光仁天皇(こうにんてんのう、707年 - 782年)は、日本の第49代天皇で、奈良時代の最後の天皇として知られています。在位は770年から781年までです。光仁天皇は平安時代への橋渡し役を果たし、後の桓武天皇(平安時代初期を代表する天皇)の父でもあります。

出身

光仁天皇は天智天皇の血筋に属しており、天武天皇の系統ではなく天智天皇の子孫から即位した天皇です。出身の詳細は以下の通りです:

  • 父親: 開節王(かいせつおう)、天智天皇の子
  • 母親: 不明(記録が残されていません)

光仁天皇の本名は**白壁王(しらかべおう)**で、天智天皇の孫にあたります。彼は元々即位する見込みが低く、皇位継承者の中では傍系に位置していました。しかし、政治的混乱や藤原氏の支持により、光仁天皇が即位することになりました。

即位の経緯

光仁天皇が即位する前の日本は、称徳天皇(孝謙天皇)の後継問題や藤原仲麻呂の乱、道鏡の台頭などの政治的混乱が続いていました。称徳天皇の死後、藤原百川を中心とした藤原氏が光仁天皇を擁立しました。彼は既に63歳と高齢であり、比較的穏健で安定した政治が期待されました。

政治と治世

光仁天皇の治世では、財政再建や税制改革が行われました。また、彼は次の天皇である**桓武天皇(かんむてんのう)**のために道を開き、平安京への遷都(794年)を準備する基盤を整えました。桓武天皇は光仁天皇の長男であり、彼が即位することで平安時代が始まります。

最後

光仁天皇は781年に退位し、息子の桓武天皇に皇位を譲りました。その後、782年に崩御しました。光仁天皇は即位するまでの期間が長く、天皇としては短期間の治世でしたが、その穏やかな治世によって政治的な安定が図られ、次代への橋渡し役を果たしました。

 

 

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