こんばんは。


梶屋敷から乗ったのは9:03発の直江津行き533M


(糸魚川8:58→直江津9:37)の475系。


実質的には富山発で、富山→糸魚川間は529M(富山6:49→


糸魚川8:22)として運転するが、糸魚川で37分間の”バカ停”


(長時間停車)があるため、その間に列車番号も変わってしまう。


糸魚川で”バカ停”する理由は「はくたか」や「北越」に抜かれるため。


ほとんどの普通は10分前後止まり、中には529M~533Mの


ようなものも存在する。


梶屋敷から乗ったお客は私含め2人だけで、一番後ろの


クハ455-14のボックスに座る。ボックスが占領できる区画は


他にもあるし、座っていたとしても1つの区画にお客が1人しかいない


所が多く、やはり普通の利用は少ない。


梶屋敷から先の北陸線は距離の長いトンネルが連続する。


線形が良いため速度が出しやすいのも特徴で、「はくたか」は


130km/h運転、普通でさえ100km/h近い速度で走るから、


国鉄型車両はモーター音に加え線路から生じる強烈な走行音も


車内にストレートに伝わる。


糸魚川~直江津間では比較的大きな町、能生(のう)で多少の


乗り降りを見るとすぐに約11kmもある頸城(くびき)トンネルに突入。


頸城トンネルの中間に筒石(つついし)があり、この駅で鉄道ファン


らしきお客が降りた。筒石は昨年も訪れているが、今回もこのあと


訪ねる事にする。


能生から頸城トンネルに入ると筒石に向かって勾配のキツい


下り坂で、筒石を過ぎると一転して登り坂になっている?と


感じたが、細かい線形まではわからない。


頸城トンネルの出口付近で速度が落ちてポイントを渡ると名立。


名立については次回書くが、ホームが”新幹線構造”となっている。


名立を過ぎてもトンネルは続き、有間川をはさんで次の駅谷浜で


降りる。



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↑533Mから降りるとやけに涼しく感じた。雲行きは怪しく


空は暗い。今にも雨が降ってきそうな天気だ。


谷浜はJR西日本の管内で最も東にある駅で、1駅進めばJRの


会社が変わってJR東日本の直江津。北陸線も次の駅まで。


「北陸おでかけパス」が使えるのも谷浜まで。



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↑有効長の長いホーム。止まる列車は3両がほとんどで


ほとんど使われていないのであろう。その証拠にホームには


雑草が目立つ。



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↑駅舎。糸魚川方面の列車は駅舎真ん前のホームから発車する。



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↑誰もいないこ線橋を渡る。駅舎に行くにはここを通る必要がある。



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↑こ線橋から階段を降り切った途端、ゲリラ的に雨が強く降ってきた。


この雨は一時的で5分もしたらやんだ。



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↑谷浜も簡易型のきっぷ券売機と数人分のイスがある程度で


「JR西日本最東端駅」と書いた案内もない。



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↑駅舎


谷浜は小さな港町で、海水浴場も目の前にある。


こちらに行くには北陸線の線路を渡って進む事になり、


海水浴を楽しむ人も多少だがいた。


谷浜は駅前に海水浴場がある事から115系を使用した臨時列車も


かつてはあったらしいが、それはもう遠い昔の事。


長野の115系の行先幕には谷浜や能生も存在したりする。



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↑谷浜駅前は小さな幹線道路沿いに郵便局等があり


商店街となっているようだった。こちらは山側で海水浴場は


反対側にある。



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↑ホームから見る海水浴場。列車で来る人は皆無に等しくほとんどは


クルマで、何台も止まっていた。


JR西日本で最も東にある駅、鉄道施設としてはとても立派だが


人が少なくさびしい雰囲気が強い。ゆっくりと時間が過ぎて行く感じで


わずか20分しかいなかったのに長く感じだ。



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↑9:52発の544Mで名立に。525Mの折り返し列車であった。