潤伍は松本市に来ていた。青木湖という湖の畔に街が1つあるらしいが、長野に入ってから賊の類いが見当たらない。
かつての街跡は閑散としていて、それは何処でも変わらなかったが、意外な事に犬猫の姿が良く目についた。長野では食料不足が起きなかったのか軽かったのか。
治安が安定していたため、3日かけて大きな街を探し尽くしたが、やはり緑の蓋のマタタビ粉ケースを探し出すことが出来なかった。
松本にある休憩所と街に探し物の依頼を残し、潤伍は早々に岐阜へ向かうことにした。
驚いた事に、岐阜では山ではなくそのまま瑞穂市を中心に長良川に沿うように人々は暮らしていた。
休憩所は無く、細長い街は警備員から見たらとても守りにくそうだと思った。
逆に街が平地にあるため、物資調達は行いやすい。
潤伍はそのまま瑞穂市を拠点として探し物をすることにした。
途中、ハギの為に魚を求めた小さな店に、膝に真っ白な美猫を乗せた可愛らしいお婆さんが居た。
ハギは去勢してるので、この白猫がメスだとしても襲うことはない。縄張り意識も薄いので、仲良くなれるかどうかは相手にかかっている。
「そちらさんも連れて来んしゃい」
カッパを脱がせて側に行くと、2匹で鼻をヒクヒクさせて挨拶をしていた。
「こちらはハギといいます。そちらは?」
「ミーちゃんっていうんよ」
安直だと思った。綺麗な顔をしたミーは、ハギの匂いをずっと嗅いでいる。ハギにも友達が出来たと思ってもいいのだろうか。
「えぇ子じゃねぇ、ハギちゃんは」
猫同士とお婆さんが遊んでる間に、潤伍は干し魚を見繕う。
ポストマンの宿泊所は基本自炊だ。魚の他に干し肉もあった。500円って何の肉だろうと眺める。
「牛肉じゃよ」
~安っ!
潤伍はその値段に驚く。ビーフジヤーキーは武甲でも珍しく、結構な高値で取引される。
長良川の上流に大規模な牧場があり、この店はその直営だそうだ。
聞けば、お婆さんの息子がその牧場を経営してるらしい。
小さなその店は、宿泊所に居た同じポストマンから聞いた場所だった。御用達らしい。
「ハギちゃんは何歳になるん?」
「もう8歳になります」
「えぇねぇ、ミーちゃんはまだ3歳なんよ。私が死んだらどうなることやら…」
「…今は誰がいつどうなるか分からない時代ですから」
「そうじゃねぇ…せめて1人で生きていけるようにせなねぇ」
~ハギを残して俺が死ぬ…。俺を残してハギが死ぬ。
潤伍はどちらがせめて幸せかと考えた。
あれ以前から彼の周りには死が身近にあった。残された側の辛さが分かるからこそ、自分がハギを送った方が良いのだろうと思う。
ハギの苦労している姿を想像すると胸が痛くなった。
しかし、ハギが居なくなる事を想像すると、やはり胸にチクリと針が刺さるのだった。
潤伍は煮干しを3㎏とビーフジヤーキーを2000円分を買って店を後にした。
帰り際、お婆さんとミーのセットが、なぜだか切なさを感じさせた。
今の世は誰が何処でどうなるか分からない。しかし、それは昔から変わらない事だった。
死を身近に考える。当たり前の事を受け入れることを人々はようやく出来るようになった。
それが良い事なのか潤伍にはわからなかっが、自分もいろんな覚悟が必要であることをやっと思い出した。
あれの直後、暴徒化した人々により様々な物が略奪された。
金が幸せの物指しだった時代は終わり、物資食料が最も貴重な物となる。
マタタビ粉が略奪の対象となったかどうかは分からないが、今のところ彼らに収穫はなかった。
現在でも円が通貨として流通しているが、その価値はかつてとは変わった。
物に溢れた時代、金を稼ぐ為の金と、生きるための金では同じようでいて全く違っていた。
今は実にシンプルだ。
1週間の滞在後、滋賀に向かう前にもう一度ミーの居るお婆さんの店に寄った。
ここのビーフジヤーキーは破格な上に美味だったが、なぜだかもう一度ハギとミーを会わせたかった。
2匹が遊んでる様を眺めながら、潤伍はふと村内と大地を思い出した。
お婆さんがミーを心配した一言が、彼とハギの今後を考えさせたと同時に、村内の想いも今更ながらに潤伍に覆いかぶさる。
漬け物をお茶請けにお婆さんと向き合い、疑問をぶつけてみた。
「ミーを息子さんに預けようとは思わないのですか?牧場を営んでるんでしょう?」
「いずれはねぇ…それも考えてるけどねぇ…」
自分で聞きながら、やはり胸が傷んだ。
自分にとってハギは夏との子供のように思うようになっていた。
お婆さんも同様だろう。娘を手放すのは相当辛い決断である。孤独であるが故…。
潤伍も村内もお婆さんも。
やりきれない想いを抱えつつ、今度は5000円分のジャーキーと大量の煮干しを購入して店を後にした。
珍しくハギが鳴く。いつもの鳴き声とは違う、甘えたような鳴き声が、潤伍の切なさに追い討ちをかけた。