後村上天皇(ごむらかみてんのう、1328年3月15日 - 1368年3月29日)は、日本の南北朝時代における南朝の第2代天皇で、第97代天皇とされています。彼の在位期間は、1339年から1368年までです。本名は寛成(ひろなり)親王で、後醍醐天皇の第三皇子として生まれました。

生涯と統治
出生と即位
後村上天皇は、1328年に後醍醐天皇の皇子として生まれました。1339年に父である後醍醐天皇が崩御した後、吉野で即位し、南朝の天皇として南北朝時代の争乱に身を置くことになりました。

南北朝の動乱
即位後、後村上天皇は南朝の正統な天皇として、北朝との戦いを続けました。南朝は吉野を拠点にしており、北朝は京都を拠点にしていました。南北朝の争乱は各地で激化し、多くの戦闘が行われました。

彼の治世中、楠木正成や新田義貞といった南朝の有力武将が戦死する一方で、北朝側も足利尊氏を中心に勢力を拡大し、両朝の対立は熾烈を極めました。後村上天皇は南朝の武将たちと共に戦い、南朝の存続と正統性を主張しました。

政治と文化
後村上天皇の治世中、南朝は政治的には不安定でしたが、文化的には一定の発展が見られました。南朝の宮廷は和歌や書道などの文化活動が行われ、文化人たちが集まる場となりました。

晩年と死
後村上天皇は1368年に崩御しました。彼の死後、南朝は彼の子である長慶天皇によって継承されましたが、南北朝の対立は続きました。

脚注
後村上天皇の治世は、南北朝時代の激動の中での南朝の存続と戦いを象徴するものでした。彼の治世中における南朝の努力と文化的な活動は、後の日本史においても重要な意味を持っています。後村上天皇の生涯は、南北朝の争乱とそれに伴う政治的・文化的な変動を体現するものであり、日本の中世史において特筆すべき存在です。

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