2012年3月15日 (木) 晴れ
秋晴れ!のパラグアイ南部
雨の翌日だけあって、気温は急に涼しくなって、すっかり「秋
」の気配です。
(ま、パラグアイの気候はすぐ夏に逆戻りってこともあり信用しちゃいけないけど)
今日も日中、Pirapoで臨時手術~帝王切開でした。
自分のトコのSanatorioは2月以降「閑散期」で、手術を忘れないためにもお手伝いはとてもいい刺激になります。
患者さんがたくさん居たらしょっちゅう外出するわけにもいかないんだけど、今の時期はOK~って感じ
日本帰国もカウントダウンになってきた感もあり、仕事する体にしておかなきゃな~ってのもあるし・・・
帰国カウントダウンといえば、ちょっとした悩みがありまして~
先月「日本人会がゴチャゴチャしてる」って1行だけ書いたんだけど、その余波が続いていて、任期6月末までの2年間を、少し早めちゃう可能性が急浮上してます。
事の始まりは、2010年の来パの時期に私をSanatorioの医師として招請してくれた日本人会の事務局長さんがこの2月で急に辞職したこと。
理由は、事務局とは別に日本人会を動かしている日本人会長とうまくいかなかった
日本の「村」に匹敵するこの移住地では、小さい日本人社会(600人強)の中で人間関係が重要です。お互い助け合い、支え合って50数年やってきてる。
その反面、都会みたいに多数決による民主主義が「n」が少ない分、難しいのも事実。
任期2年の日本人会長に誰がなるかで、民主的だったり独裁的だったり大きく変わる事もある・・・らしい。
私がパラグアイに来た時の会長 I さんは事務局と一緒に、私に診療所の経営から運営などを任せてくれていたけど、1年前に任期切れ。
私が「やりやすいようにやってくれ」ということで私も頑張ってきましたが・・・
日本の病院と違ってパラグアイの病院は患者も少なく(無料の慈善病院に流れる)やり方を吟味しないと大きな黒字が出せないという背景もあって、期限付き雇用の私はパラグアイのやり方に反するような「大改革」は出来なかったこともあって、現在は当院も赤字経営が続いています。
(私の来る前の1/4~5になったと感謝してくれる方もいますが・・・)
そこで今回の日本人会側が、診療所運営や経済的な支援なんかも見直したい動きが急遽持ち上がってます。
それを受けて、地域の人には「長くいてほしい」と言ってくれる人もいらっしゃいますが、医療制度も法律も機器も違うパラグアイで、仕事がやりにくくなるようでは少し早めの日本の医療現場への復帰も考えなきゃならないかな~とか悩んでいるところ。
(妻と相談してはいるもののほとんど私の考えね)
我が家も、パラグアイでの生活も1年9か月がたち、子供たちの良い勉強にもしっかりなったし、La.の皆さんには暖かく迎えてもらい、その分は恩返しのつもりで働いてきたことには自分としては満足しています。
今後、この私の生まれた診療所が末永く繁栄してくれることを願うのはもちろんですが、医者としての区切りがついたら、また先の進路も考えないとな~と思ってます。
3月末が診療所の医者として、雇い主の日本人会との契約期限なので、近いうちに「いつまでいるか」の結論が出そうです。
これを読んで下さっている日本の医療関係者の方、私の帰国後の仕事について、いい話がありましたらよろしくお願いします