光厳天皇(こうごんてんのう、1313年8月1日 - 1364年8月5日)は、日本の南北朝時代における北朝の初代天皇で、第93代天皇とされています。彼の在位期間は、1331年から1333年までです。本名は豊仁(とよひと)親王で、後伏見天皇の第一皇子として生まれました。光厳天皇は南北朝時代の開始と北朝の創設に重要な役割を果たしました。

生涯と統治

出生と即位

光厳天皇は、1313年に後伏見天皇の皇子として生まれました。1318年に後醍醐天皇が即位した後、光厳天皇はその後継者候補とされていました。1331年、元弘の乱が勃発し、後醍醐天皇が幕府に対抗して挙兵すると、幕府は後醍醐天皇を退位させ、光厳天皇を擁立しました。

幕府との関係

光厳天皇の治世は鎌倉幕府の強い影響下にありました。彼は幕府の支持を受けて即位したため、実質的な権力は幕府に握られていました。1333年、後醍醐天皇が隠岐から脱出して挙兵すると、光厳天皇の地位は揺らぎ、最終的に後醍醐天皇が復位することになりました。

院政と南北朝の対立

光厳天皇は1333年に退位した後、院政を行いました。彼は上皇として政治的影響力を保持し続け、北朝の統治に関与しました。南北朝の対立が激化する中で、光厳上皇は北朝の正統性を主張し続けました。

晩年と死

光厳天皇はその後も北朝のために尽力しましたが、1351年に起きた観応の擾乱により、足利尊氏との関係が悪化し、一時的に幽閉されることもありました。晩年は比較的平穏な生活を送り、1364年に崩御しました。

脚注

光厳天皇の治世は、南北朝時代の開始と北朝の成立に重要な役割を果たしました。彼の即位と退位は、南北朝の対立の象徴的な出来事であり、その後の日本の政治史に大きな影響を与えました。光厳天皇の政治的な活動とその後の院政は、北朝の正統性を維持しようとする努力の一環であり、日本の中世史における重要な位置を占めています

 

 

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