ヒマラヤを駆け抜けた男  | Man is what he reads.

ヒマラヤを駆け抜けた男 

ヒマラヤを駆け抜けた男―山田昇の青春譜 (中公文庫)/佐瀬 稔
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デスゾーン。
薄い酸素、意識を曇らす低温、

標高8000mを超える場所は、我々に生存を許してくれない。
そこにいるだけで死に近づいてゆく、そういった空間である。

地球上には、標高8000mを超える山が14座ある。
これら全てを制覇したのは、史上21名のみ。

史上、という点に着目しなくてはならない。

高峰登山の歴史は100年を超える。

その長い時間軸において、21名のみが達成した。

そういう偉業である。

そもそも1人のクライマーのクライマーの人生において、

8000峰を登頂するための条件が14度に渡って揃うことは滅多にない。

自然を相手にしているからだ。


故にトップクライマーは単独行を好む。
1人であれば、他人に左右されることはない。
一旦山に入ってしまえば、あとは天と戦うのみである。

仮にパーティーを組んでも、互いをザイルで結び合ったりはしない。
自分の命は自分で守る、そして他人の命を引きずることもしない-
14座完全制覇は、そういった孤独の向こうにある。

本書の主人公、山田昇は、1970年代後半から80年代にかけて8000m峰9座を制した。
にも関わらず、彼の足跡には孤独感がない。

山田は、常に群馬岳連の仲間とともに在った。

”誰もがこの男を仲間に加えたがった” (本文より抜粋)

のである。

高所で抜群に強いだけでなく、飾り気が無く、爽やかで、

「デスゾーンにおいても」人を不快にさせることがない。

個人的な夢ではなく、

仲間に誘われてヒマラヤに行くうちに完全制覇に近づいていった-
そんな温かさが山田の経歴にはある。

1989年2月。
冬のマッキンリーに山田は散った。


このときも二人の仲間と共に挑み、共に死んだ。
体を飛ばされるほどの暴風が渦巻いていたはずにも関わらず、

彼らは互いをザイルで結び合っていたという。

実は、山田は一つ前の登山で親友のクライマーを失っていた。
下山の最中、キャンプまであと数十メートルというところで滑落し、姿を消したのだ。

互いを結び合っていれば-

山田は酷く後悔していたという。


山田昇。

登山史に吹いた一陣の風。

14座を制覇し、仲間と喜びを分かち合う姿がみたかった。