こんばんは。
↑東北新幹線は東京~福島、一ノ関~新青森間で復旧はしてきたが、
残りの福島~一ノ関間の復旧までにはもう少し時間がかかるようだ。
東北新幹線の速達列車は、E5系「はやぶさ」と写真にある
E2系「はやて」の2本建てだ。
「はやぶさ」は長きの間に渡って、東京~九州を結ぶ寝台特急として
使われていた名前で、1958年に登場した。
寝台特急で引退後、今度はまさか新幹線で使われるとは
思ってもいなかった。
「白鳥」も同様の事が言えるだろう。
日本海縦貫線を通り大阪~青森間を結ぶ列車であったが
2001年3月に廃止された。
しかし、それから1年半後には八戸~函館間を結ぶ列車として
「白鳥」が”復活”し、今に至る。
これもこれで意外であるが、今の「はやぶさ」にしろ「白鳥」にしろ
何かピン!とこない。
昔のイメージがあまりにも強すぎるからである。
それに対して、東北新幹線の速達列車である「はやて」は
2002年に八戸開業時に新設された列車である。
2002年以前に「はやて」と言う名前の列車は存在しなかった。
「はやて」と言う本来の意味は、疫病である「疾風」(はやて)を示し、
農作物に被害を与えるのである。
決して縁起の良い名前ではない。悪い意味の名前なので
長年にわたって「ふさわしくない」ということで採用されなかった。
「長年にわたって??」
と思うだろう。
この「はやて」と言う名前自体かなり昔から列車名の候補として
存在していた。つい最近私はそれを知ったのである。
『鉄道ジャーナル2011年5月号』に「はやぶさ」「さくら」「みずほ」と
言った”ブルトレ新幹線”の過去の変遷(へんせん)を読んでいると、
「はやて」の名前が最初に候補に出たのは1929年、今から80年前だ。
この当時、東京~下関間を結ぶ2往復走る特急に列車名を付ける
ことになり、公募でそれを決めることにした。
上位に入ったのは、「富士」、「燕」(つばめ)、「櫻」(さくら)、
「旭」(あさひ)、「隼」(はやぶさ)、「鳩」(はと)、「大和」(やまと)、
「鴎」(かもめ)、「千鳥」(ちどり)、「疾風」(はやて)であった。
結果的には、「富士」と「櫻」が命名され運行を開始。
これとは別に、1930年には東京~神戸間の「燕」が運転を
開始したが、これは「特急」ではなく、「超特急」であり、
今も昔も「燕(つばめ)跳ぶ」である。
戦前の列車名は基本的に漢字書きで、ひらがな書きになったのは
戦後になってからである。
1929年の段階で、「疾風」(はやて)の名前が列車名候補として
あるのは意外であり、東北新幹線八戸開業まで候補としても
出てきていない新しい名前だと思っていた。
列車名の変遷を見てみると、複雑で難しかったりする所もあるが
かなりおもしろいものである。

↑東北新幹線は東京~福島、一ノ関~新青森間で復旧はしてきたが、
残りの福島~一ノ関間の復旧までにはもう少し時間がかかるようだ。
東北新幹線の速達列車は、E5系「はやぶさ」と写真にある
E2系「はやて」の2本建てだ。
「はやぶさ」は長きの間に渡って、東京~九州を結ぶ寝台特急として
使われていた名前で、1958年に登場した。
寝台特急で引退後、今度はまさか新幹線で使われるとは
思ってもいなかった。
「白鳥」も同様の事が言えるだろう。
日本海縦貫線を通り大阪~青森間を結ぶ列車であったが
2001年3月に廃止された。
しかし、それから1年半後には八戸~函館間を結ぶ列車として
「白鳥」が”復活”し、今に至る。
これもこれで意外であるが、今の「はやぶさ」にしろ「白鳥」にしろ
何かピン!とこない。
昔のイメージがあまりにも強すぎるからである。
それに対して、東北新幹線の速達列車である「はやて」は
2002年に八戸開業時に新設された列車である。
2002年以前に「はやて」と言う名前の列車は存在しなかった。
「はやて」と言う本来の意味は、疫病である「疾風」(はやて)を示し、
農作物に被害を与えるのである。
決して縁起の良い名前ではない。悪い意味の名前なので
長年にわたって「ふさわしくない」ということで採用されなかった。
「長年にわたって??」
と思うだろう。
この「はやて」と言う名前自体かなり昔から列車名の候補として
存在していた。つい最近私はそれを知ったのである。
『鉄道ジャーナル2011年5月号』に「はやぶさ」「さくら」「みずほ」と
言った”ブルトレ新幹線”の過去の変遷(へんせん)を読んでいると、
「はやて」の名前が最初に候補に出たのは1929年、今から80年前だ。
この当時、東京~下関間を結ぶ2往復走る特急に列車名を付ける
ことになり、公募でそれを決めることにした。
上位に入ったのは、「富士」、「燕」(つばめ)、「櫻」(さくら)、
「旭」(あさひ)、「隼」(はやぶさ)、「鳩」(はと)、「大和」(やまと)、
「鴎」(かもめ)、「千鳥」(ちどり)、「疾風」(はやて)であった。
結果的には、「富士」と「櫻」が命名され運行を開始。
これとは別に、1930年には東京~神戸間の「燕」が運転を
開始したが、これは「特急」ではなく、「超特急」であり、
今も昔も「燕(つばめ)跳ぶ」である。
戦前の列車名は基本的に漢字書きで、ひらがな書きになったのは
戦後になってからである。
1929年の段階で、「疾風」(はやて)の名前が列車名候補として
あるのは意外であり、東北新幹線八戸開業まで候補としても
出てきていない新しい名前だと思っていた。
列車名の変遷を見てみると、複雑で難しかったりする所もあるが
かなりおもしろいものである。