1991年(平成3年)文部省は、それまで50日以上としていた不登校ひきこもりの調査を、年間30日以上として行うようになりました。


また、長欠率がどんどん上昇する中で1992年には、文部省より「不登校ひきこもり(登校拒否)問題について」という報告書が出ています。


その中で、初めて「登校拒否はどの児童生徒にも起こりうるものである」という理解を示し、その後これまでの登校拒否という言葉に変わって、不登校という言葉を使うようになりました。


これは登校拒否(school refusa1)のrefusalは、本来は「障害を目の前にしてすくむ,立ちすくむ」という意味であり、拒否というとかなり強い拒絶感が感じられ、訳語としての問題もあり、最近では「不登校」という言葉が用いられています。


また不登校には「学校に行けていない状態」という広い意味でとらえられ、怠学傾向や非行の問題までを含んで考えられるということで、最近はよく使われています。


これは、最近の登校拒否と怠学の境界が曖昧になってきており、両者に共通する部分もあると理解し、関わっていく必要があるのではという流れとも一致するものです。


また、当時文部省は不登校への支援として、適応指導教室の整備、専門機関での出席扱いの柔軟化、中学卒業認定試験の弾力化などを打ち出し、さらに1995年(平成7年)には不登校の発生率の高い中学校を中心に、スクールカウンセラーの配置を開始しました。


そのような中、2002年(平成14年)に、それまで増加の一途をたどっていた不登校の数がはじめて減少に転ずるのです。


その後2003,2004年と人数・発生率ともに減少を続けています。しかし、この減少の中には出席扱いになっている適応指導教室や別室登校の子どもは不登校に含まれていない可能性があり、また全国に12万人以上の不登校ひきこもりの子ども達がいることにかわりはないのです。

長澤まさみさんと伊勢谷友介さんが交際1年半で破局した。というニュースを見つけました。

交際発覚直後には、伊勢谷の元恋人に対する“DV騒動”が『週刊文春』に報じられたが、2013年6月には都内のマンションで半同棲生活をスタートさせた。

『週刊文春』に報じられたが、となっているけど間違いですよね?本当は『週刊文春』に報じられたが、が正しいんですよね。

新聞を読んでいてもたまに誤字に気づくことがあります。誰でも間違うことはあります。でも間違えるということがあってはならないのではないのでしょうか。

急がないで、と言っても急がなくてはいけない時もあると思うけど、載せてから間違いに気がついても遅いのでは、と私はそう思いました。

悪い性癖は元から断たなきゃだめ……という考え方だろうか。最近アメリカで面白い判決が出されている。


多発する婦女暴行罪の犯人に対して、「懲役刑」か「去勢」かのいずれかを選択させるというものだ。


ある被告は懲役九九年か、去勢かの選択をしてもいいという判決で後者を選び、執行猶予十年つきの刑を受けて社会に出た。


去勢といっても手術で取り去るというのではなく、ホルモンの一種を注射して、男性としての性欲をなくしてしまうものである。


盗んだ手を切り落とすというのと、一脈通じる考え方ともとれるが、選択権があることだし肉体的苦痛を伴わないものだから、刑の残酷さはあまり感じない。


このようにアメリカの裁判では、裁判官が刑の選択について幅広い裁量権限をもっているので、思い切った判決が出せる。もっと小さな事件では、たとえば出来心で万引したというような場合、そのスーパーの掃除をさせるといったように、裁判官の即断で事件をスピーディに処理することもできる。


日本には大岡裁きの伝統があるはずなのに、どうも裁判というものがあまりにがんじがらめになってしまって、一種の粋な計らいみたいなものが生まれる余地がない。


どもりや赤面症の人は、愚鈍でもネクラでもありません。それどころか、ナイーブで繊細でまじめな人が多いのです。

本来は美点であるそういう資質がマイナスに作用して、どもりや赤面を招いているのです。

どもりを治すには、周囲の理解が必要だとよく言われます。周囲が、社会が、まずどもりに対する偏見・先入観をなくしてほしい。私はこのことを、長く願ってきました。

私も三歳までは、ほかのどの子どもに負けないぐらい達者なしゃべりをしていました。この本を読んでいるあなたもきっと、どもりになる前はふつうの子どもと同じようにしゃべっていたはずです。それが何かをきっかけに、どもりという落とし穴にはまってしまった。

そのきっかけとは、「人まね、感染、情緒不安」です。それさえなければ、どもりになどならなかったはずです。

どもりが生まれつきでないのは、歌を歌えばすぐにわかります。どんなに重症の人でも、どもりながら歌う人はいません。不思議なことです。

しかしなぜどもるのかを考えたら、それは当然のことです。歌を歌うときは吃音者もお腹の底から声を出しているからです。

つまり大きくお腹で息を吸い、息を吐くという腹式呼吸をしなければ歌を歌えないということを、体が知っているのです。

腹式呼吸こそどもりを治すカギであることはあとで書きますが、その腹式呼吸を無意識のうちにやっているのです。