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↑これはテレビで見た勅命を書き写して撮影した物。「歳」の箇所は画面ではっきり見えず、前後一覧関係から類推。

第38部で光圀は江戸から航路で瀬戸内、次に和歌山に言って若き日の吉宗(当時は源六)に会ったと思ったら、今度は琵琶湖の北。
それにしても、このような気まぐれな旅は、江戸時代においては失踪と同じである、高齢者の行方不明そのものである。

悪い公家・近衛少将基近がアヘンの密賣に関係し、善良な商人たちを苦しめていた。中納言・光圀に味方する大納言・九條良房が京都に行って帝に拝謁、敦賀に戻って基近に対し「朝廷からの追放」を言い渡す。
大納言が出した勅命の書類を観ると日付は元禄丁丑の年の3月3日。該当するのは1697年(元禄10年)。
近衛少将 東北條基近
以本日 自朝廷
追放之事 勅奉
元禄丁丑歳 三月三日
第38部第5話と第9話の時代設定が同じとすると、以下のような流れになる。

1690年┐水戸光圀が隠居。光圀が権中納言に、紀伊光貞が大納言に
___├光圀と芭蕉が東北、北陸の旅(第40部)
1693年│先代庄内藩主・酒井忠義(1681年没)の13回忌(推定)
___│酒井忠真の正室・密姫(光圀の姪)が忠義の法要でお国入り?(第40部第12話)
1694年┘松尾芭蕉没
1696年┬光圀が源六と出会う?(第38部第5話)
___│紀伊の徳川源六が元服、松平頼方と名乗る
1697年┘丁丑の年、光圀が敦賀で公家と対決(第38部第9話)
1698年 紀州大納言・光貞が隠居(第37部最終話←推定)
1700年 光圀没

なお、この第9話は2008年3月3日放映。時代設定は本放送の当時から311年前である。
Y!Japan 水戸黄門 公家

吉宗は1696年まで源六を名乗り、1696年に元服し、その後、松平頼方と名乗っていた。
頼方が吉宗を名乗ったのは紀伊藩主になった1705年から。
吉宗が光圀と同格の権中納言に昇格したのは1707年、光圀が没して7年後のことであった。

もし、第38部第5話で光圀が吉宗(源六)と出会ったのが、源六の元服の前とすると、1696年より前になる。ところが第38部第9話では丁丑の年で時代は1697年になっている。
すると第38部での光圀の度は1696年から1697年までまたいでいたことになる。
あるいは、もし、第5話で吉宗が光圀と出会ったのが第9話と同じく1697年であれば、前年に元服して松平頼方になったはずの吉宗が、光圀と会ったときにはまだ月代(さかやき)を剃っておらず、相変わらず源六と名乗っていたことになる。

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2010年9月