たしか今日? | 晩節雑考種々雑考~明るく素直にあたたかく~

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とかくこの世は生きずらい、みだりに悲観も楽観もせず、執念深く生き通していく精神を養いたい・・・・

 たしか今日5月25日、24日から25日にかけてだった、と思う。

 1945年昭和20年。今現在若者の街としてにぎわっている渋谷・青山あたりが連合国軍の空爆で火の海となり多くの人々が焼き殺され焼野原焼死体野原、となったのは。

 東京大空襲というと3月10日が有名だがあの日だけではない、規模の大小はあれ100回以上の空爆を受けている。

 都内各地には空爆の規模によってさまざまに慰霊の日がある。

 渋谷青山あたりはたしか今日ではなかったか?


 実は、かつて愚生が子どもの頃なにかにつけて『誰のおかげで飯が食えるんだコノヤロー!世の中にはな!飯もろくすっぽくえない人はたくさんいるんだ!我慢しろ!あきらめちまえ!』の暴言を愚生に日常的に浴びせ大学時代愚生が学費は自分で稼いで学費と同じ額を親に支払いながらそれについて『へっ!クソ!そんなはした金、屁でもねえや!このバカコケ!』と豪語してはばからなかった今現在寝たきりで生きてるんだか死んでるんだかわからないが医学的には確実に生きている父が、生まれてから第二次世界大戦末期10代前半までその両親と弟妹たちと渋谷に住んでいた。愚生の祖父、戦後ほどなく病で亡くなるのですが、戦場経験はないそうです。志願か徴兵かよくわからないのですが、横須賀基地近くで演習中にけがをして除隊し、軍の世話で渋谷で商売をしていたそうです。

 

 父からは一言も聞いていないのですが、叔父の話によると、祖父は『芝居が好きだった』とか。それを聞いて愚生『知らなかった、聞いてない』と驚愕。10代前半の時、ある芝居を観たい、と言うと、父は『これは歌舞伎だ!お前なんかにわかるはずがない!』と激怒。歌舞伎に女優は出ない!と愚生が言うと父は、歌舞伎『調』だ、いづれにしてもお前なんかにわかるはずがない、そのうちテレビでやるよ。しかしその芝居がテレビ放送されることはなかった。こういうことは一度だけではなかった。異様なまでに愚生が演劇等に興味を持つことに激怒しその可能性の芽を摘み取られた。もしあの時あれらの芝居を観ていたら、愚生の人生は変わっていたかもしれない。なぜそこまで愚生の可能性の芽を摘み取ったのか?近年叔父の話を聞いてなんとなくわかった。戦後ほどなく父を亡くし、人生の可能性の芽を摘み取られた父は、『へんっ、戦後民主主義が俺に何をしてくれたあ、このくそ平和主義め、面白くねえ』。父の不幸は『憲法』に学べなかったことにある。その報復として愚生の可能性の芽を摘み取った。祖父の実家は地主で『狩場家』と言えば、その地方ではそれなりに知られていたが、分家のお坊ちゃまであった父は戦後民主主義改革で没落しお坊ちゃまの座から転落、戦後民主主義その基本である『憲法』を呪うのも無理はないかもしれない。(愚生はその報復として子孫を残さないという形で父の血筋を根絶やしにした)


 3月10日の大空襲で下町方面が壊滅し、いよいよやばい、と祖父は思ったようで親族等のつてを頼って4月下旬に一家で渋谷を脱出、渋谷の家は空爆で焼け跡形もなくなった、とか。そのままいれば、焼き殺されていた可能性が高い。その場所はやがて道路拡張で、今は道路の一部になっている、とか。そうそう、226事件当時、渋谷の家に軍が乗り込んできて対反乱軍臨時司令部となった。ほかにもこういうおうちはあったのではないか。


 皆さん方の親族の方の戦争体験。うかがってみてはいかがですか。そこから何か発見があるのではないでしょうか?


 確かに日本人は第二次世界大戦で歴史上最悪の悲劇を味わった。しかし悲劇を味わったのは日本人だけではない。それらを冷静対等に観ていかなければならないのではないでしょうか。

 そしてそもそものはじまりは原点はなんだ?そう考えると、明治維新、徳川王朝崩壊、人殺しの時代の復活、にあるのではないでしょうか。

 単に真珠湾攻撃はまずかった、とか、経済がもっと良ければ勝てた、そんな生易しい問題ではないのではないでしょうか。知らず知らずのうちに歴史の波に飲み込まれ、戦争が当たり前であるかのように刷り込まれていってしまった。その挙句の悲劇。繰り返してはならない。そのためにも『憲法』や『世界人権宣言』に学びたい、と思います。