2011年12月23日 (金) 曇りくもり
 
干ばつ状態のパラグアイ南部
今日も雨は降りませんでしたが、空気が湿ってきて、風が強まり、雲が薄くたなびいてきました。
今、夜中を過ぎて、風も更に強く、外で木がしなって葉が引っ張られてる音、置いてあるトタンの一部がバキンバキンいう音が激しくなってきています。
 
嵐の予感雷
 
予報も久しぶりの「雨」で、なんだか嵐もうれしい贈り物のようです
 
話変わって、昨日の事。
平日にもかかわらず、La.のキンチョでItapua県の北海道人会忘年会がありました。
 
キンチョはLa.農協が建てた半屋外の宴会場。
プールに隣接していて、普段は農協関係者の誕生会をやっていたり、アサードしたり出来る憩いのスペースです。
 
つまり、うちの家族は毎日のようにプールとキンチョに行ってます。
 
そういった近場での忘年会。
病院を午後休診にしていってきました。
 
Itapua県と言っても、北海道からの移住者はまとまってLa.のFuji地区に入植した人が多くて、あとはPirapoに入った人。
その人たちのうち、何年か後に、移住地からEncarnacionなどの街に出て商売したりした人もチラホラいます。
 
北海道人会といえば、私の栃木の医学生時代もありました。
その時も北海道出身の学生や教官たちが、年に1度集まって、故郷の話や、将来どうするか(実家に帰るか?)とかの話をして盛り上がってました。
学生時代の道人会はちょっと頑張ればすぐに帰れる北海道でしたが・・・
 
移住地の入植は56-54年前のことです。
入植当時の若者だった方々が60-70代になって、日本人とはだいぶん離れた日系3世の孫が居たり、子供さんたちが日本に帰ってしまって夫婦だけパラグアイにいることになっていたり、環境は様々です。
ただ、簡単に「北海道に帰ろ」とはいかないのが20,000㎞の距離。
 
今回は年明けに子供家族がいる日本に引き上げるという大先輩も来ていました。
一度帰ってしまったらなかなか来れないのも地球の裏側パラグアイ。
身内が近くにいない不安を感じながらのパラグアイののんびり生活より、家族みんながいる日本で老後の人生を過ごそうと決められたとのこと。
寂しいような、今までのご苦労を察するとお疲れ様と言いたいような、何とも複雑な気持ちになります
 
そんな北海道人会も、子供たちにとってはお友達とずっとプールに入ってられる絶好の遊びチャンス
13時から19時くらいまでプールに入ったり出たり。
監視のつもりの私も、ふやけてました。
 
パラグアイ日系移住地にはのんびりした自由と、暖かく穏やかな気候(暑すぎ汗)、祖国を離れた人たちの様々な葛藤があります