40代になった今、成人式を思い返すと、それは「大人になった瞬間」というより、「地域に見守られていた最後の通過点」だったように思う。私の地元は北海道。広くて寒くて、人と人との距離も物理的には遠いが、心の距離は意外と近い土地だ。
成人式といえば、まず思い出すのは厳しい寒さだ。1月の北海道は氷点下が当たり前で、晴れ着の袖から入る冷気に身をすくめながら、会場へ向かった記憶がある。女性たちは振袖にショール、男性はスーツや羽織袴。足元は雪でぐちゃぐちゃで、せっかくの晴れ姿も現実に引き戻される。それでも、あの寒さがあったからこそ、「地元の成人式だった」と強く記憶に残っている。
当時は、正直なところ式典の内容にはあまり興味がなかった。市長の挨拶も、来賓の祝辞も、どこか遠い話に聞こえた。大人になる自覚よりも、「久しぶりに同級生に会える日」という意味合いの方がずっと大きかった。中学を卒業して、進学や就職でバラバラになった仲間たちが、一斉に地元へ戻ってくる。その再会のざわめきこそが、成人式の本質だったのかもしれない。
40代なった。あの場には、同級生だけでなく、親や祖父母、地域の大人たちの視線があった。「やっとここまで来たな」「無事に大きくなったな」という、言葉にしない安堵と期待。北海道の町や村は人口も少なく、顔が見える関係が多い。だからこそ、成人式は個人の節目であると同時に、地域全体の行事だった。
また、私の地元北海道では「外へ出ていく」ことが前提になる若者が多い。進学や仕事で本州へ渡る者も珍しくない。成人式は、地元に残るか、離れるかに関わらず、一度立ち止まって「自分はどこから来たのか」を確認する時間だったように思う。あの時は気づかなかったが、雪景色の中で集まった同級生の顔は、皆どこか少しだけ大人びていて、同時に不安も抱えていた。
今の若者の成人式を見ると、形は変わっても本質は同じだと感じる。派手さや話題性ばかりが取り上げられがちだが、その裏には、地域と家族に見守られながら社会へ踏み出すという、静かな意味がある。北海道の厳しい冬の中で迎えた成人式は、決して暖かいものではなかったが、振り返ると確かに心に残る、ぬくもりのある記憶だ。










