僕には夢があります。
大それたものではないけど夢があります。
夢というか、う~ん、目標といったほうがいいかもですね。
その夢は後々に書いていきます。
さて僕が自分のことを書こうと思ったのは、せっかくブログはじめたし、最初何書いていいかわからんので、自分のことはスラスラと書ける気がしたので、ホント軽い思いつきでスタート致します。
まあ35年生きてればいろんな事がありますね。
なるべく包み隠さず書いていければと思います。
文章力はあまりないかもしれませんが、御容赦下さい。
では、はじめますのでよろしくお願い申し上げます。
オレは1978年に四国愛媛県で生まれた。
父ちゃんは神奈川県の横浜の農家の家で育った。
母ちゃんは福岡市出身。
母ちゃんが学生時代に北海道へ友人と旅行した帰りに、横浜の友人のところへ遊びによった時、『いい人いるから紹介するよ』と言われ出会ったのが父ちゃんだった。
この話を聞いた時は『今も昔も男女の出会いは似たもんだな』と感じた。
2人は20代前半で結婚。父ちゃんはサラリーマン、母ちゃんは専業主婦をして、横浜のアパートに住んでいたらしい。
そして、めでたく第一子御懐妊。
しかし、しばらくしてその子は母ちゃんの腹の中で死んでしまった。
その後、父ちゃんの仕事の転勤で夫婦2人は広島へ。そこで1977年に兄貴が生まれる。
そして、また短期間の転勤で愛媛へ。1978年にオレが世の中にこんにちはと出てきた。
兄貴もオレもいたって健康。
小さい頃の写真をみると、父ちゃん、母ちゃん、両方のじいちゃん、ばあちゃんも沢山可愛がってくれたみたいだ。
一家はまた転勤で横浜へ。
横浜には会社の社宅へ入居。
ここから家族は父ちゃんの地元横浜に根を張り、オレの地元も横浜となった。
その後1980年に弟が生まれる。
オレは3人兄弟の2番目である。
横浜の社宅はオレが幼稚園入園前まで居た。オレの記憶には横浜の社宅での出来事が、かなりはっきりと残っている。
瓶のヨーグルトの汁を出してから食べようとして、台所でひっくり返したらヨーグルト全部出てしまったこと。
夜中オシッコ行く時は必ず父ちゃんを起こして一緒に行ってもらったこと。
暑い日に行水してもらうのが好きだったこと。
大雨で道が冠水した処に友達落としてゲラゲラ笑ったこと。
まあ、その他諸々ありますが。
オレの記憶がある頃には母ちゃんはすごくおっかない存在だった。
父ちゃんは仕事で夜遅く、あの頃は週休1日の時代だし、日曜日も仕事があったりしたのだろう、あまり父ちゃんが家にいた記憶がない。夜遅く帰ってきて朝早く出社の毎日だったらしい。
弟はあまり怒られなかったが、兄貴とオレは母ちゃんによく怒られていた。だから父ちゃんが早く帰ってくる日は嬉しかった。母ちゃんの機嫌もいいし、何より父ちゃんは優しかった。
帰ってきた父ちゃんに髭ジョリジョリやられるのと『チューは?』とせがまれるのは子供ながらに微妙に嫌だったが。
母ちゃんは兄貴とオレをホントによく叱っていた。多分すごくイタズラばかりしていたのだろう。
兄貴が幼稚園に行ってる時間に、暇だったから、掃除機をかけている母ちゃんに背後から近づき、おもいっきり浣腸したことがある。めちゃ怒られた。
そんなオレらはよく夜に家から閉め出された。外に追い出されて鍵をかけられると、最初は『ごめんなさ~い』と懸命に謝っていたが、隣の優しいおばちゃんの家をノックすると一緒に謝ってくれた。
夜にゴミ捨て場にも連れていかれた。『お前ら捨てる!明日の朝、ゴミ収集車くるまで立ってろ!』と言われた。
まあ、よく怒られた思い出は小学校低学年くらいまでは沢山だ。
多分母ちゃんも男3兄弟の子育てはかなりストレスだっただろう。
今思うと母ちゃんはすごく頑張っていた。外食に行った記憶がほぼない。経済的にも厳しかったからかもしれないが、それでも毎食手作りのオカズが3、4品は必ずあった。ありがたい話だ。
そんな母ちゃんの右鎖骨の辺りには大きな傷跡があった。
風呂に入ってる時に聞いた。
『この傷は母ちゃんが中学生の時に運動して怪我して手術したの。その時の傷だよ』
この手術が母ちゃんの人生をその後大きく変える。がまだまだ先の話。
オレが幼稚園に入園する前に、一家は社宅から一戸建てに引っ越す。父ちゃんの父ちゃん、オレのじいちゃんが農家をやっていたから、土地があった。そこに家を新築したのだ。まあ、この家がオレら兄弟が育った家と言える。
農家をやっていた横浜のじいちゃんは、それはそれはガタイがよかった。
町内一の怪力として長らく君臨していたらしい。
じいちゃんの家からすぐのところに新築したからよく遊びに行った。
畑では色々なものが採れた。じゃがいも、にんじん、ナス、ピーマン、大根、ゴボウ、ネギ、トマト、その他諸々。
じいちゃんの畑仕事手伝うだけで遊びになった。
じいちゃんの面白いところは虫を食べることだった。
畑でも家の中でも虫がいると、『昔はこれがオヤツだったぞ』と言ってムシャムシャと食べていた。気持ち悪いと思いながら超面白かった。
そんなじいちゃんは、一緒に食卓を囲むと決まって戦争の話をする。たしか、じいちゃんはビルマに行っていたと思う。『殺したくないのに撃たないといけなかった。相手の弾が横をすり抜けたと思ったら、後ろの戦友が亡くなっていた。』など子供心に興味と恐怖が入り混じった不思議な感覚だったのを覚えている。
ばあちゃんはじいちゃんの兄貴と結婚していた。でも、じいちゃんの兄貴は戦死した。潜水艦で魚雷にやられたと言ってた。戦争から帰ってきたじいちゃんと未亡人のばあちゃんが結婚して父ちゃん達が生まれて、その子供達がオレら兄弟だったり、従兄弟達。
なるべく横浜に帰った時は先祖の墓参りをするようにしている。
つづく