…お前も聞いてたのか」
潤伍は呆れたため息を吐き、階下へと促した。
「ふ、2人で脅かそうぜって…立ち聞きするつもりじゃ…」
「お前らも分かってたんじゃないのか?」
「そりゃあな…あの痩せ方を見たら誰でも…でもじいさんが風邪だって言い張るからよ…」
潤伍はもう一度ため息を吐き、話題を少し反らす。
「…今日は本間は居ないのか?」
「基本的には1人ずつだ。今週は俺の番なんだ」
上野の淹れた茶を挟んで、ダイニングテーブルに座す。
「お前ら、手伝いって言ってるが、今後どうするつもりだ?」
「う~ん…休憩所がないとお前らもだけど俺らも困るんだよ。でも、俺らが継ぐかって言われたら…ちょっと考えちまうなぁ」
「俺は大地を預かるつもりだ。大地が自分で考えて将来を決めることが出来るまでは覚悟している。もしかしたらその時に、休憩所を継ぎたいと言うかもしれないな」
「沖本さんや本間とも相談してみるよ。所詮、俺らは賊だ。街には入れねぇかもしれねぇけど、ちょっとの時間なら休憩所もいいかもな」
「あぁ、もう少し時間は有るだろう。よく相談して決めてくれ」
潤伍はもう1人、しっかりと話をしなければならない人物が居た。
様子を伺い、もう一度寝室を訪ねた。
「…少しいいか?」
少し落ち着いた様子の大地に声をかけると、少年は静かに頷いた。
「大地、今はまだお爺さんとの時間を大切にしろ。だが、時間が限られてるのも確かだ。…急いで考える事はないが、逃げることは出来ないのは分かるな?」
唇を固く咬んで頷くので、潤伍はまた胸に射し込みを感じて、少年の小さな頭に手を置いた。
「良い子だ。今、お爺さんの前で誓うよ。一人前になるまでお前を預かろう」
潤伍にも不安はあった。子供の育て方なんて知らないし、ましてや自分の子でもない。
しかし、この旅で変われた自分に少しだけ自信を持とうと思った。誰しも完全無欠ではない。間違ってもいい。でもそれを無意味にしてはいけない。
この出会いにもきっと意味がある。
潤伍の旅に意味があったように。
「俺は一度武甲に戻る。またここに寄るよ」
大地は潤んだ瞳で、しかししっかりと潤伍を見た。
その細い肩をポンと1回叩いて、休憩所を後にした。
今日は曇天。移動にはもってこいの天候だ。西から黒く厚い雲が流れてきている。
「雨になるかもな…」
ハギのカッパを点検して傘を真上から少しだけ奥に傾けた。
「ハギ、絶対に、緑の蓋のマタタビ粉を見つけような」
愛想のないトラ猫はチラリと潤伍を見て、籠の中で丸まった。